徒然なる戰藻錄

WoTとWoWSをプレイしているところなのです

在りし日の川内型

はおヾ('ヮ'*)ノ

先日のうpデートで『川内』と『綾波』に改二がきたわけです。

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『川内』はさりげなく70にまで上がっていたからいいものの、驅逐艦勢は一部を除いて平均的にあげていたこともあり、『綾波』のLvはまだ61程度。
『綾波』に改二がくるとわかっていながら、そのまま熱心にあげていないのは不思議ですねぇ...

それはさておき―――

今回の『川内』改二で、『川内』型二等巡洋艦は全艦が改二になりました。

なので実際艦の『川内』型の画像をいくつかご紹介して、『川内』型全艦改二を祝してみようかと思いマス。


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昭和2年ごろ撮影の『神通』。
艦中央部付近に、両舷に突き出て発射態勢に入っている二聯裝魚雷発射管が見えます。
艦これではほとんど見向きもされずに廃棄される14糎單裝砲の配置や、艦尾の機雷敷設軌条もうっすらと見ることができます。


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昭和4年、第1艦隊第3戰隊在籍時の『川内』。
当時の第3戰隊は二等巡洋艦の『由良』、『長良』、『川内』で構成されていました。
艦橋の前に主砲を覆うような構造物がありますが、これは水上偵察機を発艦させるための滑走台で、艦橋内に水上偵察機を格納していました。
この滑走台は不便なシロモノだったため、使用されることはほとんどなかったといいます。


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昭和12年、上海に碇泊中の『川内』。
画像左側には呉式二號三型射出機に載せられた九五式水上偵察機が見えます。
画像中央やや右寄りには『川内』の後部檣が立っています。この後檣の中央部にある白っぽいものが110糎探照燈です。画像右側の白い服装の水兵とくらべても、かなりの大きさであることがわかります。


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昭和14年ごろに撮影の『川内』艦首部。
驅逐艦『子日』から撮影されたもので、この時は接舷訓練のためこれほど至近にまで近寄っていました。
艦首1番、2番14糎單裝砲が写っており、砲塔が完全に密閉されていないことがわかります。


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昭和15年ごろに撮影された『川内』。
艦尾射出機上には、今回のうpでーとで新規実装となった夜間偵察機九八式水上偵察機が搭載されています。
この水上偵察機は試作も含めて17機程度しか製造されませんでした。
なお、夜間偵察機は本機をもって以降の開発はおこなわれていません。このあと開発された九四式水上偵察機、零式水上偵察機が夜間偵察も可能な高性能を発揮したためでした。


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大正14年当時の『神通』。
この時、『神通』は竣工間もないころでしたが、第1艦隊第3戰隊の4番艦として編入されました。
艦橋前面の水上機格納庫の扉が開かれています。
『神通』は姉妹に先立って昭和6年、呉式二號二型射出機を装備する工事を行ない、滑走台の上に着装し、格納庫は引き続き利用されました。
滑走台の上に射出機を置く方式はまだ問題点があり、『神通』は昭和8年の改装工事で滑走台から艦後部に射出機を移しました。


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昭和3年、横浜で撮影された『神通』。
この前年、『神通』は島根県沖で夜間訓練中に第1水雷戦隊第27驅逐隊の驅逐艦『蕨』と衝突してこれを沈め、自身も艦首を大きく破損する被害を蒙りました。いわゆる《美保ヶ関事件》です。
上の画像ではその時の損傷を修理した後で、艦首は綺麗なカーヴを描くダヴル・カーブド式に改められています。


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昭和10年に撮影された、東京港芝浦桟橋を離れる『神通』。
手前の艦は『木曾』。
この時、第2水雷戦隊旗艦であった『神通』は、巡洋艦『木曾』、『名取』とともに東京港に碇泊、一般市民を乗艦させる見学会を行なっていました。


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大正13年3月24日、進水式を迎えた艦隊のアイドル『那珂』。
艦橋前面に大きな穴が開いていますが、ここが水上偵察機格納庫になります。
ちなみに、『那珂』は横浜で建造中に関東大震災で大破。再建造されるという経緯がありました。


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昭和2年10月30日、横浜沖大演習観艦式に第2艦隊第5戰隊所属で参加した『那珂』。
満艦飾を施され、両舷や滑走台上に乗員が集まり登舷礼を行なっています。


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昭和5年10月26日、神戸沖特別大演習観艦式に第1水雷戦隊旗艦として参加した『那珂』。
『那珂』の後方には麾下の驅逐艦『早蕨』。その遠方には配備が始まったばかりの特型驅逐艦群が並んでいます。


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昭和6年、別府湾に憩う『那珂』。
後方に見える艦は左より『伊勢』、『霧島』、『長門』の艨艟群。
『長門』の煙突が屈曲しているのがわかります。


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昭和3年に東京港で撮影の『那珂』。
『那珂』をはじめとした『川内』型の艦橋の頂部には天蓋がなく、当時は帆布を天幕のように張っていました。
上の画像でその帆布を張った艦橋上部が見えます。


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昭和14年ごろ撮影の『那珂』。
性能改善工事を受けたあとの姿で、当時は第2水雷戦隊の旗艦を務めていました。
艦橋構造物の改正、測距儀の交換、後部檣に110糎探照燈を設置、8糎高角砲を撤去して25粍機銃を設置するなどの工事が行なわれました。
艦尾の射出機上には、聯合艦隊への配備が行なわれた九八式夜間水上偵察機が載せられています。


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昭和10年、伊豆大島沖で撮影の『那珂』。
この頃、『那珂』は海軍砲術学校の練習艦任務に就いていました。
水雷戦隊の旗艦任務に就くには夜戦関係の装備の充実が絶対条件で、上の画像のように後部檣には探照燈が装備されています。



壁|'-')ノよいお年を。
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