徒然なる戰藻錄

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実写真で見る北方作戰

はおヾ('ヮ'*)ノ

今季イヴェントは北方アリューシャン列島方面、ミッドウェイ方面の2正面同時作戦となっています。

とりわけ、MI作戰ことミッドウェイ作戰は、太平洋戦争における日本側の主導的立場を阻喪せしめた点で、まさに太平洋戦争の分水嶺ともいえる戦いです。

一方、北方アリューシャン方面作戰は、ミッドウェイ海戰の大規模空母戦にかき消されがちで、せいぜいが昭和18年のアッツ島守備隊玉砕、キスカ島からの奇跡の撤退で脚光を浴びるぐらいです。

そこで今回は、ミッドウェイ海戰を前後して北方戦域で行なわれた日本軍艦艇の動きなどを、かいつまんで実寫眞でご紹介しやうと思います。


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昭和17年2月上旬、千島列島北部、幌筵島にて軍艦旗掲揚中の二等巡洋艦『多摩』

『多摩』は北方戦域を担当とする聯合艦隊第五艦隊に属しており、同艦隊にはほかに『木曾』が配備されていました。
両艦とも昭和17年当時には旧式化著しい状態にありましたが、4月に巡洋艦『那智』が配備されるまでは、厳しい寒さ、濃霧、荒天に見舞われる北方戦域で中核戦力として活躍しました。
とくに、重雷装艦への改造が計画されていた『木曾』は水上機用射出機を装備しておらず、昭和17年初頭、第五艦隊で唯一の航空戦力を備えていたのは『多摩』1艦だけでした。


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昭和17年5月26日、アリューシャン作戰支援のため大湊を出撃する第21驅逐隊の驅逐艦『初霜』

北方作戰のため給油作業を終えて出港するところを、第五艦隊旗艦である一等巡洋艦『那智』より撮影。
『初霜』は開戦以来、南方方面に展開していましたが、昭和17年4月に佐世保の帰投。修理点検ののち、『阿武隈』を旗艦とした第一水雷戦隊(第6、第21驅逐隊所属)とともに北方作戰に従事し、以後、1年以上にわたりアリューシャン方面での船団護衛などの任に就きました。

『初春』型驅逐艦で唯一、終戦まで生き残った『初霜』は、昭和20年7月30日、日本海側の京都府宮津湾でB-29が敷設した機雷に触れて航行不能となり、天橋立の対岸の獅子崎の砂浜に座州しました。
昭和20年4月の『大和』沖縄特攻にも参加し、生還した4驅逐艦のなかで唯一の被害、戦死者なしの幸運に恵まれた殊勲の驅逐艦でした。


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当時、阿頼渡富士と呼ばれた阿瀬渡島を背景に幌筵島に碇泊中の一等巡洋艦『那智』

昭和17年6月2日、『那智』は給油を終えたのち幌筵島を出撃。アリューシャン列島南方を遊弋しつつ米海軍北方部隊の邀撃に対応できる態勢をとっていました。
そのころ、はるか南方のミッドウェイ島沖では、『赤城』以下の主力空母群が撃破炎上していました。


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特設水上機母艦『君川丸』艦上の零式水上偵察機群

昭和17年5月上旬、来るべき北方作戰における北太平洋戦域の米軍情報が不足していた日本海軍は、水上機母艦を配備しての極秘の北方偵察作戰を開始しました。
この作戦は『君川丸』と護衛の二等巡洋艦『木曾』のみで実施されました。

5月の北太平洋は荒れており、上の画像のやうに、艦上には雪が積もり、激しい風が吹いていました。
画像では見にくいですが、主翼の前縁に竹竿をとりつけています。強風によって主翼に浮力が発生して機体が浮き上がるため、気流を乱すために取り付けられました。
零式水偵の垂直尾翼のX-7のXは、『君川丸』所属機を示しています。


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大湊に碇泊中の特設水上機母艦『君川丸』

『君川丸』はアリューシャン方面への事前偵察以降、AL作戰におけるアッツ島、キスカ島攻略の航空偵察支援を行ない、その後もアリューシャン方面への輸送任務に従事しました。

『君川丸』はもともとは紐育(ニュー・ヨーク)航路に投入される高速貨物船として建造されていましたが、昭和16年7月に海軍に特設水上機母艦として徴用されました。


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偵察任務を終えて帰投し、流氷浮かぶ海上から引き揚げられる零式水上偵察機

『君川丸』と護衛艦『木曾』は昭和17年5月11日、キスカ島南方から零式水偵を発進させ、キスカ島の写真偵察を実施しました。
この北方偵察は無線封止の厳重な通信管制のもとで実施され、偵察機の帰投、回収に困難が予想されていました。


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隠密偵察を終えて歓声を上げる『君川丸』乗員

荒天と偵察機回収の難しさから損害を予想していた艦隊は、キスカ島の偵察を無事に終え、北方方面の主要な情報を手に帰投。5月18日に無事、大湊に凱旋帰還しました。


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キスカ灣の九七式飛行艇

日本軍は昭和17年6月7日夜にアッツ島、キスカ島に上陸を開始。米軍の抵抗らしい抵抗を受けることなく両島を占領確保しました。
キスカ島はアッツ島よりも北太平洋の米軍根拠地であるダッチハーヴァーに近いため、日本軍は同島の防備態勢の構築を急ぎました。
8日にはキスカ湾内の掃海作業を終え、9日には通信施設の設営を完了。13日までに水上機基地の設営を終えましたが、米軍は12日にははやくも基地航空兵力による反撃を開始しました。

九七式飛行艇は東港航空隊の所属機で、9日に6機がキスカ島に進出しました。
水上機母艦が7月に内地帰還となって以降は、東港航空隊キスカ支隊の飛行艇、二式水上戰鬪機各6機がキスカ方面の唯一の航空兵力となりました。

なお、キスカ湾は外洋の波浪を湾口で防ぎ、北からの強風をキスカ富士と呼んだ山稜が防ぐために海面は穏やかで、水上機運用に適した良港でした。


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艦上に張り付いた氷を除去する『多摩』乗員たち

北太平洋は好天よりも荒天の方が多く、気象状況は軍事作戦を実施するには厳しい環境でした。
夏季の一時期を除いて、上の画像のやうに雪と氷との戦いがほとんどでした。
艦上に張り付く氷は重心をあげて艦の安定を奪いかねず、乗員は頻繁に艦上に出ては張り付いた氷をハンマーでたたいて割り、海に投棄する重労働に従事しました。

上の画像の中央の四角いものは爆雷装填台です。


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米軍機の空襲に曝される驅逐艦『初霜』

キスカ島占領からまもない6月12日、米軍は航空反撃を開始します。
米軍機は爆弾を抱いたコンソリデーテッドPBYカタリナ飛行艇を主力にしており、上の画像の『初霜』を見ても分かる通り、艦は完全に停止しているところから空襲が完全な奇襲であることを示しています。
幸いにも日本軍に沈没被害はありませんでした。


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損傷個所修理のため内地へ向け出港する驅逐艦『響』

6月12日の空襲で『響』は艦首右舷に至近弾を受けて破孔が生じました。
その修理のため、大湊への帰投命令が出されました。
『響』は『雪風』や『時雨』とならぶ歴戦艦であり、幾度となく損傷しながらも終戦まで生き残った幸運艦でした。


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空襲下の特設巡洋艦『粟田丸』

上の画像は12日の空襲時のもので、右側の陸地から爆煙があがっていますが、これは日本側の對空射撃によって撃墜されたカタリナ飛行艇のものです。

12日からはじまった米軍の空襲は、カタリナ飛行艇のほかに、ボーイングB-17フライング・フォートレス4發重爆撃機、コンソリデーテッドB-24リヴェレーター4發中爆撃機も参加するなど頻度と激しさを増していきました。
19日には輸送船の『日産丸』が沈むなど、被害は少なからず発生しました。


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雷撃で艦前半部を喪った驅逐艦『不知火』

ミッドウェイの敗北後、日本海軍は北方アリューシャン方面のキスカ島の防備強化、アッツ島の再占領を決定し、輸送作戦を開始しました。
作戰開始間もない7月4日、『不知火』はUSS『グローラー』SS-215の魚雷攻撃を受け、艦橋から前が激しく折れ曲がるという大損害を蒙りました。
『不知火』は折れ曲がった艦前半部を爆破分離し、舞鶴へ帰投しました。

上の画像は舞鶴工廠で昭和17年9月17日に撮影されたもので、第一煙突から先の艦橋を含んだ部分がざっくり喪われている被害情況が確認できます。


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舞鶴工廠で修理中の『不知火』

『陽炎』型驅逐艦の艦中央部付近の構造がよくわかります。
魚雷発射管わきの甲板に敷かれている軌条は魚雷運搬用のものです。

艦中央部の第二煙突後部には探照灯が設置されている台座がありますが、被雷後、後進をかけて航行した際の応急操舵室がそこに据えられているのがわかります。

右の後部檣には軍艦旗が翻っており、艦前部を喪って入渠中ながらも戰鬪艦艇であることを主張しているように見えます。
これほどの被害を受けていながら、応急修理が迅速かつ適切に行われれば、洋上艦はそう簡単には沈まないことを『不知火』は示しました。


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ミッドウェイ海戰に参加した驅逐艦『谷風』

『谷風』は北方作戰ではなくMI作戰参加艦ですが、くろちゃんのもとに今回、ようやく着任してくれたので記念に―――

『谷風』は第一航空艦隊の警戒隊に第17驅逐隊として参加していました。
この驅逐隊には、艦これで実装済みの『浦風』、『濱風』、『磯風』は所属していました。

ミッドウェイ海戰で主力空母4艦すべてが撃破された翌日(6日)、『谷風』は漂流艦『飛龍』の処分と生存者救助が命じられました。
残念ながら『谷風』は『飛龍』を発見することができず、やむをえず友軍と合流すべく反転しました。そこへ、ミッドウェイ島を飛び立った米軍機が来襲しました。
最初に飛来したのは13時ごろで、このときは10機以上のB-17重爆撃機と交戦しました。
その数時間後、米空母を飛び立ったのべ58機もの敵機が『谷風』を2度にわたって爆撃。しかし『谷風』そのすべての攻撃を回避し、逆に敵機1機を撃墜する戦果を挙げて全軍の賞賛を浴びました。



壁|'-')ノよいお年を。
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