徒然なる戰藻錄

WoTとWoWSをプレイしているところなのです

観音崎と金田湾

ウェーイヾ('ヮ'*)ノ

横須賀訪問最終回。

今回は横須賀の南、観音崎などです。

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軍港めぐり、『三笠』訪問を終えた時点で正午を大きく過ぎていたので、ランチタイムと洒落込むことにしました。
横須賀といえば海軍カリーですが―――

ネイビーバーガーも捨てられません。

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第七艦隊バーガー
¥5,200( ゚Д゚)

某ロッテリアのタワー型バーガーなんぞコレに比べたら...

これむしろ、第七艦隊といふより扶桑バーガーでもいいんじゃないですかねぇ。

昼はちかくのハニービーさんとこで手ごろなネイビーバーガーをいただいてきました。
手ごろ、と言ってもそれは米兵基準。
バーガーのみの注文でしたが、十分でした。
気を大きくしてポテトとか頼まなくて正解でしたヾ('-'*)ノ


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帰宅後に食べようと、ツナミさんとこでテイクアウトでネイビーバーガー買ってきました。

ブルーレイのケースとくらべても、バーガーを収めた箱のデカさがパないです。

箱の下は油がしみてますが、実際、すげー肉汁たっぷりでした。

ハニービーさんとこで食べたときも、ちょっと上からバンズを押しただけで肉汁があふれ出てきました。


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ロナルド・レーガン・バーガー。
¥2,160也。

テイクアウトしたのでチーズとか固まってますが、お店で食べるときはとろけたチーズと肉汁でパないぐらいです。

なお、くろちゃんは夕食と翌日の朝食の2回にわけてようやく完食した模様。


さて、気を取り直して観音崎。

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観音崎の浜辺。海水浴場でしたが、時期的に泳ぐ人はおりません。

観音崎は三浦半島の東端に位置し、房総半島の富津岬とで浦賀水道を挟む形になっています。
房総半島とは狭いところで距離わずか3.8海里(約7粁)しかありません。


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対岸に房総半島。

さて、なぜ観音崎に来たのか?
たしかに観音崎は公園化され、三浦半島東部でも有数の観光地になっています。

今回来訪の目的は―――

東京湾要塞です。

観音崎には19世紀はじめごろに幕府によって陣屋が設けられて以後、明治政府によって帝都防衞、東京湾防備のための東京湾要塞の整備が進められてきました。

東京湾要塞として有名なのは、横須賀沖の猿島、富津岬沖の第一海堡、第二海堡ですね。
三浦半島にはほかにも、城ヶ崎、千代ヶ崎、三崎などがあり、千代ヶ崎や猿島砲台跡は國の史跡に指定されてもいますね。

東京湾要塞の砲台あとを巡ったレポートなどは、廃墟訪問サイトなどで詳細なのがあがっていますので、今回はぶらりと訪れた簡単なものにしました。

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観音崎周辺の主要な砲台跡。

イ:走水砲台 ※一般立入不可
ロ:三軒家砲台
ハ:腰越堡塁砲台
ニ:大浦堡塁砲台
ホ:南門砲台
ヘ:観音崎第1砲台
ト:観音崎第2砲台
チ:観音崎第3砲台
リ:観音崎第4砲台


◆観音崎第一砲台跡
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台座などはなく、休憩場所として整備されていますが、そこここに砲台としての遺構が残されていました。


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第一砲台からしばらく歩くと、灯台のような構造物を備えた建物が見えてきます。
東京湾海上交通センターですね。

ここのそばに観音崎第二砲台跡があります。

◆観音崎第ニ砲台跡
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24加砲は24糎加濃(カノン)砲のことです。

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第二砲台跡は整備もされずにそのままです。
地下弾薬庫らしき遺構は金網でふさがれています。

遊歩道から砲台跡へあがるのも一苦労でした。


◆観音崎第三砲台跡
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砲台跡は遊歩道を普通に歩いているだけではわかりません。
それっぽいところを登ってみて、はじめて撮影したような場所が開けてきます。

しかも砲台とぱっと見てわからないので、よほど軍事に通じていないとわからないでしょうね。

撮影しているときは、はっきりいってホントに砲台跡が自信がありませんでした。


◆三軒家砲台跡
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この場所は三軒家砲台です(`・ω・´)キリッ

と言われても、周囲にそれらしきものはなにひとつありません。

あるのはトイレのみ...

トイレの後ろに不自然な階段があるのを見つけて...

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こんなのがありました。

たしかにそれっぽいですね。

でもこれ以外にはとくに見当たらず...

観音崎公園内を歩いて、一応、これらの砲台をまわってきました。

昼過ぎで日も高い時間帯でしたが、ほどよく日差しがさえぎられ、冷たい空気と風でそれなりに快適でした。ちょっと汗ばみましたが...

一部の遊歩道は登山路っぽいので、歩くときは山登りと同じようにあせらず急がず、自分のペースでいったほうが疲れにくくていいですね。


観音崎といえば、やはり―――

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なので観音崎灯台にも行ってきました。
灯台の上のほうまで昇れますしね。

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これが夜、光を発するわけですね。


灯台の上から―――

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房総半島の陸地に小さく白いのが見えました。
東京湾観音ですね。


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浦賀方面。
手前の陽が当たっている開けた場所は防衞省の敷地。
海上自衛隊の観音崎警備所が置かれています。


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東京湾方向。
さすが世界有数の港湾部だけあって、行きかう船舶の数が多かったです。


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観音崎公園にはこういった場所もあります。


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観音崎を後にして、久里浜、浦賀を通り抜け、最後の目的地である金田湾へ向かいました。


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夕暮れの金田湾。

釣り人を除けば、この時期に金田湾を訪れる人はいません。

なぜ金田湾に来たのか―――

いまから72年前の昭和19年(1944年)11月28日のことです。
その日の午後、この金田湾に航空母艦『信濃』、護衞艦『濱風』、『磯風』、『雪風』がやってきました。

当時、東京はサイパン島から飛来する超重爆B-29の空襲を受けるようになっており、横須賀で艤装中であった『信濃』が空襲を受けることを恐れ、内海西部(呉)に回航する必要が生じました。

『信濃』艦長・阿部俊雄大佐は、東京湾を夕刻出航、列島線を夜間通過して外洋に出るとしました。
これに対し、『濱風』の前川萬衛艦長は米潜の洋上監視能力と雷撃力の高さを幾度となく目の当たりにしており、館山湾に夕刻はいって時間調整をし、翌朝出航、駿河湾をとりあえず目指すべきと主張しました。
これなら陸地側を警戒する必要がなく、對潜警戒も容易であるとのこと。

最終的に阿部艦長の方針が取られ、『信濃』、『濱風』、『磯風』、『雪風』の4艦は28日午後1時半ごろに横須賀を抜錨。金田湾で仮泊したのち、午後6時に金田湾を出航。『信濃』にとって最後の航海に出て行きました。


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72年前、この金田湾に7萬噸級の航空母艦と、歴戦の精鋭驅逐艦群が浮かんでいたんですね。
いまはただ波が打ち寄せるだけ。沖合いもいきかう船は少なく、ひっそりとしていました。


最後に―――
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『天津風』の連装砲ちゃんと魚雷發射管が愛車に乗り込んできましたヾ('ヮ'*)ノ
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