徒然なる戰藻錄

WoTとWoWSをプレイしているところなのです

隼鷹改二が確定らしいので戦時中の隼鷹を……

はおヾ('ヮ'*)ノ

夏季イヴェントも終わり、現在、メンテ真っ最中です。

本日のメンテで商船改造の特設空母の改二がくるとのこと。
主力空母に劣らぬ活躍―――といふ点で、排水量2萬5000噸級と中型空母並みの威容を誇り、アリューシャン作戰からソロモン諸島での空母戦、マリアナ沖での史上最大の空母決戦である"あ"號作戰まで戦い抜き、終戦まで生き残った『飛鷹』型2番艦『隼鷹』であることは確定的に明らか。

なので―――

今回は戦時中の実際の『隼鷹』に関する画像をいくつかご紹介いたしませう。


傾斜試験中の特設航空母艦『隼鷹』
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左舷艦首方向から艦橋方面を望んだもの。商船改造とはいえ2萬5000噸級の排水量を誇る『隼鷹』の飛行甲板の大きさがわかります。
手前にあるのは対空戦闘時に飛行甲板に仮設する25粍單裝機銃。二聯裝、三聯裝にくらべて取り回しが容易なこともあり、命中精度は良好だと言われています。


佐世保工廠入渠中の『隼鷹』
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昭和19年12月、輸送任務を終えて佐世保へ帰投中に米潜水艦の雷撃を受けた『隼鷹』は、そのまま佐世保工廠に修理のため入渠しました。
下の方に見える人の大きさと比較しても、魚雷命中による破孔の大きさ、破壊力のほどがうかがえます。


あ號作戰より帰投中の『隼鷹』艦橋
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昭和19年6月中旬、サイパンを巡る史上最大規模の空母決戦であるあ號作戰―――通称マリアナ沖海戰―――で敗退し、後退中の際に撮影されたと思われる一葉。
艦橋の窓が、一昔前の鉄道の窓のように引き下ろす形状となっているのがわかります。
艦橋に通じる扉にヒカの字がありますが、非開放の意味ではないかと言われていますが実際は不明です。
窓の上下に張られているのは防弾片装置のロープ。


あ號作戰で被弾した『隼鷹』艦橋
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前の画像と同じく、あ號作戰を終えて後退中に撮影されたもの。
『隼鷹』は昭和19年6月20日夕刻、米機動部隊攻撃機の爆撃を受け、『飛鷹』型の特徴でもある艦橋一体型傾斜煙突を跡形もなく吹き飛ばされました。
画像左の二一號電探の右に煙突がありました。


被弾損傷した『隼鷹』艦橋
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右舷後部より艦橋を撮影したもの。
右舷に傾斜して聳えているはずの煙突が存在せず、排煙の黒煙から煙突の所在がわかります。
艦橋後部の三脚信号檣の基部に通信機のような装置が見えます。これは機銃通信器と呼ぶもので、至近に設置されている25粍機銃群に、対空射撃に必要な諸元を伝えるためのものです。
左手前の白い作業服姿の乗員の右側に2つの筒状のものがあります。これは12糎7二聯裝高角砲で、右舷方向だけでなく、ぐるっと旋回して左舷方向にも射撃できることがわかります。


『隼鷹』の損傷した三脚信號檣を修理中
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被弾により傾斜煙突が消し飛んだほか、艦橋上部のループ・アンテナも著しく破損しているのがわかります。
『隼鷹』への直撃弾は2発で、艦橋への着弾であったため飛行甲板に破孔が生じるなどの被害はありませんでしたが、着艦制動索が切れるなどして飛行作業はできなかったそうです。
なお、この爆撃により『隼鷹』は53名の戦死者を出しました。


終戦後、解体作業中の『隼鷹』
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『大和』の沖縄特攻にも参加が計画されていた『隼鷹』は、内地に留め置かれたまま終戦を迎え、佐世保にて解体作業がすすめられました。
上の画像ではすでに飛行甲板が撤去され、空母の面影はありません。
『隼鷹』の解体工事は昭和22年8月1日に完了しました。


放水試験中の『隼鷹』
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昭和19年5月、あ號作戰に備えて防火裝備の試験中の『隼鷹』。
ミッドウェイ海戰の敗北後、可燃物の撤去が不十分なまま空母として聯合艦隊に引き渡された『隼鷹』は、戦訓を取り入れて可燃物の撤去、防火・消火設備の増強などを行ない、耐火能力の高い空母に生まれ変わりました。
上の画像にあるように、飛行甲板には従来にもまして多数の消火ホースが配備されました。


防空指揮所に集まった見張員ら『隼鷹』乗員
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昭和17年10月にトラック環礁にて撮影されたもの。
防空指揮所は文字通り防空戦の指揮を執る場所で、遮蔽物などない露天甲板になっていました。そのため、ひとたび爆撃や機銃掃射を受けると配置人員の死傷者は相当なものになりました。
あ號作戰時に艦橋に被弾、煙突が消し飛ぶほどの被害が生じ、防空指揮所でも相当数の配置人員が戦死しました。


昭和18年を迎える前に『隼鷹』艦内で餅をつく乗員たち
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昭和17年12月30日に撮影されたもので、新年を迎えるにあたって艦内で盛大に餅つきが行なわれました。
この2箇月前の南太平洋海戰で、米空母群を痛撃撃破したことでミッドウェイの仇をとったとして、『隼鷹』、『飛鷹』を基幹とする第二航空戰隊の士気は非常に高まっていました。
画像にて杵を持っているのは、闘将の誉れ高い角田覚二第二航空戰隊司令官。


無線檣を修理中の『隼鷹』
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あ號作戰後の撮影で、左舷後部の起倒式無線檣を修理しているところ。
ガダルカナルを巡る攻防戦中に『隼鷹』を指揮していた角田司令官は、あ號作戰当時は基地航空部隊である第一航空艦隊司令長官としてテニアン島に駐留。昭和19年7月31日に訣別電を打ったあと玉砕戦を展開し、テニアン島の日本軍守備隊の組織的抵抗は8月3日に終了しました。


『隼鷹』の右舷見張所
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あ號作戰後の撮影で、右舷張り出し部に設けられた見張所の模様。見えにくいですが画像の右に排水孔の文字が書かれているのがわかります。この真下は海で、排水孔からそのまま海面に排水できるかたちになっています。
設置されている双眼鏡は水上見張用の12糎双眼望遠鏡。その左に置かれている探照燈のように見えるものは30糎信號探照燈。


戦後の『隼鷹』
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空母の両舷には張り出し式の機銃座、高角砲座が設けられていました。このうち、艦首に近い位置の砲座の基部は、艦首波が打ちつけるためか、防護のために鋼鈑でよろわれていました。
上の画像はぼやけてに見にくいですが、右側の艦首側砲座基部が鋼鈑で覆われています。
舷側に横付けされているのは潜高小と称した『波號第二〇一型潜水艦』。


『隼鷹』の艦橋
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『飛鷹』型航空母艦には日本空母として初の試みである艦橋一体型傾斜煙突を採用しました。
この種の傾斜煙突は『飛鷹』型、『大鳳』、『信濃』に採用されました。
『翔鶴』型と並んで戦争中盤以降、日本機動部隊の主力を務めた『隼鷹』には、有力な電波兵器が装備されました。
上の画像の左の檣には一號三型電波探信儀、煙突の右側には二號一型電波探信儀が装備されているのがわかります。


傾斜試験中の『隼鷹』
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昭和19年5月3日に撮影。あ號作戰に備えてのもので、傾斜試験とは艦が傾斜した際、各種兵器や裝備の作動の有無、作動しない場合の復旧方法などを調査、検討するために実施されました。
上の画像では、飛行甲板後部の隠顕式(昇降式)探照燈が右舷艦尾側飛行甲板上に見えます。左舷側には探照燈を撤去し、あらたに對空監視用の二號一型電波探信儀を装備しましたが、艦橋上と違って設置位置が低いため、艦橋に設置されたものと形状がやや異なっています。


『隼鷹』飛行甲板
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左舷中部の機銃座から艦首方向を写したものです。
手前側に赤と白のラインが描かれています。このラインは現在確認されている各種資料に於いて、『隼鷹』でしか確認されていないものです。
航空機整列位置を示すものと推測されますが、ほかの日本空母では白線で示していました。『隼鷹』だけが赤と白を交互に配したラインを敷いていたのかは不明です。



壁|'-')ノよいお年を。
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