徒然なる戰藻錄

WoTとWoWSをプレイしているところなのです

空母4艦きたからついでに四方山話

はおヾ('ヮ'*)ノ

現在、くろちゃんの艦これにおける最重要施策は―――

正規大型戰鬪空母『瑞鶴』建造
潜水母艦改造空母『瑞鳳』建造


この2点であり、それ以外はすべて二の次、三の次というのが実情。
マップ開拓も、新型兵器開発も、すべてはこの上記2艦の就役を以て実行されるべきもの。

そのため、現在、前回の延べ42回にも及んだ第一期建造計画の失敗をもとに、第二期及び第三期の建造計画を策定中。

第二期はいまのところ、今週の定期メンテナンス後の実行を予定。
建造回数予定は30~32回。
当然、課金による戦略備蓄の大量投入を予定。

課金しすぎ? そこまでしてやるべきものじゃない??
『瑞鶴』のためならさらなる資本投下も辞さない構えです、はひ(`・ω・´)

もちのろん、デイリーの建造4回でも、期待を込めて空母建造をやっているんですけどネ。

ちなみに本日のデイリー建造(350/30/400/350)4回ででてきたのは、『赤城』、『飛龍』、『蒼龍』、『加賀』。

ヒドいものです、はひ。

ところで―――

くろちゃんはもう終えましたが、この4艦をもってして実行可能なクエが《南雲機動部隊を編制せよ》ですネ。

今回はその南雲機動部隊として名を知られる南雲提督についてちょっとお話しようかと思いマス。


南雲忠一―――

多くの人が、空母を集中運用する第一航空艦隊指揮官として真珠湾からミッドウェイまでを戦った航空戦指揮官と認識しているのではないでせうか?

機動部隊を指揮してはいますが、南雲忠一提督は水雷専攻の生粋の船乗りであり、空母航空戦とは畑違いの雷撃戦主体の水雷屋です。
旧海軍の悪しき慣習である年功序列により、毛色の異なる第一航空艦隊司令長官に着任したのです。

南雲提督は驅逐艦『樅』艦長、第一水雷戦隊参謀を務め、中佐時代には砲艦『嵯峨』、『宇治』艦長、大佐に昇進してからも二等巡洋艦『那珂』、一等巡洋艦『高雄』、そして『山城』艦長に着任しており、操艦の技術は卓越したものがありました。
事実、ミッドウェイ海戰で米機動部隊から飛来したダグラスTBDデバステーター艦上攻撃機による雷撃(発射魚雷6本)を、艦長に代わって操艦の指揮を執り、すべて回避に成功しています。
排水量4万噸(トン)にも達する巨艦『赤城』を見事に操って見せ、航空戦では南雲提督の力量を侮っていた源田実航空参謀ですら、その操艦ぶりに感服したといいます。

そして多くの海軍指揮官同様、部下思いであり、上級将校であることを飾らない人柄でもありました。
こんな話があります。
故郷の米沢から母親が上京してきた際、軍服姿のまま上野駅に迎えに行った南雲提督は、足の悪い母親を背負い、人があふれるプラットフォームを、周囲を気にすることなく歩き去ったそうです。

ほかにも―――
第三戦隊司令官を務めていた昭和13年の冬、南雲提督は体調を崩していましたが、寒風吹きすさぶなか、さらに常に身を切るほどの風が吹く航海中であっても、外套に毛の襟巻をし、艦橋の司令官席つき、に昼夜区別なく戦隊司令官としての職務を務めたそうです。

さて、南雲提督を語るうえで、多くの人が真珠湾攻撃やミッドウェイ海戰、その後のソロモン諸島での空母海戰にスポットライトを当てることでせう。

くろちゃんはそこで視点をずらし、南雲提督の終焉の地となる、サイパン戦における南雲提督を追ってみます。

サイパン島の戦いは昭和19年6月15日の米軍上陸に始まり、18日から20日にかけてサイパン島西方海上で発生した《あ》号作戦(いわゆるマリアナ沖海戰)による日本海軍の敗北を経て、7月7日に日本軍守備隊の組織的抵抗が終結し、8月10日に米軍が完全占領を宣言するまで続きます。
その後も、映画にもなった大場栄陸軍大尉らによる抵抗もありましたが、事実上、サイパン戦の趨勢は7月7日の万歳突撃による総攻撃でもって決します。

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サイパン沿岸に沈む旧日本軍機

サイパン島の日本軍は、南雲忠一海軍中将が指揮する中部太平洋方面艦隊が統括し、その直轄兵力として第一四航空艦隊(部隊名:第四基地航空部隊)がありました。ほかに海軍部隊として、辻村武久少将指揮の第五根拠地隊、唐島辰男中佐率いる横須賀第一特別陸戦隊が駐留していました。
指揮下にはありませんが、マリアナでの決戦を想定して、潜水艦部隊である第六艦隊(部隊名:先遣部隊)司令部もサイパンに進出しており、艦隊司令官の高木武雄中将ら司令部要員もサイパンに駐屯していました。
南雲中将の指揮下には、小畑英良陸軍中将(サイパン戦時はパラオ出張中)が指揮する第三一軍が組み込まれており、第三一軍は第四三師団(斉藤義次中将/在サイパン)、第二九師団(高品彪中将/在グアム)を主力とし、多数の独立混成旅団や臼砲大隊などがサイパンなどに配置されていました。

米軍のサイパン侵攻軍はレイモンド・エイムズ・スプルーアンス第5艦隊司令長官が総括し、その指揮下のリッチモンド・ケリー・ターナー第5上陸作戦海軍部隊に配属されているホーランド・マクテイラー・スミス海兵隊中将の第5上陸軍団が担当しています。
この軍団には海兵隊第2師団(ジュリアン・コンステーブル・スミス海兵隊少将)、海兵隊第4師団(ハリー・シュミット海兵隊少将)、陸軍第27師団(ラルフ・コルヴェット・スミス陸軍少将)が配属されていました。

水際での戰鬪から中部タポチョウ山付近での戰鬪などサイパン戦の経緯については、多くの著書が出ていますので、ここでは南雲提督の最期についてだけ語ります。

じつのところ、南雲忠一中将の最期については、2013年現在、明らかになっていません。
南雲提督がいつ、どこで、どのようにして最期を迎えたのか、判然としていないのです。
いくつかの証言はあるのですが、すべて内容が喰い違っており、どれが真実なのか、はたまたどれも真実ではないのかがわからないのです。

7月5日の夜、マタンシャ近郊の洞窟内で、東のペトカラ山に昇る月を眺めながら書き上げたとされる訓示があり、5日の夜までは指揮を執っていたものと思われます。

長いですが、南雲提督の最期の訓示です。

サイパン全島ノ皇軍将兵ニ告グ、米鬼進攻ヲ企図シテヨリ玆(ここ)ニ二旬余、在島ノ皇軍陸海軍ノ将兵及ビ軍属ハ、克ク協力一致善戦敢闘随所ニ皇軍ノ面目ヲ発揮シ、負託ノ任ヲ完遂センコトヲ期セリ、然ルニ天ノ時ヲ得ズ、地ノ利ヲ占ムル能ワズ、人ノ和ヲ以テ今日ニ及ビ、今ヤ戦ウニ資材ナク、攻ムルニ砲熕悉ク破壊シ、戦友相次イデ斃ル、無念七生報国ヲ誓ウ、而(しか)モ敵ノ暴虐ナル進攻依然タリ、サイパンノ一角ヲ占有スト雖(いえど)モ徒(いたず)ラニ熾烈ナル砲爆撃下ニ散華スルニ過ギズ、今ヤ、止(とど)マルモ死、進ムモ死、死生命アリ、須(すべから)ク其ノ時ヲ得テ、帝國男児ノ真骨頂ヲ発揮スルヲ要ス、予ハ残留諸子ト共ニ、断乎進ンデ米鬼ニ一撃ヲ加エ、太平洋ノ防波堤トナリテサイパン島ニ骨ヲ埋メントス。
戦陣訓ニ曰ク「生キテ虜囚ノ辱ヲ受ケズ」 「勇躍全力ヲ尽シ、従容トシテ悠久ノ大義ニ生クルコトヲ悦ビトスベシ」ト。玆ニ諸子ト共ニ、聖寿ノ無窮皇国ノ弥栄ヲ祈念スベク、敵ヲ索メテ進発ス、続ケ。

昭和一九年七月六日 中部太平洋方面艦隊司令長官 南雲忠一


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◆豊田穣氏の記述

7月6日夜、陸軍の斉藤師団長と井桁第三一軍参謀長が自決したことを知らされた南雲提督は、残余の海軍将兵を集めると、上記の訓示をしたのち、襟章のない軍裝のまま、兵用の戰鬪帽をかぶり、拳銃を手に、
「では、今より突撃する。全員、おれに続け!」
とタナバク方面の米軍に対し万歳突撃を行なった。南雲提督はその乱戦のなか、マタンシャからタナバクのあたりのいずれかで最期を遂げたが、時刻は7月7日未明と推定される。


◆公刊戦史(戦史叢書)

7月5日、南雲中将、斉藤師団長らは訣別電を発し、6日に自決した。サイパン残存兵力約3,000は、7日未明、おのおの当面の米軍に対し総攻撃を敢行し、サイパン地上戦は終わりを告げた。


◆ジョン・トーランドの著作《大日本帝国の興亡》
米国戦史作家で、日米双方の取材に基づいた緻密な描写で知られる。

地獄谷の洞窟に南雲提督、斉藤師団長、井桁参謀長の将官が自決を覚悟して潜んでいた。6日朝、斉藤師団長は告別の辞を平櫛孝参謀に伝えた。
6日午前10時ごろ、3人の将官は別の洞窟に移り、そこで切腹し、介錯の副官が後頭部を撃った。
6日夜、3,000名以上の日本人がタナバクの米軍陣地に突撃し、米兵650名以上を殺傷して全滅した。


◆サミュエル・エリオット・モリソンの《第2次世界大戦におけるアメリカ海軍作戦全史》
フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領によって、第2次世界大戦における米海軍の戦史編纂担当者に任命される。

7日未明、少なくとも3,000名の日本人が第27師団の防禦線を越えて突入してきた。米軍の戦死者406名、日本軍は4,300名の死体を戦場に残した。
この突撃の前に斉藤師団長と南雲中将は自決しており、幕僚の大部分もあとを追った。
斉藤師団長は切腹とともに介錯の副官に拳銃で撃たれ、その遺体はガソリンをかけて焼却されていたが、その遺骨と灰はあとで確認のうえ、ホーランド・スミスによって陸軍中将のランクに応じた埋葬が行なわれた。
斉藤師団長の洞窟の近くの別の洞窟に、南雲提督は60名前後の幕僚らといたが、生存者の証言によると、南雲提督は6日夜に拳銃自決した。その遺体と遺品は敵にわたらぬようならの痕跡も地表に残さぬように埋葬された。

「奇妙な、そしてふさわしい運命ではないか。オアフからトリンコマリーにわたって勝利に輝いたパール・ハーヴァー攻撃の機動艦隊の誇り高い指揮官にしては、判然としない最期であった」とはモリソン氏の言葉ですが、真珠湾攻撃のだまし討ちに対するアメリカ人の反感を示しているようですね。


◆サイパン戦生還者I氏の証言(昭和54年埼玉新聞報道)
I氏は第五五警備隊第七分隊所属の通信兵で、米軍の捕虜となり、戦後、帰国している。

7月6日1800時、南雲中将からの訓示がサイパン島中腹、電信山砲台に伝えられ、I海軍兵長ら残存兵は島の西北部、マタンシャ海岸の二〇五高地の集結地に向かった。そこには約3,000名が集結し、そのなかに、参謀数名とともに南雲中将がいた。戦闘服の半ズボンに半袖シャツ、第三種戰鬪帽をかぶり、腰に拳銃という身なりであった。
7日0200時過ぎに集結完了。0330時、南雲中将の右手が上がり、武力なき自殺的総攻撃が開始された。目標は数粁離れたガラパンにちかいポンタムチョ岬の警備隊本部。そこは日本軍の抵抗が続いている最後の拠点で、米軍の包囲網を突破して同本部と合流、そこで全員玉砕を申し合わせていた。
I氏は南雲中将についてマタンシャの海岸を4粁ほど南下したが、タナバク砲台の米軍陣地からの機銃掃射を受けて、南雲中将は右大腿部に貫通銃創を負った。
倒れた南雲中将を、そこから離れた洞窟に同僚のS兵長とともにかつぎこんだ。参謀2名が同行してきた。
手当てしようにも出血がひどく、手の施しようがなかった。この間、南雲中将は終始無言。やがて、観念したのか、拳銃を抜き取り、本土の方に向かって、「天皇陛下万歳」と声を発し、銃口を右頭部に当てて自決した。参謀2名もその場で拳銃自決した。
南雲中将らを葬る余裕もなく、I兵長は部隊に続こうと洞窟を飛び出した。まもなくしてS兵長が戦死し、目標の警備隊本部からは玉砕を告げる信号弾が上がった。0455時だった。
I兵長はひとり密林に逃げ込み、丸2年、密林生活を送り、昭和21年8月に米軍に降伏した。
I氏はこう語っている。
「艦上で死ぬならともかく、南海の孤島で自決しなければならなかったのはさぞ無念だったろうと思い、心中を察すると、いまでも胸が痛みます。突撃の夜、じっと沖の敵艦を見つめていた中将の姿が、いまでも目に焼きついて離れません」


◆平櫛孝第四三師団参謀兼中部太平洋方面艦隊参謀の証言
最後の突撃の際に負傷して捕虜となり、戦後、帰国している。

南雲提督が最後の突撃で将兵らと行をともにしたというのは事実ではない。斉藤師団長の遺体を丁重に葬ったという米軍の記録も事実ではない。
6日1000時ごろ、地獄谷の洞窟の一部を掃き清めて自決の場とした。斉藤師団長を中央、右に南雲提督、左に井桁参謀長が祖国に向かって正座した。
鈴木陸軍中佐の、「よろしゅうございましょうか」の声に南雲提督が、「どうぞ」と答えた。
3名が軍刀を逆手に持ち、それぞれの腹に当てた。
鈴木中佐の右手が上がった瞬間、3名のうしろに立っていた副官が拳銃を撃ち、3将軍は前にたおれ伏した。

介錯の副官は、南雲提督に荘林海軍中佐、斉藤師団長に牧野少尉、井桁参謀長に柳本中尉。

なお、平櫛参謀の証言によると、3将軍自決後の陸海軍幕僚会議で意見が分かれ、海軍側は総攻撃不参加を宣言し、陸海軍は袂を分かったことになっている。

ちなみに―――
前述のジョン・トーランドは平櫛参謀へのインタビューによるものだが、相違点が見られます。
ジョン・トーランドの著作では、南雲提督の介錯を申し出る者はおらず、若い陸軍の副官が、「わたしにその仕事をさせてください」と志願したとなっています。
また、自決直前に海軍将校の一人が、「自分の部隊だけで北へ向かう」と怒鳴るのを聞き、彼らを止めようと平櫛参謀がその場から離れたたときに、後方から3発の銃声がした。
3名の遺体は、南雲提督を中心にしていると書かれています。

このように、南雲提督の最期が異なっているわけです。

南雲提督は陸軍の2将軍と最後まで一緒だったのか...
それとも陸海軍の洞窟は別だったのか。

南雲提督は最後の突撃に参加したのか―――

また、その最期は6日朝なのか、夜なのか、それとも7日未明なのか……


戦後68年、関係者のほとんどが鬼籍にはいったいまとなっては、明らかにするすべはないと言えるでしょうね。

できることは―――

サイパン戦で戦死した、南雲提督をはじめとしたおよそ2万4000名の方々の冥福を祈ることのみです。



壁|'-')ノよいお年を。
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コメント

Re: NO TITLE

> 瑞鶴こないですよねぇ・・・
> うちは飛龍もきませんが・・・
こー何十回とやってこないとなると、うちの鎮守府だけ未実装じゃないかと本気で疑うレヴェル( 0w0)

> しかしデイリーで4隻正規空母引けるリアルラックがすばらしいです
翔鶴型の6時間、瑞鳳狙いの祥鳳型2時間40分じゃないとダメなので、4時間台がきても、「こねーksg」としか思えなくなっちゃいました
6時間2つとか2時間40分3つとかがくれば、くろちゃん的にはリアルラックですね

はぁ、瑞瑞コンビこないかなぁ

NO TITLE

瑞鶴こないですよねぇ・・・
うちは飛龍もきませんが・・・

しかしデイリーで4隻正規空母引けるリアルラックがすばらしいです
4隻軽巡とかしか引けない身としては4隻正規空母とかきたら
大井さんの20発受けてもいーかも・・・

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