徒然なる戰藻錄

WoTとWoWSをプレイしているところなのです

標的艦

ウェーイヾ('ヮ'*)ノ

今回は標的艦についての簡単な小咄。

練習巡洋艦は………まぁ武裝もそこそこあるから艦これでもそれなりに使えるし、『鹿島』お嬢は魅力的だから実装されるのはわかりますが、はたして標的艦などとゆー、艦これで実装されればドM的な位置づけになる艦娘はくるのでありませうか、これやいかにあらん?
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射撃の練習をするには標的がいります。
これは砲撃のみならず、拳銃射撃にせよ、弓道にせよ、同じことですね。
とはいえ、戰鬪という特異環境に臨む射撃戰において、ただ静止しているだけの的を延々と狙って撃っても、基礎は学べても応用は利きません。
どうしても、本物と同じような運動をさせなければ、砲撃訓練の成果を実戦において発揮することはできません。

對空戰鬪訓練の場合、航空機が吹き流しの標的を曳航して飛行し、艦艇の對空要員や戰鬪機乗りはそれを狙って訓練をします。
戰艦『武蔵』では、実弾による対空射撃訓練の機会がなかなかないことから、艦尾の水上機用甲板を利用して、ホースによる放水を使った対空射撃訓練をしたという乗員の証言がありました。

對艦射撃の場合ですと、驅逐艦などが標的となる船を曳航し、その標的めがけて訓練弾を撃ち込んでいました。
艦艇用の標的は、長さ20米ぐらいの筏もしくは船のかたちをしたものに柱を立て、布幕を張ったり、幟を数本から十数本ほど立て、それを複数組み合わせて驅逐艦などで曳いていました。

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曳航艦の安全を確保するため、曳索は1粁から2粁ほどの長さにまでなっていて、之の字航行を行なっても蛇がゆるやかにのたくる程度の運動性しか発揮できませんでした。

幕も大型のものを用いると横風で転覆する恐れもあり、大口径砲での遠距離射撃訓練では幟旗を用いていました。

こういった曳航式の標的では自由自在な運動はできず、単純な直進行動しかできません。もちろん、偏差射撃の実際を確かめることはできるので、すべてがムダというわけではありませんが………
風向き次第では布幕などが射撃艦と平行になって、柱のようにしか見えなくなって視認が困難になるなど、訓練にならないと文句も出ていました。

実際の敵艦は前後左右に不規則に動き回りますし、速力も増減してこちらに未来位置を予測させまいとしてきます。

どうにかして、実際の艦艇に似た動きをさせたい………かといって乗員が乗っている実際の艦に砲弾を撃ち込むわけにはいきません。
そこで考え出されたのが、無線による遠隔操縦でした。

21世紀を迎えた現在では、無線操縦の技術は劇的なまでに進歩しており、子供ですらラジコンという形で触れることができます。軍隊では、中継システムを利用するなどして、数千粁離れた場所から無人機を運用して偵察や爆撃をこなすにまで至っています。

しかし、戦前は………とりわけ当時の日本の工業力では、満足な性能を有した真空管は量産できず、回路や装置も十分ではありませんでした。

初期の無線操縦システムは、操縦電波の発信機を、操縦艦の艦橋に置いた押し釦式操作盤を用いて作動させていました。
釦ごとに操縦事項を定めて、一定の符号をそれぞれ違った周波数で変調して、操縦事項を選択作動させるという簡単な方式です。
これはホナウ三連変調と呼ばれており、

ホ ― ・・
ナ ・― ・
ウ ・・―

の3符号それぞれに、4種の音声周波数のいずれかを割りあて、これを、たとえば、

― ・・・― ・・・―

というように連続させ、短波電波を変調して標的艦に向けて送信します。
これを受信した標的艦では、復調し、音声周波数を選別して、それぞれの周波数ではたらくリレーとラインセレクターを順次に選択駆動して、指定された各種の操縦操作を行なわせました。

このシステムはその後、順次改良されていきました。
明治期に建造された2萬噸級の戰艦『攝津』を改造した標的艦『攝津』では、操縦艦である標的艦『矢風』からの電波信号を受信して、発信、停止、面舵、取舵、加速、減速といった運動を行ないました。
『矢風』の無線操縦は押し釦式操作盤と短波送受信機を用いたもので、

タもしくはN ― ・
ヘもしくはE ・
ヌまたはH ・・・・

の3つを、600ヘルツ、800ヘルツ、1,000もしくは1,200ヘルツの4種の音声周波数の一つで変調して発信しました。
『攝津』はこれを受信、復調、選別し、該当する回路を動かして操縦機構を駆動させました。
原理そのものは簡単でしたが、構造は複雑で、故障や誤動作には徹底した対策が講じられていました。

『攝津』自身が標的なので、艦体に直に弾丸―――砂をつめた模擬彈―――が撃ちこまれます。上甲板や舷側には十分な裝甲を施していますが、それでも、着弾の衝撃などによって空中線が切断され、応答能力が低下したりもしました。

『攝津』で施された対策のひとつが、送受信確認でした。
安全確認のため、操縦側ではひとつの指令を発信するたびに、『攝津』からの受信確認の応答を受け、また、『攝津』から一定時間ごとに、安定して作動していることを知らせる信号を発信させていました。
この送受信確認でつねに『攝津』の動きを監視しながら無線操縦して動かしていました。

訓練中は無人となるので、『攝津』では運用中も異常の有無を絶えずチェックしていました。なにか異常が起こればただちに緊急信号を出し、その異常が大きければ艦を停止させるようになっていました。

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画像参考:MONOCHROME SPECTER
標的艦『攝津』
『河内』型戰艦として完成後ほどなくして砲撃標的艦ついで砲爆撃標的艦に改装された


操縦艦である標的艦『矢風』と文字通り標的となる標的艦『攝津』の2艦で構成された標的艦隊は、要請があり次第出港します。
整備担当者は『攝津』に乗艦し、砲戰海面まで操艦していきます。
砲戰海面に到達後、艦を停止させ、艦内各部の異常を点検し、『矢風』に移乗します。
ここから無線操縦による移動と、そして『攝津』を狙った砲戰訓練が開始されるわけです。

砲撃側は、いままで単調な動きの筏などを狙っていただけに、今度は旧式とはいえもとは2萬噸級の戰艦という標的を撃てるので、ヤる気十分、鼻息荒く待ち構えています。
一方、『矢風』に移った担当者たちにしてみれば、砲彈を撃ち込まれるのが任務とはいえ、苦心して整備した各種装置や裝備がつまっている『攝津』がボコボコにされるのはたまらないといった感じでした。
砲撃側は日ごろの訓練の成果を発揮して百発百中を狙い、『攝津』側はできるかぎり当たるなと祈るわけです。

なかには、中距離から近距離にまで接近して射撃を浴びせる艦もあり、そういった射撃艦がいる場合は警告を出して離れてもらっていました。

砲戰訓練が終わると、担当者らは先をこぞって『攝津』に戻って状態の確認と航行準備に入ります。
ちなみに、砲戰訓練の海域は周囲に一般船舶がいない太平洋上で行なわれるのがほとんどで、当然ながら波のうねりは大きいです。そのため、担当者らの移乗は苦労しました。
階段状の舷梯を用いますが、波が荒いときは縄梯子を使い、カッターやランチがうねりにのったのを見計らって一人ずつ飛び降りました。この際に用いる縄梯子はモンキー・ラッタルと呼ばれていました。


標的艦『矢風』は大正時代に建造された『峯風』型驅逐艦の1艦でしたが、昭和12年(1937年)からは驅逐艦のまま標的艦『攝津』操縦艦として運用されました。
昭和17年7月20日に特務艦に艦種変更となり、正式に標的艦『矢風』となりました。
終戦まで生き残りましたが、戦後、横須賀で繋留中に浸水によって着底、その後解体されました。

標的艦『攝津』は明治45年(1912年)完成の『河内』型戰艦2番艦でした。華盛頓条約で退役が決まり、大正12年(1923年)に標的艦に改装されました。
その後、昭和12年に爆撃標的艦、昭和15年に砲爆撃標的艦の改裝を受けました。
昭和20年7月24日の呉大空襲で撃破され、江田島大須海岸に擱座しました。
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着底した標的艦『攝津』
呉大空襲で前檣左右舷と後檣右舷に各1発の直撃弾を受け右舷中部舷側に5発の至近弾を浴びた
至近弾により舷側を破損・浸水し空襲2日後に艦内各部が満水し着底した




壁|'-')ノよいお年を。
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