徒然なる戰藻錄

WoTとWoWSをプレイしているところなのです

砲撃戰にまつわる小話 其の貮

ウェーイヾ('ヮ'*)ノ

今回も前回に引き続いて戦前の砲撃戰についての小咄。

光学裝備を用いての砲撃戰が華やかな戦前とうってかわり、第二次世界大戦では電波兵器がハバをきかせるようになってしまったのは、提督諸氏、ご存知のとおりです。

ちなみに―――
電波探信儀、現在ではレーダーの呼び方でしられるコレは、英語でRADARと書きます。

RAdio Detecting And Ranging/電波による発見と距離測定

の頭文字をとった言葉です。

今回は電波兵器によって過去の遺物へと追いやられた光学射撃などに関しての小咄です。

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光学射撃はそのシステム上、對艦監視・捕捉・照準が容易な昼間戰鬪を前提としており、荒天下や夜間での光学射撃戰は特殊なケースによる応用戰鬪とみなされていました。
光学射撃の始祖というべきものは砲側照準による射撃、独立打方というものです。

これは艦橋の砲術長から各砲台長を経由して、彼我艦隊の速力や風力などを修正した射距離と苗頭の指示を受けた各砲手が、砲側で直接照準してバラバラに射撃する打ち方です。
明治38年(1905年)の対馬沖海戦―――日本海海戦―――での射撃はこのやり方で行なわれました。

苗頭(びょうとう)というのは、砲の照準と、実際に砲口を向けた際のズレのことです。
対馬沖海戦時の砲戰は距離5,000~8,000米で行なわれ、この際の砲の仰角はおよそ6度。水平に近い状態で発射された砲彈は、緩い山なり弾道を描いておよそ13秒後に目標に到達します。
敵艦が20節(時速約37粁)で航行していた場合、敵艦は13秒でおおむね134米前進することになります。
砲の照準は敵艦を捉えていますが、命中弾を得るため、砲口そのものは敵艦の約134米前方を指向することになります。
この照準と砲口のズレを苗頭といいました。

さて―――
独立打方は問題がありました。
発砲後の砲口からは当然のように発砲煙が吹き出します。この煙によって標的が見えないもしくは見えにくくなり、再照準に遅れがでました。
横須賀の戰艦『三笠』を見たことがある人ならわかるでしょうが、艦の舷側にズラリと砲が並んでいます。
航行していれば煙はすぐに後方に流されるとお思いでしょうが、となりの砲から出た煙が流されてくるので視界は利かなくなるのです。

独立打方ではその名の通り、各砲が独自に発砲するため、自砲の撃った砲彈がどこに着弾したのかがわからないという欠点もありました。

対馬沖海戦以降、海上砲戰の主流は独立打方から一斉打方へと移行します。
この打方は、照準こそ砲側で行なっていますが、発砲は砲術長の命令により、砲手が一斉に引き金を引きました。
このころ、自艦のはなった砲彈の着弾を他艦の彈着と区別するため、彈着時計なるものも用いられました。

大正時代になると、一斉打方は方位盤射撃へと進化します。
これについては前回の四方山話でさくっとご紹介しました。

方位盤射撃の時代、遠距離の敵を観測するために艦の高い位置に方位盤を搭載する必要があり、それまで一番高い艦上構造物であった通信用檣にかわって、艦橋自体が高層化していき、測的所と発令所が艦橋内に新設されました。

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画像参考:MONOCHROME SPECTER
巡洋戰艦時代の『金剛』
方位盤射撃実装以前のため艦橋は煙突と同程度の高さでしかない


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画像参考:MONOCHROME SPECTER
大改裝により戰艦へ艦種変更となった『榛名』
方位盤射撃など新機軸対応の為に艦橋は高層化している


『金剛』型、『扶桑』型、『伊勢』型といった戰艦群は、平均して海面より36米ほどの高さに設けられました。
なお、当初は背の低い艦橋ではなく通信檣の上部に設けられました。

測距儀も砲戰距離の延伸にともなって基線長が増えていき、方位盤とともに艦の高い位置に搭載されました。
方位盤や測距儀は艦の一番高いところに設置されたため、海軍部内ではこれらの裝備をトップと呼んだりもしました。

方位盤が置かれた場所は主砲射撃所と呼ばれ、射手である方位盤俯仰手がここで全主砲の引き金を引きました。
砲術長は射撃所の下に位置する主砲指揮所で指揮を執りました。
その後、新型方位盤の開発により、砲術長用の観測鏡が方位盤と一体化して装備されたことにより、主砲射撃所と主砲指揮所の機能を統一し、射撃指揮所となりました。

『大和』型戰艦と、その先行実験に用いられた『比叡』では、最新鋭の九八式方位盤が搭載され、測距儀よりも高い位置に搭載されたため、名称は主砲測距・測的所へと変わりました。
あわせて、それまでの多脚檣型にかわって、塔型艦橋が採用されました。
この艦橋形状の変更は、方位盤に不要な振動が伝わるのを防ぐためでもありました。


◆砲身の呼び方
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主砲の打方にはいくつか種類があります。
二聯裝、三聯裝の砲塔で砲塔1基の全砲門を発射する斉發
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なお、三聯裝以上の砲塔では、2門以上の発砲を便宜上、斉發と呼びました。
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艦搭載の主砲を2基以上発砲する斉射
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砲塔の左右どちらかの砲もしくは1門おきに発砲する交互打方
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砲戰で早期に命中弾を得るには、正確な射距離と苗頭を得るか、彈着時の水柱により射撃条件を順次修正し、再度の砲撃を続けることになります。
これを試射と呼び、命中弾がでたら効果射もしくは本射と呼ぶ連続射撃に移行します。

日本海軍では大正時代、初彈観測二段打方という標準射法がありました。
たとえば―――
砲戰距離2萬米での平均測距誤差は1,000米前後となるので、第一斉射で苗頭を修正。
第二斉射で遠近を判断します。
第三斉射で彈着位置を的艦の向こうもしくは手前に300~500米程度の位置へ落とすように撃ちます。
この段階で的艦をはさみこめるので、第四斉射から本射に移り、夾叉を得ることができます。
このあとは一斉射で3~4發撃つごとに1發の命中弾が得られるようになります。

大正末期頃から、『金剛』型を筆頭に各戰艦の改裝が行なわれ、主砲仰角がそれまでの15~20度から30度へ引き上げられ、遠距離砲戰能力が向上しました。
砲戰距離の延伸とあわせ、測距儀の改良と測距動作の改善が行なわれました。
それまでは、測距儀の上下の映像が合致すれば、その測距データを報告していました。しかし、合致した後にそれを崩し、再合致させることで、その繰り返しが正しい平均値に結びつくことが判明しました。
さらに測距儀本体も、2つの独立光学系を組み込んだ、2人の測距手による同時測距を行なえる二重測距儀が『長門』型戰艦に搭載されました。
この二重測距儀は『大和』型戰艦の三重式15米測距儀へと進化していきます。

トップの方位盤故障時に用いる予備である砲塔搭載の測距儀や後檣の測距儀からのデータを加味することで、砲戰距離2萬4000米での測距誤差は350米程度にまで改善されました。

昭和5年(1930年)の倫敦(ロンドン)軍縮条約以降、日本戰艦の主砲仰角は43度にまで向上し、砲戰距離も3萬5000米にまで延びました。
このころの日本海軍の艦砲射撃法は完成の域に達しており、米海軍相手に戰艦数の不足を兵員の質で補える態勢が整いつつありました。

戰艦『長門』は昭和10年に大改裝が行なわれました。その際、主砲塔に新裝備が追加されました。
潜望鏡式の苗頭観測鏡です。
戰艦の主砲は天蓋、前面、側面ともに分厚い裝甲でよろわれていますが、砲側射撃に備えて、砲台長や射手用の観測鏡窓がいくつも開いていました。
この窓の数を減らして砲塔防禦力を向上させ、同時に観測能力を向上させる狙いがありました。
この潜望鏡式観測鏡は長さ75糎、直径10糎程度のもので、砲塔の左右に横方向に突出し、内部の光学系に苗頭量をセットしておくと、的艦に正対させるだけで、砲塔に必要な苗頭量が設定される仕組みになっていました。
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黄色い丸で囲んであるのが潜望鏡式観測鏡


さて、下の動画をご覧ください。



主砲発砲時に盛大な黒煙が噴き出るのは当然ですが、砲身が下に降りた際に砲口から白い煙を吹いているのが確認できると思います。
これは噴気装置によるものです。
砲彈を発射したあと、筒内には發射用火薬である裝藥の残滓火炎を砲口から吹き飛ばすためのもので、機関科が管理する空気圧縮機でおよそ300瓩に圧縮された空気を、150気圧にして送り出します。
それが白い煙となって砲口から盛大に吹き出すのです。
WoWSでも艦に画面を近づけてみると、発砲後に砲口から白い煙が噴き出るのが確認できます。
ちなみにこの動画では、艦前部の1番・2番主砲の交互一斉打方を行なっています。

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操砲訓練中の戰艦扶桑
6番主砲前の水兵とくらべ14吋砲とはいえ砲塔はかなり大きい


それでは、『長門』型戰艦での主砲による砲戰の流れを簡単に紹介します。

16吋主砲では1砲塔あたり、砲塔員21名、彈庫員と火薬庫員が各18名で、合計57名で1個分隊を構成し、第一主砲が第一分隊、第四主砲が第四分隊という構成になっています。
分隊士は各砲塔の砲塔長となり、前部1番・2番主砲を束ねる砲台長、後部3番・4番主砲を束ねる砲台長は、10米測距儀を備えた2番・3番主砲の将校塔が戰鬪配置となり、観測鏡で砲戰を観測または独立打方に備えます。

砲撃は戰鬪射撃、教練射撃があり、開始の喇叭が艦内に鳴り渡ると、乗員はすわっとそれぞれの持ち場へ向けて走り出します。
舷側に延々と伸びるハンドレール―――手すり―――とその支柱―――スタンション―――も倒されます。艦内へ通じる扉なども閉め、数分後には総員がそれぞれの戰鬪配置につきます。

各砲塔では砲塔長以下砲塔員が番号を発唱。砲塔長は左砲、右砲をすばやく一瞥確認。伝令に、「○番(第一主砲なら一番、第四主砲なら四番)よし!」と伝えます。
伝令は指揮所に電話、伝声管、通信盤ボタンを押して報告します。

つづいて、「試動」の号令で、砲を稼働させる水圧弁が開かれます。旋回は水圧發動機を可動し、俯仰は水圧起動弁を開きます。水圧機が故障している場合、砲塔は使用不能となります。
これで砲塔は戰鬪即応態勢となります。

一番砲手は気圧弁に減圧された圧縮空気が150気圧と明示されているかを確認します。
これが足りていないと、発砲後に尾栓を開放すると火薬の残滓が砲塔内に逆流し、甚大な事故に至る恐れがありました。

俯仰旋回の試動が終わるころには、戰鬪用意の喇叭が鳴り渡ります。
砲塔長は砲塔内を見渡し、各部の戰鬪用意を確認、伝令に、「○番戰鬪用意よし」と知らせるよう伝えます。

指揮所では各主砲塔からの戰鬪用意よしを受けると、戰鬪もしくは教練戰鬪を命じます。

戰鬪喇叭が2回鳴り渡るや、砲塔長は、「彈藥揚げ」、「弾丸こめ」を命じます。
ここからが熟練砲塔員らのウデの見せ所になります。

一番砲手が右手の掌を外側に向けパッと前いっぱいに腕を伸ばします。
二番砲手はその手信号の動きを見るや即座に尾栓開放レバーを開位置に倒します。
噴気装置が作動してその音が響くなか、尾栓が開き始めます。
一番砲手は砲身の上に設置されている墳気圧力計と筒内の墳気状況を一瞬だけチェックし、よければ突き出している掌をぎゅっと握ります。
この動きに二番砲手は墳気レバーを叩いて墳気停止。二番砲手は十数本の雷管を差した火管帯を身に着けているので、火管を尾栓発火装置の火管口に挿入します。
この火管による事故としては、戰艦日向が昭和17年5月に砲塔爆発を起こしており、その原因はこの火管にありました。

一番砲手は砲室底部の床安全装置を注意しながら、左手の掌を上にして、横いっぱいに腕を水平に出します。
一番砲手の左に配置されている三番砲手はその手信号を受け、彈藥筺の把手を静かに上げの位置にします。

床安全装置が彈藥筺に30糎ほど押し上げられ、支点を通過して蓋が開いたとき、一番砲手は左手をサッと下げ、装填用のラマー桿を握ります。
三番砲手は一番砲手の左手が下がるや、彈藥筺の把手を上げいっぱいの位置まで動かします。

彈藥筺が尾栓の開いた砲尾まですばやく移動し、ピタッと定位置に止まります。
このとき、彈藥筺を引き上げるワイアロープが新品交換直後や古くなって伸びが生じているときは、彈藥筺が定位置より下に止まります。そうすると安全装置が作動して装填不能となります。
また、ロープがわずかでも短いと、砲尾に激突して装置を破損するので、ロープの調整は一番砲手のワザの見せ所でもありました。

一番砲手はラマー桿を静かに出し彈底に当てます。彈が少し動いた瞬間に全力で装填します。この間わずか2~3秒。
装填音が響いたら即座にラマーを引き抜きます。
直後、自動で二段落下式の装薬4個がラマーの前に下ります。
『長門』型戰艦の16吋砲は、砲彈1発を発射するのに55瓩の重さがある装薬4つを必要としました。
砲彈装填が不十分だと、砲彈が落下し、自動落下してきた装薬を押し潰す危険がありました。『長門』型戰艦の主砲は自由装填型で、砲身がどの俯仰角度でも装填できましたが、1噸ちかい砲彈を完全装填するため、通常は砲身仰角7度で装填しました。

一番砲手は装薬底部にラマーを当て、4つ前部を藥室に装填します。この際の薬室装填の速度には熟練の技術が必要でした。下手に装填すると、砲彈とラマーのあいだで装薬つぶれる恐れがありました。

装薬を装填し終えると、一番砲手はラマーを全速で引き抜きます。同時に、左手を掌を下にして左いっぱいに伸ばします。
三番砲手はこの手信号を受け、彈藥筺の把手を下げいっぱいに全力で操作します。
一番砲手は彈藥筺が急速降下して換裝室に収まり、防火扉が閉まるのを確認します。
ここで防火扉が完全に閉まらないと一番砲手が大けがをします。なぜなら、砲身はすぐさま砲撃のため仰角がかけられ、扉の閉鎖が不完全の場合、砲架台が防火扉を壊してしまうからです。

彈藥筺が砲尾から離れると、自動的に尾栓水圧發動機が作動し、尾栓が閉鎖されます。このとき、射手は尾栓が完全に閉め切らないうちに砲身に仰角をかけます。これは少しでも時間を短縮するための動作です。
尾栓の閉鎖機は断隔螺旋式の隔螺鎖栓で、120度ごとに4段の嚙合螺子がきってあり、30度回すだけで完全閉鎖できました。
水圧發動機が故障した場合、砲身側面には尾栓人力開閉ハンドルが取り付けられているので、これを操作して尾栓を開閉します。

閉鎖と同時に一番砲手は人差し指と中指をピンとたてた右手をいっぱいに伸ばします。
この手信号を受けた二番砲手はすばやく発砲電路開閉器を接にします。
このとき、砲身の仰角次第では、二番砲手は相当無理な姿勢をとることがあります。
発砲電路開閉器は砲身側面の尾栓人力開閉ハンドルのそばにあります。戰艦の主砲は基本的に長距離砲戰を行なうため、砲身は30度から40度の大仰角がかけられます。
一番砲手は砲身を載せた砲架台に乗っているので、大仰角時は数米下の砲室底部に下がっています。二番砲手は膝をつき、手を下に伸ばして覗き込むようにして電路を接にします。

二番砲手が電路を接にすると、一番砲手は砲塔長に報告します。右砲なら、「右よし」、中砲なら、「中よし」といった具合です。
砲塔長はこの報告を受けると、伝令に指示し、発令所に發射用意よしのボタンを押させます。

このとき、艦のトップでは方位盤と測距儀など各種測定器が、刻々と変化する敵味方の動きや環境条件などを射撃盤に送っています。
艦隊は針路を変え、速度を増していきます。
太平洋の大波をかきわけ、きりさき、艦首両舷にふきあがる波しぶきを引き裂いて4萬噸級の艨艟群が驀進する光景は、今日の自衛隊艦艇の航進にくらべても、ゾクゾクと震えがくるほどの景観でした。

いよいよ砲撃開始です。
的艦との距離2萬5000米。
「測距250(に、ご、まる)」の報告に、砲術長は静かに、しかし力強く、「一斉打方」。
各砲塔長は発令所からの指示を受け、左右砲の状況を確認、「左右砲よし」と伝令に伝えます。伝令は通信盤の発射準備よしのボタンを押します。

このとき、各砲塔の旋回手と俯仰手は、旋回角受信機、俯仰角受信機の基針を凝視し、追針が少しでもズれてしまわないよう全精力を傾注しています。

「打方はじめ!」の喇叭が鳴り響き、受信器の警笛が二秒間鳴ります。
受信盤の右の赤、左の青が点滅し、発砲します。

艦外では砲撃の轟音が海上に響き渡りますが、砲塔内は意外と爆音は響きません。
発砲と同時に、反動で砲身が大きく後退します。この砲身が後退する位置には一番砲手がおり、彼にとっていつか押しつぶされるのではという緊張感がありました。

発砲の瞬間、俯仰ハンドルを支える射手の手には、ハンドルが仰角側にぐっと引き込まれる感触が伝わります。
即座にハンドルを回して砲身の仰角を7度にまで下ろします。

砲身がもどると、自動で尾栓發動機が作動し、噴気装置も作動してその音が響くなか、尾栓が開き始めます。

ここからまた砲彈と装薬の装填作業が始まります。
このようにして、主砲内での作業は射撃やめの指示が来るまで繰り返されるのです。


最後に―――
日本海軍艦艇に搭載されたある裝備について簡単に紹介します。

艦砲による射撃は方位盤射撃により行なわれますが、発射した砲彈は目標のある一点に集彈されず、目標海面に散らばって着弾します。
これは精密射撃が可能な電探射撃でも同じことです。

この彈着範囲を散布界といいます。
当然ながら、散布界が狭いほど命中率は高まります。そして砲戰距離が短いほど散布界の範囲は狭まります。
なお、砲戰距離1萬米になると散布界の問題はほぼなくなり、よほどのことがないかぎり、この距離以下では確実な命中が期待できました。

しかし、その距離では当然、敵の砲撃も確実に命中するわけです。
自艦隊の被害を抑え、且つ敵艦隊を撃破するには、やはり遠距離砲戰で確実な命中弾を得る必要がありました。

散布界をおさえるため、方位盤射撃の際の基針と追針の合わせ方が研究されましたが、敵味方ともに動き続ける中で、絶えず追針を基針に合わせるのは熟練を要しました。

發射用意の合図の時に追針を動かし、発砲時に基針と追針を合わせてみたらどうか? と思う方もいるかもしれません。
このやり方ですと、砲身が早目に動くため、砲身を振るかたちとなってしまい、砲彈が目標から逸れてしまいます。

散布界縮小の研究が行なわれるなか、あることが見つかりました。

斉射をつづけていると、ときどき大きく離れて着弾するのがわかりました。
これは、発射された砲彈が近接して飛翔するときの相互作用で弾道が曲がってしまった結果でした。
砲塔1基に2本以上の砲身を備えた聯裝砲塔で起きる問題でした。

砲身の内部には螺旋状の溝が掘られ、砲彈はその溝に沿って回転しながら撃ちだされます。
飛翔中も回転しているので、わずかでも砲彈に前後のズレがあると、後続の砲彈が先行の砲彈が作り出す空気の流れにまきこまれ、弾道が変化してしまいました。

この問題を解消するには、砲身の間隔を広げればいいのですが、艦の幅に制限がある以上、砲塔の幅にも制限があり、間隔を広げるのにも無理がありました。

なら、影響が出ない程度に発砲の間隔をずらそうということになりました。
問題は―――
その間隔です。

間隔が短いと先行彈の影響を受けて弾道が曲がってしまいます。
間隔が長いと、先行彈の発砲による反動で砲塔がわずかに動き、砲身が左右に振れてしまいます。

短すぎず―――
長すぎず―――

その間隔を探り出す実験が繰り返されました。

この問題は昭和5年頃から検討されてきましたが、大規模な実験は昭和14年になってからようやく実施されました。

実験は14吋聯裝6基12門の多砲塔戰艦『扶桑』を用いて行なわれました。
砲彈には着色料が入れられ、どの砲が撃った砲彈がどこに着弾したかをわかるようにしました。
また、『扶桑』を固定し、着弾海面を定め、着弾箇所を正確に測定するための観測所が複数設置されました。

『扶桑』には試作品の電気式時隔付与装置が搭載されました。
各主砲の左右砲の發射時隔を、0秒/100分の8秒/100分の20秒の3段階とし、それぞれ3回の斉射を行ないました。

この射撃実験の結果、時間差を大きくするほど的の前後に着弾する遠近散布は縮小しますが、左右の着弾散布は広くなる結果が得られました。
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この結果をもとに、時隔対散布状況の曲線が求められ、各口径の砲に適した時隔が決められました。

14吋砲では0.1秒、18吋砲では0.3秒の間隔をあけて発砲するのが最適と決められました。
つまり、『金剛』型など搭載の14吋砲では、右砲発砲後0.1秒後に左砲を発砲する………というわけです。
『大和』型戰艦の18吋砲では中砲発砲、0.3秒後に左右砲としました。

映像や写真などでは同時に発砲しているように見えますが、実際は若干の差をあけて発砲しているのです。

発砲時隔を電気式に自動調定する九八式発砲遅延装置は昭和14年ごろに正式採用され、主力艦艇に順次、搭載されていきました。

この遅延システムは、発砲時に電流を流してヒューズを切ることを応用したもので、片方の砲に流れる発砲電流を回転型のリレーに分流させ、所定の時間だけ遅らせたのち残りの砲の発砲回路に流しました。



壁|'-')ノよいお年を。
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