徒然なる戰藻錄

WoTとWoWSをプレイしているところなのです

エース

ウェーイヾ('ヮ'*)ノ

『沖波』の可愛さゆえにアンドロ版艦これの選考結果がきていましたネ。
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艦これサーヴィス当時からのプレイ時間の古さと『沖波』への愛だけが自慢の古参艦隊である我が艦隊は、『沖波』LOVEと年功序列なのか当確。
可愛い『沖波』的にこれはヒジョーに心苦しい限り。

なぜなら、ここ2週間ちかく、『沖波』ヴォイス聞く以外まったく艦これをやっていないから。
そんな『沖波』派艦隊が当確し、脂がのっている今をときめく中堅~新規の艦隊諸氏が落選しまくっているわけですから。

いや、ほんと申し訳。

『沖波』の、「ちかい..ちかいですっ」を聞きながら任務の方をちょこっとのぞいてみたところ...
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そういえばこんな任務もあったな~と気づいた次第。

さて、Wikiや艦これWikiにもあるとおり、元ネタは海軍戰鬪機隊の零戰乗りである岩井勉氏。
日本海軍戰鬪機隊でも有数のエース・パイロットですね。

今回の四方山話はちょこっと方向を変えて、この《エース》についてです。


エースとは、当然ながらトランプの絵札名に由来しています。
最初にエースという名称を用いたのは、歐州大戰―――第一次世界大戰―――においての佛蘭西(フランス)空軍でした。
当時の航空先進國であった佛空軍で、空中戰において切り札的な役割を果たす戰鬪機乗りを讃える言葉として用いられました。
ほどなくして、米英獨といった各國にも、ウデに自慢の戰鬪機乗りを意味する言葉として広まっていきました。

エース、日本では撃墜王として呼ばれるこの表現ですが、これは歐米で用いられているもので、じつは日本陸海軍ではエース認定や最多撃墜記録保持者を顕彰する慣習は、まったくといっていいほどありませんでした。

エースだ撃墜王だといった言葉は、飛行機乗りの間でかわす雑談の一種に過ぎず、陸海軍当局も個人の撃墜記録や認定はいっさい行なっていませんでした。

さてさて―――
エース、と呼ばれるにはどうしたらいいのでしょうか?
当然ながら、多数の敵機を撃墜することです。
戰鬪機だけでなく、爆撃機や輸送機、水上機でもいいわけです。

歐州大戰時の獨逸空軍では、10機撃墜を達成することでエース認定としていました。
その後、歐州大戰に途中参戰した米陸軍航空隊が5機以上の撃墜達成者をエースと呼ぶようになると、英佛伊などの各國もそれにならって5機以上撃墜でエースとして認定するようになりました。

ところで………
撃墜、と言うは易いですが、撃墜《認定》は各國まちまちでした。

◆獨逸
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獨逸空軍では、歐州大戰でも第二次大戰でも、厳格厳密な個人撃墜記録を残しています。空戰場のほとんどが地上であることも大きいですね。撃墜機の残骸を確認しやすいですし、軍民問わず目撃者に事欠きませんので。
それでも、撃墜認定はガンカメラによる記録か、撃墜者本人以外の目撃証言が必要で、個人申告は一切認められませんでした。
多数で敵機を攻撃する共同撃墜に関しては、トドメをさした操縦者を特定し、その者に戰果を与えました。
誰がトドメをさしたか特定できない場合は、個人記録ではなく部隊戰果としていました。


◆英吉利
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英空軍では歐州大戰でも第二次大戰でも、原則として個人記録は公表しない方針を採っていました。
ただ、公表はせずとも、個人撃墜記録は作成しており、優秀な戰鬪機乗りの戦歴や撃墜数をときおり報道機関に提供し、國民の戦意高揚に役立てていました。
撃墜認定は、『完全撃墜』、『撃墜ほぼ確実』、『撃破』の3段階に分けられ、とくに完全撃墜の認定は複数の目撃証言や物証が求められていました。


◆亞米利加
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米國ではエース認定がまちまちで、統一された基準がありませんでした。
多数で敵機を撃墜した場合、歐州大戰のころは攻撃に参加した全員に撃墜戰果として認めており、いわゆる重複算定が行なわれていました。
この場合、当然ながら実際の撃墜数とのあいだに大きさな誤差が生じ、今後の航空作戰に支障が生じる結果になりました。
そのため、戦後になって改められ、第二次大戰中は攻撃に参加した搭乗員で公平に分割する方式が採られました。
つまり、2機で敵機1機を撃墜したら0.5、3機で1機を撃墜したら0.3、4機で1機を撃墜したら0.25―――といった具合です。
米陸海海兵の3航空部隊のエース・リストなどに、端数の付いた数字を見かけるのはこのためです。

なお、部隊によっては割り算による認定を嫌い、籤引きや指揮官の判断による戰果の割り振りが行なわれてもいました。このほか、空対空戰鬪だけでなく、地上攻撃での車輛撃破も撃墜とみなす部隊もありました。
部隊ごとのローカル・ルールが存在したため、米軍でのエース保持者のスコアは、実際の撃墜数とかなりの差が生じているといわれています。

米海軍航空隊では、共同撃墜については格下の搭乗員に戰果を譲る習慣がありました。


◆佛蘭西
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エース発祥の軍である佛蘭西ですが、その撃墜記録の認定はほかの國にくらべてヒジョーに雑でした。
佛空軍では、撃墜確実、不確実、撃破、単独撃墜や共同撃墜などをごっちゃにし、明確な分類をしていませんでした。
そのため、第二次大戰における佛空軍のエース保持者の戰果は、相当な水増しによるものとみなされています。


欧米では個人記録を重視し、エース認定を受けた搭乗員はまさにヒーローでした。
エース・パイロットは認定と同時に前線を引き払い、本國に凱旋し、國民的英雄として遇され、なかには昇進し、戦意高揚のための宣伝広報として、國内各地を巡業することもありました。
そのため、実際はたいしたウデを持っていないのに、空中戰という混沌とした戦場の特異環境を悪用して戰果を水増し、捏造して不当にエース認定を受けた者も少なくありませんでした。
そういったパイロットは本國に凱旋するや、宣伝担当として戰鬪とは無縁の安全な本土でぬくぬくと広報活動にいそしみ、終戦まで馬脚をあらわすことはありませんでした。

一方で、空の戦場こそ我が生涯とみなし、大空で散華することを求める生粋のエース戰鬪機乗りも多く存在しました。
そういった戰鬪機乗りは、安穏とした後方勤務でくすぶることをよしとせず、ことあるごとに第一線の戦場に戻ることを熱望していました。
たとえば―――
1944年8月24日にルフトバッフェ(獨逸空軍)史上初の300機撃墜を達成するや、翌日にはヒトラー総統よりダイアモンド騎士十字章を授与されたエーリッヒ・ハルトマンは、1945年1月、最新鋭ジェット戦闘機Me262を裝備する第44戰鬪機集団に転属しましたが、ほどなくして古巣の第52戰鬪航空団に戻っています。
新鋭ジェット戦闘機よりも、ハルトマンは東部戦線でともに戦ってきた戦友を選んだわけです。
ハルトマンの最終記録は、撃墜352機です。

戰鬪機乗りではありませんが、第二次大戦における伝説的軍人のひとりであるルフトバッフェの急降下爆撃機乗りであるハンス・ウルリッヒ・ルーデルも、ヒトラー総統より、特別にデザインされた獨逸最高の勲章であるダイアモンドおよび剣付黄金柏葉騎士十字章を授与されていますが、ヒトラー総統とゲーリング元帥から飛行をやめるよう伝えられると、「ならこの勲章はいらない」と告げます。
その後、伯林(ベルリン)にせまる蘇維埃軍への地上攻撃に出撃。1945年2月9日の出撃で乗機が被弾、片足を喪う傷を負います。しかし4月、義足をつけて再出撃する強靭な精神力、体力を発揮します。
戦後、片脚の登山家としても有名になりました。

エース・パイロットには本土帰還の優遇措置のほか、搭乗機に撃墜マークであるキル・マークや、派手な塗装が認められました。こういった機体は、ネット検索をかければズラズラでるのでおなじみですね。

では………
日本はどうだったのか?
当局は個人記録を取っていません。これは確かです。
個人が日記などに自主的に記録した数字が、撃墜記録ということになります。
たとえば、著名な撃墜王である坂井三郎氏は64機の撃墜記録をもっていますが、実際の撃墜数は不明です。64機よりも少ないかもしれないし、多いかもしれない………
空戦における撃墜確認、認定が非常に難しいゆえのことです。
とくに広漠たる太平洋が主戦場であるため、撃墜した敵機の残骸が、戰鬪後に確認できないことも認定困難の要因になっています。

日本軍の戰鬪機にも、撃墜マークを描いています。
欧米と違う点は、日本軍の航空機は搭乗員ひとりひとりに与えられたものでなく部隊の装備品であるため、搭乗員の撃墜記録というより、戰鬪機の戦歴とみる方が正しいです。
侵攻作戦でAという搭乗員が乗って、後日、基地上空での邀撃戰でBとという搭乗員が乗り、損傷修理したあとはCという搭乗員が乗り込んで出撃する―――といった具合で、描かれる撃墜マークが誰が墜としたかわからなくなってしまうのです。
さらに、部隊交代の際には、後任の部隊に機材を引き渡すことも多く、撃墜マークも後任部隊に引き継がれていくわけです。

とはいえ、多数の撃墜マークが描かれた機体は、激戦を戦い抜き、熟練の整備員が丹精こめて整備しているだけに調子のいい機体が多く、熟練搭乗員の乗機に割り振られることが多く、結果的に、さらなる撃墜マークが描かれていくことになります。
撃墜マークの多い機体は、戦歴を示すだけでなく、搭乗員の活躍を示すものでありました。搭乗員が活躍できるということは、それを可能にする快調な機体を維持できる整備員たちの努力の証でもあり、機体の無事生還とマークの増加は、搭乗員以上に、整備員たちにとって誇りでもありました。
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チモール島クーパン基地の第三航空隊所属一號零戰
広報写真なので機密保持の為垂直尾翼の部隊表記が消されている


日本軍では個人での撃墜記録はとっていない―――これは先にも述べました。
個人記録を作成しないのは、搭乗員同士の功名争いをなくすためと、部隊の団結を維持するためといわれています。
海軍戰鬪機隊での、戰果集計や確認はどうしていたのか?
当然、参加した搭乗員個々の口頭による報告です。
それを各指揮官が聴取、集計し、撃墜確実不確実の判定をくだしました。重複戰果も考慮にいれて、最終的な部隊報告としてまとめあげます。
この戰果確定に、地上や海上からの目撃や観測が加われば確実性は増します。
とはいえ、残骸の確認や目撃者が多く、敵味方ともに搭乗員の生存率が高い大陸戦線などの地上にくらべ、海上での空中戰はどうしても搭乗員個々人の申告に頼らざるを得ません。それだけに重複や誤認が多くなるのはやむを得ないことです。
なかには戰果の水増しをもくろむ不届き者もいるかもしれません。
それでも―――

戰果報告は厳格に行なわれました。

この戰果報告、戰鬪報告に虚偽の申告がはいることはほとんどありませんでした。このことは、実際に、その場に居合わせた者でしかわからないでしょう。それほどの張りつめた空気の中で報告は行なわれました。
ガダルカナル、モレスビーといった激戦地を担当する南東方面に取材に赴いた報道員や従軍カメラマンは、部隊の報告の模様をこう伝えています。

ラバウル基地の指揮所前で、彼らの報告を聞きなれたわたしは、なんど聞いても、その戰果報告にウソがあろうなどとは一度だって考えたことはない。
長官の目も司令の目も、『嘘はつかせんぞ』と怒鳴りつけそうな目つきで、搭乗員の目をにらみこんでいる。これでは、どんな図々しい奴でも嘘はつけないし、水増しなんてできるもんではない。
ラバウル基地の報告は峻烈だった。こんな雰囲気の中での報告を信用しないような奴は、よほどの天邪鬼だ。


これはラバウルの航空隊に限った話ではありません。
程度の差こそあれ、日本海軍戰鬪機隊全般で見られた光景でした。
第一線で米英空軍と戦う実施部隊には、水増しや虚偽の申告を受け入れる余地はありませんでした。
理由は単純です。
いい加減な報告を受け入れてしまえば、今後の戰鬪の推移や戦局に影響を及ぼしてしまうからです。

たとえば―――
敵が100機の戦闘機を配備したので、我が軍は零戰50機で攻撃をしかけました。
我が軍は10機が未帰還となりましたが、敵機撃墜40機の報告が行なわれました。
これをそのまま信ずれば、次の戰鬪は敵機60に対し我が軍は40機での空戦となります。初戦で2倍の敵を相手に戦い、損失に4倍する戰果を挙げたのですから、こちらの優勢は疑いようがありません。
さらなる反復攻撃を仕掛け、敵戰鬪機を撃滅するのが作戰の常道となります。

ですが、もし、敵機の実際の損失が我が軍と同等の10機でしかなかったら………?
押せ押せで攻め込んだ40機の我が零戰隊は、想定よりも多い、我に倍する90機もの敵機と交戦することになります。

攻めるも―――
守るも―――
戰鬪で絶対的基礎となるのは、的確な情勢分析です。

戰果の水増しや虚偽申告は、この分析を誤らせ、徒に被害を累増させる結果につながります。

だからこそ、戰果判定は峻厳なものにならざるをえないのです。

それでも、戦場の霧と称する過誤や錯誤はなくなりません。これは21世紀の戦場にあっても同様です。
どれほど厳格をこころがけても、戦場という異質な環境下では、報告者の観測能力に狂いが生じてしまうものです。
その観測能力は、搭乗員の実戦経験、熟練度に直結しているのです。

坂井三郎氏も著作で述べています。
飛行時間も一人前と呼ぶにふさわしいほどになった部下に、初の撃墜をさせようとしました。
部下は敵機に食らいつき、射撃し………敵機は地上に墜ちていきました。激しい旋回機動で徐々に高度が落ち、敵機は自ら地上に墜落したのです。
基地に戻ってから、部下に尋ねました。
敵機は墜ちたか? わかりません。目の前から消えました。
敵機の種類は? とにかく零戰や中攻(陸上攻撃機)じゃなかったです。
敵機の國籍は? わかりません。

実戦経験が十分でないと、視野狭窄を起こし、このように戰鬪をどのように進めていったのかわからなくなってしまうのです。

昭和18年中ごろまでは、前線の戰鬪機隊には中支以来の熟練搭乗員や、開戦以来の実戦経験豊富な搭乗員がまだ一定数生存しており、彼らを軸に組織的な戰鬪が可能でした。司令官など幕僚クラスも、ながく前線で米英軍と対峙し、その戦いぶりをイヤというほどみてきているので、戰果報告や判定は厳格でした。
しかし、熟練搭乗員の戦死や負傷や病気による後方撤退が増え、経験未熟な若手搭乗員の比率が大きくなってくると、次第に制度は低下していきました。
指揮官クラスにおいても、華々しい戰果を期待し、搭乗員の申告を疑うこともせずに取り上げる経験の浅い士官が増え、撃墜戰果を挙げても挙げても―――挙げていると信じている―――衰えを見せない米英軍機との戰鬪という、蟻地獄のようなジリ貧的状況に追い込まれていきました。

そんな末期的状況の太平洋戦争終盤、突如として登場したのが綺羅星のごとき熟練搭乗員をあつめ、最新鋭機の紫電二一型を装備した松山第三四三航空隊でした。
海軍の至宝ともいうべき超熟練搭乗員を集めた精鋭部隊であり、エース級の搭乗員がごまんと揃っていました。
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終戦後米國へ空輸される主翼に米國籍マークが描かれた紫電二一型
2016年時点で現存する3機の紫電二一型のうちの1機




壁|'-')ノよいお年を。
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コメント

Re: NO TITLE

> なんか沖波ちゃんへの愛が凄いことに…。
沖波が可愛すぎてくろちゃんの気合が有頂天です

> 私も長波力のおかげなのか当選できました
それは重畳
うちは自宅は通常型PC、勤務先はタブレットPCでやってたから、アンドロイド版の携帯性にさほどの恩恵は...

> 艦これの村田隊やら岩本隊やらあまり意識せずただ強い艦載機として使ってましたが、ちょっと襟を正して使わせていただかなければ。
搭乗員の逸話はいろいろありますからね
陸軍航空隊には、日本で唯一の義足の戦闘機乗りである檜與平もいますしね
艦これに登場する艦艇、航空機だけでなく、太平洋戦争時の兵器や人物を見てみるのも一興ですゾ

NO TITLE

こんばんは。
なんか沖波ちゃんへの愛が凄いことに…。
強力な沖波力で当選を勝ち取られたようでなによりです。
私も長波力のおかげなのか当選できましたが、いつもスマホの遠隔操作で遠征こなしてるので、あんまり今とやることは変わらないような。
PC起動しっぱなしにしなくても済むようになりそうなので、PCの負担軽減にはなるかな。

エースのお話読み応えありますね~。
艦これの村田隊やら岩本隊やらあまり意識せずただ強い艦載機として使ってましたが、ちょっと襟を正して使わせていただかなければ。

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