徒然なる戰藻錄

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ミッドウェイ島

はおヾ('ヮ'*)ノ

いよいよ数日後に迫った夏季イヴェント。
アリューシャン方面を狙うAL作戰、ミッドウェイをたたくMI作戰から成るとされる、空母航空兵力が焦点となるイヴェントです。

なので今回は、注目のミッドウェイ島について軽くご紹介いたします。

◆ミッドウェイ島

ミッドウェイ島、ミッドウェイ諸島、ミッドウェイ環礁とも呼ばれるこの島は、北太平洋は北緯28度13分、西経177度22分の位置に浮かぶ珊瑚礁に囲まれた島嶼群です。

ミッドウェイ―――と呼ぶ島はなく、サンド島とイースタン島という大きな島と、複数のちっぽけな小島で構成される珊瑚礁の島、それがミッドウェイ島と呼ばれるものです。

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ミッドウェイ環礁は19世紀中ごろに発見され、その数年後に米海軍が乗り込んで領有を宣言。
しばらくは太平洋横断航路の中継点とするなど活用しましたが、北太平洋における米海軍の戦略拠点と認識されるようになったのは、強大な日本海軍との戦闘が現実のものとなりはじめた昭和15年(1940年)ごろでした。

飛行場の整備や基地施設の拡充が行なわれ、地上戦要員をふくむ陸海海兵の3軍合計およそ3,000人が駐留し、昭和17年6月のミッドウェイ海戰時には下記の航空兵力が展開していました。

■米陸軍機
B-17フライング・フォートレス4發重爆撃機 17機
B-26マローダー双発中爆撃機 4機

■米海軍機
TBFアヴェンジャー艦上攻撃機 6機
PBYカタリナ双発飛行艇 31機

■米海兵隊機
F2Aバッファロー艦上戰鬪機 20機
F4Fワイルドキャット艦上戰鬪機 7機
SB2Uヴィンジケーター艦上爆撃機 11機
SBDドーントレス艦上爆撃機 16機

ミッドウェイ海戰で同島は手ひどく痛めつけられ、上記航空兵力も1日で甚大な損害を被って潰滅するなど、その被害はかなりのものでした。
ミッドウェイ島は太平洋戦争終結後も、躍進を遂げる蘇維埃(ソヴィエト)太平洋艦隊に対する拠点の一つとして維持され、米蘇冷戦時代は対潜哨戒機が配備されるなど、その戦略的重要性にいささかの翳りも見えませんでした。

しかし冷戦終結からほどなくして、1990年代なかばには軍事基地の完全閉鎖が行なわれ、2014年現在、ミッドウェイ環礁は国立野生動物保護区となり、関係者以外の上陸は不可能となっています。

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現在、サンド島には飛行場が造成されていますが、ミッドウェイ海戰当時はイースタン島にしか飛行場はなく、サンド島には通信施設、病院、居住区、水上機基地などが置かれていました。

直径わずか11粁程度のこのミッドウェイ環礁を巡って戦われることになったミッドウェイ海戰ですが、この戦いに暗号解読にまつわる逸話があるのは御存知でせう。
米軍は開戦以来、いくつかの戦域で戦没した日本艦艇から、暗号書類の引揚げ・回収に成功しており、それらが日本軍の用いる暗号の解読に大きく貢献しました。
事実、米軍は昭和17年の春ごろには、日本海軍が用いていた暗号の大半を解読しており、5月には日本軍の次期攻撃目標を示すAFなるコードを見出していました。
米情報部はAFがどこを示すのか悩みます。布哇かもしれないし、布哇の番犬たるミッドウェイかもしれない。日本海軍の脅威的な戦力から、西海岸を直撃するかもしれない―――

そこである方法がとられました。
布哇~ミッドウェイ間には海底電纜が敷設され、重要な通信連絡は傍受の恐れがない有線通信を用いていました。米軍は敢えて、ミッドウェイ島から、真水が不足しているといふ趣旨の電文を無電で布哇へ打たせました。
日本軍はそれにひっかかり、AFでは真水が不足、という趣旨の暗号電文を打ち、米軍に解読され、AFがミッドウェイを示すことを暴露してしまいました。

なお、この逸話は創作とも言われており、米情報部は概ね次のようなかたちで日本軍のMI作戰に関する情報をつかんでいたとされています。

5月13日
日本軍の攻撃目標、MIという符号、布哇周辺の海域図を求める内容の複数の暗号文を解読。

5月14~15日
MIがミッドウェイ環礁を示すことを解読から確認。

5月16~17日
第一航空艦隊の空母群の作戰行動の大まかな内容を把握。

5月18日
アリューシャン方面に関する作戰を解析。日本潜水艦隊がミッドウェイ攻撃前に、オアフ島西方海面に展開する情報を入手。

5月22日
日本軍参加部隊各隊の呼び出し符号の解読。

5月24日
日本空母『赤城』、『加賀』、『飛龍』、『蒼龍』と未確認の新型空母に航空機と補充搭乗員が送られている情報を把握。

5月26日
日本軍攻略部隊の船団の位置、呼び出し符号などを解読。

5月27日
ウェーク島で鹵獲した建築資器材、捕虜にした米國人技術者をミッドウェイ占領後の飛行場修復や造成に用いるという趣旨の内容を解読。

ちなみに、28日より日本海軍の暗号が変更されたため、以後、米情報部の暗号解読に関する頻度は一時的に低下します。

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◆フレンチ・フリゲート礁

ミッドウェイ海戰における日本軍の敗因の一つに、敵情把握―――索敵の失敗が挙げられます。
とりわけ、一等巡洋艦『利根』搭載機が話題に上りますが、それとは別に、ミッドウェイ海戰の直前に行なわれていれば、米空母の邀撃の可能性を示唆したであろう偵察行動が予定されていました。

それが、第2次K作戰、二式大型飛行艇による超長距離布哇偵察飛行作戰です。

真珠湾攻撃後も、日本海軍は布哇に偵察のための潜水艦隊を配備しており、定期的な敵情報告が送られていました。
そのなかで関心が寄せられたのは、真珠湾軍港地区の復旧状況でした。

米軍は日本軍機による空襲など一顧だにしていないようで、灯火管制もせず、24時間態勢で軍港の復旧作業を実施していました。
日本軍としては、1日でもその復旧を遅らせようと、なにか手はないかと思案しました。

さすがに機動部隊を送り込むことは、米軍基地航空部隊の反撃による被害を考慮して検討されませんでした。
そこで考案されたのが、飛行艇による真珠湾攻撃―――K作戰でした。

四方山話の飛行艇母艦『秋津洲』でちょこっと触れましたが、もともと日本海軍は大型および中型飛行艇で布哇を航空攻撃し、米太平洋艦隊を引きずり出して決戦を挑むといふ戦術を昭和11年ごろから検討していました。
そのやりかたを、米艦隊の出撃を強要するのではなく、復旧妨害に用いようとしたわけです。

とはいえ、作戰実施を予定していた昭和17年3月は、聯合艦隊は南方作戰にその主力を投じており、飛行艇母艦である水上機母艦『秋津洲』はまだ完成していないため、飛行艇による長距離攻撃を成功させるためには、給油任務を帯びた潜水艦を布哇近海に先行配備する必要がありました。

その給油場所として適地とされたのが、フレンチ・フリゲート礁でした。

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※画像クリックで1100*700の大きなものが閲覧できます。

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この環礁は18世紀に佛蘭西(フランス)のジャン・フランソワ・ド・ガロー率いる2隻のフリゲート―――『ブッソール』、『アストロラブ』―――によって発見されました。

上の地図を見てもわかるとおり、フレンチ・フリゲート礁は布哇・真珠湾とミッドウェイ環礁の中間に位置し、そこに偵察戦力を配置すれば、ミッドウェイ作戰時には有益な情報を提供してくれたかもしれませんでした。

日本海軍は昭和17年2月、布哇作戰を終えて帰還する『伊號第一五潜水艦』に偵察を実施させ、飛行艇への給油が可能な状態であることを確認しました。
給油用装置をとりつけた『伊一五潜』、『伊一九潜』、『伊二六潜』は3月3日までにフレンチ・フリゲート方面に進出。飛行艇の誘導を行なう『伊九潜』はM点と称する中間点に配置されました。

2機の二式大型飛行艇は3月4日0025時、マーシャル群島ウオッゼ基地を離水。当時としては史上最長の航空攻撃に飛び立ちました。
0835時、M点の『伊九潜』の電波を捕捉して位置を確認した2機は、1300時にはフレンチ・フリゲート礁上空に達しました。
しかし、あいにく給油潜水艦の『伊一五潜』、『伊一九潜』は環礁から離れていたため、飛行艇は上空を旋回しつつ待機しました。
ようやく『伊一五潜』、『伊一九潜』が到着し、吹き流しを上げました。風速14米、波の高さ2米と着水は困難が予想されましたが、2機は1350時に無事着水。
不意の敵襲に備え、潜水艦は5節で航行し、飛行艇も発動機を稼働させた状態での曳航補給となり、非常に作業は難航しました。それでも2機は1時間ほどかけて12,000リットルの燃料を補給しました。

25番(250瓩)爆弾4つを抱え、燃料をたっぷりと腹に呑みこんだ飛行艇を波高2米の海面から離水させるのは危険でしたが、そこは海軍の優秀な飛行艇乗りです。1600時には2機とも離水に成功し、高度2,400米で編隊を組み、布哇へ向けて飛行を開始しました。

飛行艇は2110時、オアフ島上空に達しました。

オアフ島上空は曇天で視界不良でしたが、1番機は真珠湾内に浮かぶフォード島をなんとか捕捉し、推測爆撃を実施しました。米軍の記録によると、爆弾はすべて山間部に落下したため、被害はなかったそうでした。

2番機は通信機の不調から1番機との連携が困難となり、単独で南西方向より再突入し、爆弾を投下しました。米軍の記録によると、爆弾は湾内の海上に落下して被害はなかったそうです。

爆撃を終えた2機はそのまま一気にマーシャル群島をめざし、5日0910時、2機は無事にウオッゼ基地に帰還しました。
爆撃・偵察戦果こそほとんどありませんでしたが、被害もまた軽微でした。
1番機は給油時に軽い損傷を負い、2番機はフレンチ・フリゲート礁離水時に小さい損傷を負っただけでした。

B-29におる本土空襲が始まるまで、途中で給油したものの、史上最長の長距離爆撃はとりあえずの成功を収めた形となりました。

しかし、米軍のすばやい行動を日本軍は予期できませんでした。
米軍は飛行艇が布哇近海で給油したものと推測し、布哇~ミッドウェイ間の環礁などを調査し、フレンチ・フリゲート礁で日本軍の活動の形跡を発見しました。
米海軍はただちに艦艇を派遣し、日本軍が再利用しないよう予防措置を取りました。

昭和17年5月30日、第2次K作戰における給油任務を帯びてフレンチ・フリゲート礁に接近した給油潜水艦『伊一二一潜』、『伊一二二潜』、『伊一二三潜』は、同地に米艦艇が常駐し、移動する気配を見せないため、作戰中止を受けて引き上げました。

この作戦が行なわれていれば、米空母群が真珠湾から姿を消したことを知ることができたかもしれず、長時間かつ長距離偵察可能な二式飛行艇によって、米空母群の位置を特定できたかもしれませんでした。

第2次K作戰の中止は、日本海軍第一航空艦隊の運命に少なからず影響を与えることとなったのでした。



壁|'-')ノよいお年を。
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