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【直衞艦】秋月型驅逐艦【防空艦】

はおヾ('ヮ'*)ノ

うpデートで実装された家具・ジュークボックスにおいて、先行実装のBGM『秋月の空』といふものがあります。
この曲名を見た瞬間、くろちゃんは単純にも、今秋にはついに新鋭『秋月』型か実装か、と奮い立ったものでありマス。

艦これのやうな擬人化とは無関係で、くろちゃんは帝國海軍艦艇の驅逐艦部門では『秋月』型が大のお気に入り。
洗練された重厚なフォルム、卓越した對空戦力とバランスのとれた砲雷戦能力は、性能面だけでしか良し悪しを判断できなかった当時のくろちゃんにとって、帝國海軍驅逐水雷戦隊ここに極まれり、と勘違いさせるには十分な存在でした。

なので―――

今回の四方山話は、『秋月』型驅逐艦についてご紹介いたします。

なお、本ブログの四方山話系統は、手持ちの資料のみを用いてwikiは一切参考にしていないので、過疎ブログの情報よりもwikiの方が信頼できる、という方々にとっては面白みのない内容となっておりますので、予めご了承ください。


◆『秋月』型驅逐艦
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昭和17年5月17日、京都・宮津灣で公試中の『秋月』

1930年代に入るころから、日本を始め列強諸國の空母戦力と、それに搭載する空母航空兵力、陸上を拠点とする基地航空兵力の躍進が見られるようになり、洋上艦艇にも一定規模の対空火力の整備が求められるようになりました。
いわゆる防空専用艦で、その先鞭をつけたのは英國海軍で、旧式化していたC級巡洋艦に102粍高角砲10門を搭載して防空巡洋艦を完成させました。その後、英海軍は『ダイドー』級巡洋艦、米海軍も昭和16年(1941年)には『アトランタ』級巡洋艦の建造を開始するなど、列強の対空専用艦の整備が急速に進められました。

日本海軍では対空火力を重視した防空専用艦の整備計画は立てられておらず、この種の防空専用艦を護衛に必要としていた航空戰隊には、在来型の雷撃専用驅逐艦が割り当てられており、その任務も空母艦上機の着艦失敗時に不時着水した搭乗員の救助を行なうこと―――トンボつり―――や、艦上機の着艦時の進入航路の目安となる誘導艦的なもので、来襲する敵機をどうこうすることは念頭に置かれていませんでした。

空母の護衛にあたる驅逐艦は対潜・対空がメインであり、魚雷による対艦攻撃は重視されていません。その点を考慮し、対空火力を重視した防空専用艦を整備しようと日本海軍は遅ればせながら昭和13年(1938年)に、《直衞艦》という新艦種の建造整備を計画しました。
軍令部が要求したのは、基準排水量2,200噸、速力35節(時速約64.8粁)、航続力18節(時速約33.3粁)で1萬海里(約18,520粁)、備砲は10糎砲8門、25粍機銃2基、爆雷76箇、航空機救難デリックを備える―――といふものでした。
とりわけ航続力は、同時期に建造が計画された『大鳳』型航空母艦に追躡できるため長大な要求がなされました。

艦政本部が検討したところ、この要求を達成しようとすると、排水量は4,000噸級と小型巡洋艦なみになってしまい、これでは建造期間が延びるだけでなく、建造費もかさんでしまい、さらにより現実的な要因として、既存の機関では35節の速力を達成するのは困難で、新型機関の開発が必須でした。こういったモロモロの事情から、要求項目の見直しが行なわれました。
最終的に、基準排水量2,700噸、速力33節(時速約61.1粁)、航続力は18節で8,000海里(約14,816粁)となりました。

なお、この見直しが実施された際に、これほどの高速艦を空母の護衛だけに使うのではなく、水雷戦隊にも転用できるようにしたい、との軍令部の追加要求もあり、魚雷発射管の搭載が盛り込まれました。
これにより新艦種たる直衞艦から対空力の充実した水雷戦能力のある驅逐艦に類別変更が行なわれ、乙型驅逐艦として建造整備が決定しました。

『秋月』型はマル四計画―――昭和14年度海軍軍備充実計画―――において6艦、マル急計画―――昭和16年度戦時艦船建造及航空兵力拡充―――で追加10艦、さらにマル五計画―――昭和17年度艦船建造補充第一期―――で16艦の建造が予定されていました。
ミッドウェイ海戰後に策定された改マル五計画で23艦の整備が予定されました。
建造はマル急計画の6艦を残して建造取りやめとなり、終戦までに12艦が完成就航しました。

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昭和22年、佐世保えびす灣に繋留中の3番艦『涼月』。姉妹艦『冬月』とともに若松港に防波堤として残っている

完成したのは『秋月』、『照月』、『涼月』、『初月』、『新月』、『若月』、『霜月』、『冬月』、『春月』、『宵月』、『夏月』、『花月』。
これ以外の未完成艦には以下の艦名の付与が予定されていました。

F51計画艦
仮称第367號艦 『清月』
仮称第368號艦 『大月』
仮称第369號艦 『葉月』

F52計画艦
仮称第5061號艦 『山月』/仮称第5062號艦 『浦月』/仮称第5063號艦 『青雲』
仮称第5064號艦 『紅雲』/仮称第5065號艦 『春雲』/仮称第5066號艦 『天雲』
仮称第5067號艦 『八重雲』/仮称第5068號艦 『冬雲』/仮称第5069號艦 『雪雲』
仮称第5070號艦 『沖津風』/仮称第5071號艦 『霜風』/仮称第5072號艦 『朝東風』
仮称第5073號艦 『大風』/仮称第5074號艦 『東風』/仮称第5075號艦 『西風』
仮称第5076號艦 『南風』/仮称第5077號艦 『北風』/仮称第5078號艦 『早風』
仮称第5079號艦 『夏風』/仮称第5080號艦 『冬風』/仮称第5081號艦 『初夏』
仮称第5082號艦 『初秋』/仮称第5083號艦 『早春』

F53計画艦
仮称第365號艦 『満月』


軍令部では改『秋月』型として、速力37節(時速約68.5粁)、61糎六聯裝魚雷発射管を装備した驅逐艦を計画していましたが、これらは計画のままで終わりました。

以下に『秋月』型驅逐艦の基本要目と、帝國海軍主要驅逐艦の排水量、速度、航続力を列記します。

基準排水量:2,701噸
全長:134.2米
全巾: 11.6米
主機:艦本式オール・ギヤード・タービン2基
主罐:ロ號艦本式水管罐(重油専燃)3基
出力:52,000馬力
速力:2軸推進 33節
燃料搭載量:1,080噸
航続力:巡航18節で8,000海里
乗員:263名
兵裝:
65口径10糎二聯裝高角砲4基8門
25粍二聯裝機銃2基
61糎四聯裝魚雷発射管(次発装填装置付)1基4門
爆雷54箇

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◆『冬月』型、『満月』型驅逐艦
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昭和21年11月27日に門司港で撮影の『冬月』
この頃は工作艦として掃海隊を支援していた


『秋月』型驅逐艦は全艦が戦時下に就役しており、逼迫する戦局を反映して、途中の建造艦から工期短縮、即時建造が求められるようになりました。
同時に、戦訓を取り入れた各種小改良を施されて完成した『秋月』型驅逐艦を便宜上、『冬月』型、『満月』型驅逐艦と称しました。

1番艦の『秋月』から6番艦『若月』までは概ね外観は一緒でした。
ただし、3番艦『涼月』は電探裝備のため前檣にフラットを設けるなど、はやばやと艦容に少なからず変化が見られるようになりました。
なお、4番艦『初月』も同様に小改良がなされたと推測されています。

『秋月』檣構造
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画像参考:よろず製作日記

『涼月』檣構造
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マル急計画で建造が始まった『霜月』以降の艦は『秋月』型の後期型となり、とくに8番艦『冬月』以降は戦局を考慮して急速建造できるよう、設計の簡素化が図られました。
おもな変更点としては―――

艦首水線下の艦底部との結合部の曲線を廃し、艦首材と艦底部を直線的に結ぶ形状に改めました。ただし、水線部より上は従来と同じで、徹底した簡素化というかたちではありませんでした。

『秋月』艦首水線下構造
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画像参考:徒然日記2~モデラーの戯言byまいど!

『冬月』艦首水線下構造
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画像参考:空と海の模型部屋

『宵月』艦首水線下構造
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煙突まわりの罐室給気筒も変更されました。
『秋月』から『霜月』までは、煙突後半部の中段に二號・三號罐用のおわん型給気筒が設けられていました。

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画像参考:ご隠居の艦船模型展示室

上の画像の丸で囲った平べったいものがおわん型給気筒。
これを『冬月』以降は煙突側面などの空所を利用したものに改めました。

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戦後、旧海軍舞鶴工廠にて復員輸送の特別輸送艦に改造中の『春月』

上の画像の黄色の丸で囲ったのが、『冬月』以降に設けられた二號・三號罐用給気筒。

艦載艇も『霜月』までの艦は9米内火艇、9米カッター各2艇を搭載していましたが、『冬月』以降はそれよりも小さい7.5米、6米の内火艇が搭載されました。
ちなみに、9米級の内火艇は二等巡洋艦に搭載されているもので、驅逐艦で搭載したのは『秋月』型だけでした。

これら簡素化を目的とした改良が施されて建造された『冬月』以降の『春月』、『宵月』、『夏月』の4艦を、『冬月』型と称することがあります。
艦これで実装された際は、『秋月』から『霜月』までと、『冬月』から『夏月』まで、残る『花月』とで、3人の絵師さんが担当するかもしれないですね。

『夏月』のあとに第13番艦として『満月』の建造が行なわれました。
『満月』は戦局悪化による艦艇不足に対応すべく、艦型、構造、艤装を徹底して簡素化しており、ある意味、改『秋月』型と称しても差し支えないほどで、便宜上、『満月』型1番艦として昭和20年1月3日に佐世保工廠で起工されました。
しかし、起工して間もなく、建造中止が命じられ、解体されることもほかの用途に転用されることもなく、船台上に放置されたまま終戦を迎えました。
一方、事実上、『秋月』型最後の艦として完成した『花月』も徹底した簡素化が取り入れられました。

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昭和19年12月18日、舞鶴沖で公試中の『花月』

『花月』はその徹底した簡素化工事のため、『満月』型2番艦に便宜上分類されるほど各種艤裝などが簡略化されていました。
一方で、近代海戰が空母航空戦に移行した事実を受け入れて、『花月』には竣工時に25粍機銃が三聯裝7基、單裝8基が装備されるなど、対空火力は強化されていました。

工期の短縮については、1番艦『秋月』が竣工までにおよそ2年を擁したのに対し、簡素化を取り入れた『花月』では10箇月半程度にまで短縮されました。


◆艦橋構造
『秋月』型は空母部隊直衛を目的として計画されているため、艦橋もそれにあわせたものにしなければなりませんでした。従来の驅逐艦のやうな砲雷戦仕様の艦橋と、対空防禦を主眼とした『秋月』型の艦橋とでは、内包する機能や用途にはいくつかの相違点がありました。

初の防空艦といふことで、艦橋の形状、施設配置の設計、検討は難航し、艦政本部では複数の原案を実際に造って見てみやうといふことになり、舞鶴海軍工廠内に実物大の艦橋模型を建設しました。
艦橋設計の上で一番の問題は、艦長が對空戰鬪時にどこで指揮を執るか、でした。

現代と違い、戦前はまだ本格的かつ有効性のある電波探信儀は影も形もなく、對空戰鬪は電波の目ではなく、人間本来が持つ最良の監視手段である肉眼に頼らざるを得ませんでした。そのため、對空戦時の艦長の戰鬪配置の居場所は重要でした。

對艦戰鬪であれば、羅針艦橋で指揮を執ることで十分でした。敵洋上艦は水上を航行するため、その監視・把握は容易でした。
しかし、航空機は三次元機動が可能であり、密閉された羅針艦橋の直上に占位されたりしたら肉眼把握がほぼ不可能でした。

艦政本部で技術者、用兵側まじえての検討会が開かれ―――

1.航海時は羅針艦橋で操艦の指揮を執る。對空戰鬪時は艦橋天蓋に設けたマンホール・ハッチを開け、そこから上半身を乗り出して對空戰鬪指揮を執る。
2.測距所と羅針艦橋のあいだにラッタルを設け、對空戰鬪時はラッタルを昇って測距所で指揮を執る。

などといった案が検討されました。
最終的に、艦橋トップの測距所を拡大し、ここに露天の防空指揮所を設け、そこを對空戰鬪時の指揮所にすることでまとまりました。
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艦橋の外観は『陽炎』型や『夕雲』型と同じ塔型ですが、艦尾側に複数の砲を配した従来の驅逐艦と違い、艦首側に2基の高角砲を背負い式に配置している関係上、艦橋の設置位置はやや艦中央部寄りに改められています。
また、背負い式の前部高角砲配置のため、操艦時に前方視界が不良化することを避けるため、『陽炎』型よりもおよそ2米高く設計されました。
艦橋内部も『陽炎』型の二層構造より1層増やし、『夕雲』型と同じく三層構造となりました。
なお、塔型艦橋は下層部が上層部よりやや広がった末広がり型の形状となっています。

艦橋内部配置は以下の通りとなります。

■第一層
艦橋基部前部に艦長室、後部側に予備室。このほかに海図格納所を設置。

■第二層
無線電信室、受信室、暗號所兼通信科倉庫を配置。おおむね通信系統の施設配置となり、電探裝備後は電探室が追加配置されました。

■第三層
羅針艦橋、操舵室、休憩所兼發令所を配置。歩いて前檣に渡れる信號所(旗甲板)が艦橋後部に露天設置されています。
羅針艦橋の天井部には上方を覗く天窓が開けられています。
日本驅逐艦はそれまでは羅針艦橋の直下に操舵室を配していましたが、前述のとおり、高角砲を背負い式に配置しているため、従来のやうにセルター甲板(第二層)に操舵室を置くと、十分な前方視界が得られず、『秋月』型では羅針艦橋配置とされました。

■上部艦橋
日本驅逐艦では羅針艦橋の上を上部艦橋と称しました。
ここには全周にブルワークを設けた露天の防空指揮所が置かれ、防空指揮所前面には遮風装置が取り付けられました。

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上の画像の楕円で囲った部分が遮風装置。
これはブルワーク前面に鋼鈑を取り付け、下方より風を吸引し、上部のノズルから吹き出すもので、いわばエア・カーテンのやうなもの。
この装置により、遮風装置からおよそ30~40糎ほどの高さまでの空間が無風状態になりました。
矢印が示しているの艦隊内連絡用の九〇式無線電話機のアンテナです。

防空指揮所には12糎高角雙眼望遠鏡が前方に1基、指揮所左右に1基ずつの計3基が置かれ、このほか左右に1基ずつ九六式2米測距儀が装備されていました。
指揮所後方には円筒形の九四式高射装置が置かれ、この装置には4.5米測距儀が内蔵されています。
高射装置は2基装備されています。
前部高角砲2基4門を管制するのは艦橋トップの装置。
後部の高角砲2基4門を管制する高射装置は、後檣と3番高角砲に挟まれる位置に塔状のかたちで装備されました。

この高射装置は方位盤と測距儀が一体になったもので、雷撃戦の測距にも利用可能でした。
それまでの驅逐艦が装備していた九一式高射指揮装置に比べて九四式高射装置はかなり複雑精緻に造られており、製造だけでなく、整備や損傷時の修理にも手間がかかるシロモノでした。
そのため、『秋月』型驅逐艦は後部の高射装置を装備せず、そこに對空機銃を増備するなどしました。
なお、『秋月』をはじめ初期建造艦の後部高射装置は外観だけ装備し、内部の装置類は未装着であったと、当時を知る乗員・艤装関係者の証言があります。

九四式高射装置は最大測距距離15,000米と、開戦時の米軍の射撃レーダーMk4FDと同程度の能力を擁していました。ただ、光学式なので、天候に左右される欠点がありました。

便宜上の『冬月』型と『満月』型を含めた『秋月』型完成艦12艦のうち、9番艦の『春月』は司令驅逐艦―――旗艦設備搭載艦―――として、司令部施設の追加が行なわれました。

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司令部施設を備えた驅逐艦『春月』

艦橋後部の旗甲板の下に兵員待機所として追加設備が設けられました。
ここに司令部施設が設けられたのか、ここは文字通り兵員―――司令部要員―――の待機所で、旗艦設備は艦橋内に設置されたかは、確かな資料が見つからないため不明です。

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丸で囲っているところが『春月』の旗艦設備追加部である兵員待機所と称した部位です。
下の画像は、同型の『冬月』の艦橋。『春月』艦橋との差異がはっきりとわかります。

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◆機関系統
空母部隊に随伴する『秋月』型には、前述のとおり、当初は35節の高速性能と、巡航18節で1萬海里もの航続力が求められていました。
驅逐艦は艦の容量の問題からそう多くの燃料が積めず、頻繁に燃料補給の必要がありました。航続力の長さは、手間暇のかかる洋上給油の回数を減らして艦隊運用を効率化させるだけでなく、多量の燃料を積むことは、戰鬪時に高速航行を長時間つづけられる利点がありました。

最終的には速力33節、巡航18節で8,000海里の航続力となりましたが、燃料搭載量は『陽炎』型の600噸級よりはるかに多い1,000噸級となり、高速かつ長距離行動する空母機動部隊に十分追躡できる能力を保持しました。
速力33節も、空母部隊が艦上機の発艦時におおむね30節前後の速度を出すことを考えれば、十分な速度と言えます。

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昭和17年12月、33節で全速公試運転中の『初月』
艦速が従来の雷撃専用艦にくらべて低いため、艦首の波の立ち方が小さいのがわかります


2,700噸といふ、驅逐艦にしては破格の大きさの『秋月』型を33節で疾駆させる機関系統は、『陽炎』型と同種のものがあてがわれました。
前述のとおり、35節の要求速力を満たすには新たに機関を設計せねばならず、完成が遅れる恐れがありました。
そのため、建造面を考慮して在来型機関を採用する運びとなりました。
ただし、主機の減速装置は新規設計となっているほか、回転数も『陽炎』型の毎分380回転から毎分340回転に落としています。
参考文献の一部には、低圧タービンと復水器の形状も異なっているとありますが、確実な資料がないため不明です。

『秋月』型の機関配置は下図の通りで、艦首方向から第1罐室、第2罐室、前部機械室(左舷推進軸)、後部機械室(右舷推進軸)の順に並んでいます。この配置は『島風』と同じものですが、『島風』は3つの罐を装備し、1罐ごとに罐室が設けられていました。
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A:ターボ発電機
B:ヂーゼル発電機
C:低圧タービン
D:主減速装置
E:高圧タービン
F:中圧タービン
G:巡航タービン減速装置
H:低圧巡航タービン
I:高圧巡航タービン


機械室を2つに分けたのは損傷時と浸水時の抗堪性を向上させるためのもので、これをさらに発展させた罐機罐機のシフト配置にしたものが、戦時量産の『松』型驅逐艦に採用されました。
従来の日本驅逐艦は罐室の後方に機械室を配していました。この方法は戰鬪損傷/浸水時に行動不能となる危険が極めて高いものでした。
『松』型の罐機罐機配置だと、罐と機械室が1セットになり、それが前後に計2セット配置されるかたちで、どちらかが損傷浸水で使用不能なっても、もう一方の罐と機械で行動することが可能でした。

機関関係の指揮関係設備も、第1罐室に罐操縦室兼罐部指揮所、第2罐室に罐操縦室、前部機械室に前部機械室操縦室兼機関科指揮所、後部機械室に後部機械室操縦室が設けられていました。

さて、『秋月』型の外観上の特徴の一つに、誘導煙突が挙げられます。
3つの罐から延びた煙路がひとつにまとまり、『夕張』型巡洋艦のやうな形状の煙突を形成しました。このため、戦時中に『秋月』型驅逐艦を目視した連合國軍は、たびたび『秋月』型を『夕張』と誤認したといわれています。

この種の誘導煙突を採用した驅逐艦は『秋月』型だけであり、ほかは『陽炎』型や『島風』などのやうな2本煙突でした。
誘導煙突を採用した理由は、軍令部の要求した魚雷発射管を搭載したことによるものといわれています。


◆對潜/水雷兵裝

『秋月』型驅逐艦は《直衞艦》という新艦種のもと、防空専任艦として設計されましたが、その要求を満たそうとすると小型巡洋艦なみの規模になってしまうことから、再設計が行なわれました。
その際に、用兵側から魚雷発射管の搭載要求があり、水雷兵裝を搭載することで直衞艦から驅逐艦に類別変更がなされたことは前述しました。
防空一本槍でいくはずだった艦になぜ? と思われることでせう。
これには戦前の日本が抱えていた財政難が影響しています。

当時、再設計に際しての協議が行なわれていた際、水雷担当からこういった趣旨の申し入れがあったとされています。
「財政上の制約から十分な海軍力を整備でない帝國海軍としては、これほどリッパな艦が出現するのに、その任務を防空のみに絞ってしまうのは惜しい。海戰の展開次第では、敵艦への魚雷攻撃の機会も有り得ると思われるので、最低限の水雷兵裝の搭載は如何」

空母機動部隊たる第一航空艦隊を創建し、渡洋爆撃で航空力の新時代を切り開いた日本海軍ですが、用兵側や技術者のなかには、まだまだ艦隊決戦への捨てきれぬ思いがあったようです。
もちろん、世界恐慌と大陸での戦火拡大による財政難から、防空艦以外の有力な驅逐水雷戦力の整備がおぼつかない現状では、防空専門艦としてではなく多用途艦として設計し、少しでも融通を持たせたいという考えは間違いではないと思います。

そこで、『秋月』型には九二式四聯裝61糎魚雷発射管四型を1基、搭載することが決定しました。
搭載箇所は煙突後方、機銃~探照燈台座間とし、後部甲板室には次發装填装置を設置しました。なお、この魚雷発射管搭載の影響で、『秋月』型驅逐艦は日本驅逐艦で唯一の1本煙突艦となりました。

魚雷戦の指揮は羅針艦橋とその後方にある発射発令所で行ないます。
指揮装置として、艦橋両舷に九七式二型方位盤2基、見張兼用の発射指揮盤2基があり、前方90度、後方45度の目標に対して方位盤発射が可能でした。
前述したとおり、目標に対する測距は艦橋トップの九四式高射装置を利用しました。

魚雷積み込み用のダビットは左右両舷に設置され、運搬用の軌条は艦尾側4番高角砲の砲身の先にある魚雷頭部取入口付近から始まり、左舷を通って発射管まで延び、そこで弧を描いて右舷のダビット附近まで続いていました。
この運搬軌条は、『秋月』型と途中の『冬月』以降で一部が変更になっています。
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『冬月』以降の建造では、一時、予備魚雷の廃止が予定されていましたが、建造時には予備魚雷とそれを格納する魚雷格納庫はいままで通りに装備されました。
水雷戦用驅逐艦の戰没が相次ぎ、『秋月』型も雷撃戦に参加させようという用兵側からの要望でもありました。

さて―――
この九二式61糎四聯裝発射管は『白露』型以降の驅逐艦に搭載されました。
この発射管は一型から四型までありました。
一型は一等巡洋艦用で、発射管の旋回には人力を用いていました。
三型は乙巡用。『北上』と『大井』の重雷装艦用には、三型をベースに軽量化のため人力旋回とした特別仕様が裝備されました。この特別仕様は旋回範囲も艦首方向から75度と狭く、遠距離雷撃戦を想定したものでした。
驅逐艦用は二型が採用され、旋回には10馬力の空気回転機が搭載されています。これにより、360度旋回に人力で1分52秒もかかった発射管の旋回時間は25秒にまで短縮されました。
さらに艦の左右傾斜15度でも旋回可能で、荒天下でも魚雷戦実施が可能でした。

なお、『秋月』型と戦時量産の『松』型および『橘』型には四型発射管が採用されていますが、外観上は二型と大差ないため、二型と四型の相違点は該当資料が見つからないため不明です。

魚雷の次發装填装置は32秒で再装填が可能であり、発射管を装填位置へ旋回させ、装填し、再度発射位置へ旋回させる時間はおおむね2分以下になったといわれています。

余談ですが―――
予備魚雷無しで61糎五聯裝発射管3基15射線といふ日本驅逐艦史上最強の雷撃力を誇る『島風』には当初、61糎七聯裝発射管2基14射線が計画されていました。さすがに七聯裝は巨大で重量もかさみ、万一旋回動力系が損傷使用不能になった場合、人力旋回が不可能になるため七聯裝発射管は見送られました。

140908e
昭和18年5月ごろサイパンにて撮影の驅逐艦『秋月』

米潜水艦の雷撃を受けて撃破された輸送船『妙法丸』救援のため、ショートランド泊地を出航した『秋月』は昭和18年(1943年)1月19日夜、米潜水艦USS『ノーチラス』SS-168の雷撃を受けて魚雷2本が命中(うち1本は不発)。
ショートランドに帰投したのち、『秋月』は暫定修理を受けるためトラック根拠地に帰還。そこで工作艦『明石』から、1、2番高角砲を撤去するなどおよそ1箇月に及ぶ修理を受けました。
佐世保での本格修理のためトラック根拠地を出港した『秋月』は3月13日にサイパン島に寄港。14日に出港するも、ほどなくして艦橋下キールが破損して艦首が反りあがるといった事態に見舞われました。
輸送船『勝泳丸』に曳航されて15日にからくもサイパンに戻ることができた『秋月』は、同地にて特設工作艦『松安丸』に艦橋取り外しなどの工事を受けました。
艦首部も切断し、佐世保まで曳航していくことも検討されましたが、最終的に艦首部はサイパンの港に沈められました。

上の画像はその時のもので、艦前部の1、2番高角砲と艦橋構造物がそっくり撤去されているのがわかります。

『秋月』は驅逐艦『漣』、『卯月』の護衛を受けて7月5日に長崎に到着。艦首を建造中の『霜月』から流用するなど大規模修理を受けて戦列に復帰できたのは、被雷撃破から10箇月後の11月でした。

このやうに、驅逐艦にとって潜水艦は厄介な相手でした。
一方で、そうした厄介な潜水艦を狩りたてて撃沈するのは驅逐艦の主要な役目でもありました。
空母護衛を主任務とする『秋月』型ですが、空母には敵機のみならず敵潜水艦が忍び寄ることも想定されるため、対潜能力も強化して建造されました。

対潜裝備は艦尾部分に設けられるのが一般的でした。
『秋月』型は艦尾に九四式爆雷投射機を2基装備し、それを前後に挟むやうに爆雷装填台を2基備えていました。さらに艦尾端には爆雷投下台を左右舷に3基ずつ装着しました。この投下台は前1基が水圧式、残りは手動投下式でした。
搭載していた爆雷は九五式爆雷54箇と、在来型驅逐艦よりもかなりの爆雷を搭載していました。

『朝潮』型や『夕雲』型といった従来の驅逐艦は、九四式爆雷投射機1基、爆雷18箇もしくは掃海具なしの場合で36箇でした。
これだけでも、『秋月』型が空母護衛のために對潜能力に力を入れていることがわかります。

九五式爆雷は昭和12年(1937年)制式化の爆雷で、全長77.5糎、直径45糎、重量160瓩(うち爆薬100瓩)の円筒形をしています。沈降速度は毎秒1.9米と遅いですが、円筒形爆雷は各國海軍ともに、概ねこういった遅い速度でした。調定深度は30米と60米の2つでしたが、1940年代を迎える前あたりから潜水艦の潜航能力が向上しており、打撃力の不足が見られました。
さらにこの爆雷は、新型の三式投射機には対応されなかったため、大戦中盤以降は改良型で三式投射機対応の二式爆雷に置き換えられていきました。

九四式爆雷投射機は昭和9年(1934年)に制式化されたもので、両舷投射可能なY字型をしていることからY砲とも呼ばれました。
太平洋戦争の全期間を通じて使用された投射機で、重量も680瓩と軽いため、多くの艦艇に装備されました。

ほぼ全艦が戦時下に完成した『秋月』型ですが、当然ながら建造途中で戦訓を取り入れて裝備形態に変更が行なわれました。
前述の対潜裝備を施して完成したのは、1番艦『秋月』をはじめ、『照月』、『涼月』、『初月』、『新月』、『若月』の6艦で、7番艦『霜月』以降からは爆雷投下台を全廃し、艦尾部に2条の爆雷投下軌条を新設しました。

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画像参考:shimiyan21.cocolog-nifty.com > 2 艦船模型(SHIP) 1/700

この投下台から投下軌条への更新は、『秋月』など先行就役艦でも昭和19年度以降、順次行なわれていきました。昭和20年ごろには、一部の『秋月』型は爆雷搭載数を72個にまで増やしていました。

敵潜水艦を攻撃するためには、まずは敵潜水艦を捕捉しなければなりませんが、『秋月』型は九三式水中探信儀、九三式水中聴音機を1基ずつ、艦体前方艦底部に装備していました。

九三式水中探信儀は音を出し、跳ね返ってくる音を拾って敵潜水艦を探り出す、いわゆるアクティヴ・ソナーです。
昭和8年(1933年)に制式化され、一型(直流)、三型(交流)、四型(潜水艦用)があり、戦時中に五型が登場しました。
設置位置は艦底部の中心線上が好ましいのですが、日本驅逐艦はおおむね左右どちらかに偏って装備されました。そのため、裝備位置とは反対側に対する探知能力は劣っていたとされています。
九三式探信儀は送波器を艦底から突き出し、音波を発振しながら旋回させ、潜水艦にあたって返ってくる反響音の音と強さで潜水艦のいる方位を判定しました。
距離については、発振してから帰ってくるまでの秒時で測定しましたが、驅逐艦の航走音や測定誤差により良好とはいえず、さらに爆雷戦時には爆雷の爆発による損傷を防ぐため、艦内にその都度収容していました。このため、敵潜攻撃時には探信儀を使わずに手探りの状態で爆雷を投下していました。

戦争中、獨逸(ドイツ)との技術交流により、探信儀に整流覆いを取り付けることで、水流による雑音を防止し、航行時の探知能力や探知速度を向上させました。
『時雨』や『五月雨』に装備されたことは図面が残っていることから判明していますが、『秋月』型の九三式探信儀にこの整流覆いが取り付けられたのかは資料がないためわかりません。
この整流覆いはもともとは三式探信儀用でしたが、ほどなくして九三式探信儀の送波器にも取り付けられました。

輕便探信儀―――三式探信儀を小型化したもの―――用の記録式距離指示器もまた、戦時中に九三式探信儀に対応できるようになりました。
これは探知結果を記録し、距離を測定しつつ對勢判断を行なうもので、いままで聴覚を頼りにしてきた測距方式を視覚式に変更した、当時としては画期的なシステムでした。
『満潮』、『濱風』がこれを装備したことは戦時日誌から判明していますが、整流覆い同様、『秋月』型が装備していたのかは資料がないためわかりません。

九三式水中聴音機は、獨逸の保式水中聴音機をモデルに昭和9年ごろに開発されました。
聴音機は文字通り敵潜水艦の艦内音や機関音といった音を聞いてその存在を知る裝備で、いわゆるパッシヴ・ソナーです。
聴音機もまた、搭載艦自身の航行音や水流雑音などに疎外されて性能が良好とはいえず、大戦末期にようやく四式聴音機が完成しましたが、すでに時機を失していました。
聴音機は敵潜の音を聴くだけでなく、敵潜の魚雷発射音を聴くこともできるため、驅逐艦だけでなく、戰艦や主力航空母艦などにも順次、装備されていきました。


◆電波兵裝
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昭和19年10月25日、エンガノ岬沖海戰で米空母機の攻撃を受ける瑞鶴と護衛艦・若月

太平洋戦争、さらには第2次世界大戦は航空力と潜水艦、そして電波技術の戦いでもありました。
艦これ職人のお歴々はすでにご承知ですが、電波兵器開発に於いて、基礎研究開発に関しては、日本は決して列強諸國に後れを取ってはいませんでした。
当時のレーダー技術に欠かすことのできない指向性アンテナは、東北大学の八木秀次、宇田新太郎によって開発されており、米英軍は敵國である日本の開発技術を駆使して、太平洋戦争の電波戦で勝利をつかむことができました。

肉眼よりもはるかに遠い位置にいる目標を捕捉できる利点は計り知れず、それはとくに航空戦において欠かすことのできない兵器となっていきました。
洋上を時速にして40粁から50粁で走る艦隊と違い、その10倍以上の速度で移動できる航空機は、相手に防衛態勢の準備を整えさせる前に攻撃位置に展開することが可能でした。
攻撃に脆い空母にとって、いかに遠距離で敵を捕捉できるかが、生死の分かれ目でもありました。
敵を遠方で捕捉するには、護衛の艦艇に對空監視用電探を搭載させ、空母から遠く離れた海域に進出させる必要がありました。いわゆるレーダー・ピケット艦で、米海軍は大戦末期、日本軍の神風攻撃に手を焼き、早期に神風機の侵入を捕捉すべく、ピケット艦を広範囲に投入して早期警戒網を構築しました。

では、『秋月』型の電波兵器事情はどうであったか???
空母の護衛にあたる新鋭護衛艦であるため、はやい段階から電探裝備は計画されました。

昭和17年の春ごろに完成した1番艦『秋月』は電探未搭載で聯合艦隊に配備されましたが、昭和17年の暮れごろに完成した3番艦『涼月』からは、艦橋後部の前檣の形状を変更して電探裝備を可能とし、艦橋にも電探室設けるなどの改良を施しました。

初期のころの『秋月』型は、對空監視用の二一號電探を装備しました。
この電探はアンテナが大きいためにもっぱら大型艦に搭載され、驅逐艦でこれを装備したのは『秋月』型だけでした。

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終戦後の『宵月』。全檣に二二號電探、後檣に一三號電探を装備しているのが確認できます

大戦末期、昭和19年末に完成した9番艦『春月』からは、二一號電探を撤去し、かわりに對水上監視用のラッパ型をした二二號電探を裝備し、對空用には細長い形状の一三號電探を前後檣に装備しました。
なお、後檣への一三號電探裝備については、『春月』と『花月』は写真が残っているため、建造時から装備していることが確認できますが、ほかの『秋月』型が装備したかについては確かな資料がないため不明です。

■二一號電探
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正式名称は二號一型電波探信儀。
波長1.5米の對空捜索監視用メートル波レーダーで、最大感度方式を採用し、單機ならおよそ70粁、編隊ならおよそ100粁の探知距離を持っていました。
昭和17年の春ごろには試作品が銚子などに設置されたほか、ミッドウェイ海戰時には『伊勢』にも搭載されました。

上の画像のやうに大型の格子状アンテナを用いており、『秋月』型以外の驅逐艦や小艦艇に搭載されることはなく、もっぱら巡洋艦以上の大型艦に装備されました。
大戦末期まで各種小改良を加えながら、比較的安定した動作と信頼度から、初期の日本海軍艦載電探としてはまずは十分な効果を示しました。

大戦末期になると、後述する一三號電探が小柄ながら良好な性能を発揮したこともあり、昭和19年末ごろには順次、『秋月』型から撤去がはじまりました。

なお、二二號や一三號と違い、レーダーと聴いて誰もが思い浮かべる形状をしているレーダーです。


■一三號電探
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制式名称は一號三型電波探信儀。
昭和16年ごろから、日本海軍は電波兵器の研究開発を本格化しており、陸上設置型の大きく嵩張る一號一型對空捜索電探の運用を始めていましたが、陸上なら何とかなるものの、容量に厳しい制限がある艦上で使うにはあまりにも大きすぎました。
そこで開発されたのが、軽量化を目指した對空捜索用の一號三型電探です。

一三號電探は出力10キロワット、波長2米のメートル波レーダーとしては平凡な能力でした。
しかし、民間のラヂオに用いる粗末な造りの真空管すら、安定した品質での量産ができない日本にありながら、對編隊でおよそ100粁、敵機が電波を輻射していれば、300粁近い遠方から捕捉することができる優秀な對空監視用電探でした。

陸上への設置が容易なだけでなく、大型艦以外の小艦艇にも搭載できる一三號電探は、110瓩程度の重量しかなく、分解梱包すれば人力ですら運べるという利点から、大戦末期には相当数の艦艇に採用装備されました。

終戦までに2,000基以上が生産されており、大戦末期の日本海軍の主力を務めた驅逐艦などの小艦艇の主力電波兵器として活躍しました。

『秋月』型は二一號電探をおろし、前檣の高い位置に1基を装備したほか、後檣にも上の画像のやうに装備されました。


■二二號電探
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正式には二號二型電波探信儀と呼ばれ、より精度の高い波長10糎のセンチ波レーダーとして登場しました。
對水上監視用の電探で、大型艦であればおよそ35粁、小型艦で17粁程度の探知距離がありました。

上の画像では左側の喇叭のやうな形状をしたのが二二號電探で、一般の人が思い描くレーダー形状とは大きくかけ離れた外観をしていました。

開発初期や運用開始直後は、出力も不安定で精度も悪く信頼性に乏しいなど兵器としては欠陥品でしたが、ミッドウェイ海戰時には濃い霧のなかでの航行で友軍艦艇の位置を捕捉できるなど、戦闘以外での有用性が認められました。

二二號電探が電波兵器としてようやく安定した性能を発揮できるようになったのは、昭和19年にはいって生産された二二號電探改四からでした。
とはいえ、開戦から3年が経とうとする時期になって配備された電探ですが、この段階でようやく開戦時に米英軍が利用していたレーダーに匹敵する水準に達しただけなので、電波兵器としては米英に対し劣っていることは否めませんでした。

それでも、昭和19年10月の捷一號作戰では對水上艦の電探射撃を実施したほか、『妙高』が夜間浮上中の敵潜水艦に命中弾を浴びせるなど、それなりの活躍を見せた電探でした。

水上監視用としては使い勝手が良かったこともあり、終戦までに1,000基以上が製造され、大型艦や『秋月』型、『島風』といった主力驅逐艦のみならず、旧い『峯風』型驅逐艦など多くの艦艇に装備されていきました。

なお―――
二二號電探は戦後もしばらく使用されました。
ミッドウェイ海戰時やキスカ撤収時に威力を発揮した、視界の利かない闇夜や濃霧での味方艦船の位置特定に成功したところから、復員輸送艦船や戦後の食糧事情改善のための捕鯨船にまで装備され、1950年ごろまで使用されたそうです。


◆砲熕兵裝
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ソロモン海域で對空戰鬪中の『秋月』もしくは『照月』

『秋月』型驅逐艦の備砲は、《長10糎高角砲》と俗に言われる九八式65口径10糎二聯裝高角砲。艦これでは一部の驅逐艦を改にすることで入手できるほか、12糎7砲を凌駕する性能の開発可能な驅逐艦用主砲として実装済みです。

ちなみに、65口径という数値から長砲身の高角砲と認識されがちですが、実際には在来の驅逐艦に搭載された三年式12糎7二聯裝砲の50口径砲と比べてもさして長いとはいえません。
12糎7砲の砲身長は、12.7糎×50で635糎。つまり6.35米。
10糎高角砲は10糎×65で650糎。つまり6.5米。
その差はわずか15糎で、『秋月』型驅逐艦と『吹雪』型や『陽炎』型の驅逐艦が舳先を並べて碇泊しているときに砲を眺めてみても、10糎砲の砲身がそれほど長いと感じることはないでせう。

さて―――
太平洋戦争全期間を通じて、日本海軍の主要な対空砲―――高角砲は八九式12糎7高角砲でした。
主砲発砲時の爆風除けの鋼鈑で鎧われた『大和』型戰艦搭載の高角砲、空母や一等巡洋艦、戦時量産型驅逐艦や特務艦艇などに搭載された、砲操作部がむき出しのままの高角砲など、終戦のその日まで使用された高角砲です。

食糧事情などから戦前の日本人の平均的な体格はいまよりも小さく、平成時代の若者なら軽々と扱える127粍砲弾も、当時では重い部類に属する砲弾でした。15糎副砲を搭載した『金剛』型以降の日本戰艦に14糎副砲が装備された理由の一つが、当時の日本人でも扱える砲弾重量だからでした。

日本海軍は八九式高角砲採用から4年後の昭和8年(1933年)、軽量で初速のある次期主力高角砲の研究開発を開始しました。
最初のモデルとして、70口径10糎砲を開発。砲身長7米はかなりの長さですが、砲身長9.3米にもなる『最上』型二等巡洋艦搭載の60口径15糎5三聯裝主砲を開発するなどしており、砲身長7米は決して実現不可能な長さではありませんでした。
最終的に65口径に落ち着きましたが、この口径削減には砲身を含めた高角砲全体の総重量など、いくつかの要因がありました。

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以下に、八九式12糎7高角砲と九八式10糎高角砲の要目を簡単にですが提示します。

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布哇へ向け進軍中の空母『赤城』にて八九式高角砲の操砲訓練

10糎砲はその型式数字からわかるとおり、皇紀2598年―――つまり昭和13年(1938年)に制式裝備として採用され、同年以降の計画艦に搭載されることが決まりました。

二聯裝砲架は空母用のA型、波除けの楯がついた大型艦舷側配置用のA型改一、煤煙除の楯がついた空母用のA型改二、主砲発砲時の爆風から保護する楯を備えた戰艦用のA型改三がそれぞれ開発されました。
A型とA型改二は『大鳳』型、A型改一は『大淀』にそれぞれ搭載されました。
A型改三は戰艦『信濃』用に開発されましたが、空母への改造が決まったため裝備はされませんでした。

砲塔は『秋月』型用にA型二聯裝砲塔が開発されました。
この砲塔は『秋月』型のほかに航空母艦『信濃』にも搭載が予定されていましたが、装備することなく『信濃』は本州南岸にて戦没しました。
このほか、『高雄』型一等巡洋艦の近代化工事計画でこの砲塔の裝備が検討されましたが、実現はしませんでした。

10糎高角砲の1門あたりの発射速度19發/分はいわば計算上のものであり、実際の発射速度はこれよりも低い14~15發/分であることが、『秋月』型驅逐艦の乗員や関係者の方々によって明らかにされています。

砲塔下部の弾庫から砲弾を揚げる揚弾機の能力は1門あたり最大で15發/分しかなく、1分間に15發の砲弾を砲塔内に運べるのが限界なのに、それを上回る発射速度で撃てるわけがありません。
ただ、砲塔内にはあらかじめ、予備の弾丸が20發用意されており、一時的なものであれば、毎分19発の発射速度―――二聯裝で38發は実現可能です。

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10糎高角砲は米海軍の主要な対空砲である5吋38口径二聯裝両用砲Mk12と比べても遜色ない性能を誇っており、米海軍も高い評価を与えていました。

残念ながら、当時の日本には、米海軍が保有したやうな高性能高品質の捜索電探、射撃管制電探がなく、近接自動信管のやうな科学技術の粋を凝らした対空兵器システムもないため、せっかくの優秀な高角砲もその能力を存分に発揮することはできませんでした。

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USS『エセックス』CV-9搭載の38口径Mk12両用砲


余談ですが、この九八式10糎高角砲は戦後、ある艦に搭載され、長らく使用されてきました。

その艦とは―――

日本海軍屈指の殊勲艦であり、幸運艦であり、聯合國側へ引き渡された際、敗戦國の艦艇とは思えないほど丹念に整備され、聯合國側関係者を驚嘆させた驅逐艦『雪風』です。

『雪風』は戦後、賠償艦として中華民國(現・臺灣政府)に引き渡され、DD-12『丹陽』と改名されました。
武裝をすべて撤去した状態で引き渡された『雪風』こと『丹陽』には、日本軍より接収した艦載裝備が施されました。
ちなみに、このころの中華民國は蒋介石の國民党と毛沢東の共産党による内戦状態にあり、共産軍に奪取される危険があり、大陸より臺灣に回航されました。この回航に手間取っていたら、『雪風』の錨などは決して日本に里帰りすることはなかったことでせう。

臺灣で『丹陽』には日本軍より接収した12糎7二聯裝砲、25粍機銃などが装備されました。
権威ある海軍資料であるジェーン海軍年鑑によると、『丹陽』には12糎7二聯裝砲1基(艦前部)、12糎二聯裝砲2基(艦後部)、25粍二聯裝機銃4基を装備したとなっています。

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『丹陽の後部の砲塔2基が九八式10糎二聯裝高角に換装されている

上の画像は米海軍が昭和30年(1955年)5月に撮影した『丹陽』で、後部の砲塔2基が九八式10糎高角砲になっています。
ただ、この高角砲の外装は日本海軍が用いた九八式10糎高角砲と細部が異なっており、中華民國海軍でなんらかの回収工事を行なったものと思われます。

九八式10糎二聯裝高角砲は昭和15年から終戦までに175門が製造されており、このうち完成した『秋月』型12艦に96門が提供され、空母『大鳳』に12門、巡洋艦『大淀』に8門が渡され、残りが未完成艦や要地防禦に利用されました。
記録にあるかぎりでは、南部の要港・高雄港に九八式10糎二聯裝高角砲2基が防空用に設置されていたとあるので、高雄港のそれか若しくは別の場所で接収した九八式10糎高角砲を搭載したものと思われます。

九八式10糎二聯裝高角砲をはじめ、『丹陽』に装備された旧日本海軍裝備は昭和31年の改装で米軍裝備と交換され、『丹陽』はその10年後に予備役に入り、昭和45年除籍、翌年解体され、日中両軍あわせておよそ30年の艦歴に終止符を打ちました。

艦これで『雪風』改二がきたら、艦名『丹陽』で長10糎高角砲の改良型を装備してくるのかもしれないですね。


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ギマラス泊地を出撃する一等巡洋艦『摩耶』の25粍三聯裝機銃ごしに驅逐艦『秋月』、『初月』、『大鳳』を見る

日本海軍が保有した機銃で代表となるのは、佛蘭西(フランス)のホチキス社製機銃を参考とした九六式25粍機銃になります。
二聯裝、三聯裝のほか、戦時中に單裝が開発されて多くの艦艇に装備されたほか、試作だけですが四聯裝機銃も造られました。
初速は毎秒900米、発射速度は毎分260發。
二聯裝と三聯裝機銃には発射銃を選択できるペダルが射手の足元にあり、全門斉射と左銃のみ発射、右銃のみ発射を切り替えることができました。
火力重視なら全門発射、射撃時間確保なら左右銃発射といった切り替えで運用されました。

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25粍二聯裝機銃。遠方の艦は第六戰隊一等巡洋艦『古鷹』と『青葉』

25粍機銃は射程が短く、威力も低いとして旧軍関係者からの評判は芳しくありませんが、対戦相手の米軍からは、日本陸海軍が保有する對空用機銃のなかでもとくに注意すべきとみなしていました。

二聯裝、三聯裝は戰艦、空母、巡洋艦、驅逐艦、潜水艦、海防艦、輸送艦船など多くの艦艇に搭載され、驅逐艦のなかには魚雷兵裝や備砲の一部を撤去してこの機銃を増備したものもありました。

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對空戦闘訓練中の『大淀』搭載25粍三聯裝機銃。後方の高級将校は豊田副武聯合艦隊司令長官

『秋月』型は当初、魚雷発射管前方に25粍二聯裝機銃を2基装備した状態でしたが、3番艦『涼月』、4番艦『初月』からはそれを三聯裝に交換し、煙突両側に1基ずつ増強して計4基を装備した状態で完成しました。
『涼月』、『初月』、『若月』は昭和18年以降、九四式高射装置の生産が思うようにいかず、後部高射装置を撤去し、そこに三聯裝機銃を1基配置しました。
『霜月』と『冬月』は完成時から後部高射装置を機銃に換装した状態でした。

その後、戦訓を取り入れて対空裝備の充実が急務となり、單裝機銃の追加搭載が順次、行なわれていきました。
昭和19年6月の”あ”號作戰(通称マリアナ沖の海戰)のころには、実施部隊所属の『秋月』型は25粍三聯裝5基、單裝14基前後を装備していました。

昭和20年にはいると、さらに機銃の増強が行なわれ、司令驅逐艦『春月』以外の艦は艦橋両側に三聯裝を1基ずつ増備して計7基に強化。單裝機銃もさらに増強され、『大和』沖縄特攻に参加した『涼月』の場合だと、單裝機銃の搭載数は29基にまで達し、艦上のあらゆるところに對空機銃が装備されていました。


以上―――
『秋月』型驅逐艦について軽くですがご紹介しました。

艦これではまだ未実装の『秋月』型ですが、日本海軍の本格的防空洋上艦として設計・完成した大型驅逐艦であり、その知名度は搭載砲とならんで屈指です。
完成艦も12艦ですので、結構な数の艦がくるかもしれないですね。

前にも書きましたとおり、細かく分類すると『秋月』型は『秋月』型、『冬月』型、『満月』型の3種にわかれるので、3人の異なる絵師さんが書いてくれるかもですね。
どんな風になるかはわかりませんし、秋のイヴェントで実装されるのか冬イヴェントになるか―――
アニメ放送記念でのミニ・イヴェントで来るのか―――

いずれにせよ、はやく『秋月』型姉妹に逢いたいものであります。



壁|'-')ノよいお年を。
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コメント

Re: NO TITLE

> 初めて拝見させて頂きましたが、とても読みごたえがあり興味深いです
> 参考文献にはどういったものをお使いになっているのでしょうか

駄文、拙文の本ブログ内記事を読んでいただき有難うございます。

参考文献は駆逐艦系統の写真集、図面記録、乗員の方々の証言などの書籍、一部は祖父の家にあった旧海軍資料も参考にしました。

NO TITLE

初めて拝見させて頂きましたが、とても読みごたえがあり興味深いです
参考文献にはどういったものをお使いになっているのでしょうか

Re: NO TITLE

> とっても面白いです、勉強になりました。
駄文、拙文ですが読んでいただき感謝であります。

NO TITLE

とっても面白いです、勉強になりました。

Re: NO TITLE

ぜかまし司令長官江
> 機関銃のペダルとの連動についてはhttp://sakigakesamurai.blog46.fc2.com/の研究家による功績だそうです

おほ、参考ありがとうございます。
こういったブログとかを作成時に見ていればよかったと悔やまれます。

25粍機銃だけでこの情報量...

感服です。

NO TITLE

機関銃のペダルとの連動についてはhttp://sakigakesamurai.blog46.fc2.com/の研究家による功績だそうです

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