徒然なる戰藻錄

WoTとWoWSをプレイしているところなのです

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E-5 ピーコック島ってなに?




はおヾ('ヮ'*)ノ

いよいよ今春イヴェント海域最終ステージ、E-5ピーコック島攻略戦を開始することとなりました。

でもその前に―――


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ピーコック島―――

それは中部太平洋上、北緯19度18分、東経166度38分の広漠たる大洋のただなかに浮かぶ珊瑚礁に囲われた孤島―――ウェーク島のことです。
ウェーキ島、とも呼ばれますね。

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この島は16世紀に西班牙(スペイン)人が発見しましたが、絶海の孤島ゆえに定住者もほとんどなく、この島にようやく注意を向けたのは米國でした。
米國は1899年に同島の領有を宣言、そして太平洋における日米の緊張感が高まりだした1940年(昭和15年)に海軍施設などの防備施設の建設に着手しました。

ウェーク島はV字を描くやうにウェーク島、ピール島、ウィルクス島の3島から構成され、広いところでも長さ7粁程度の小さな珊瑚礁の島です。
ですが米國にとって、米本土・布哇(ハワイ)とグアム島、米領比律賓(フィリッピン)を結ぶ中継地であり、その重要度は米海軍の戦略上かなり高いものでした。

ウェーク島は日本軍にとっても重要な攻撃目標でした。
対米戦がはじまった場合、最前線となる外南洋(マーシャル群島)の北方に位置するウェーク島は目の上のたんこぶ的な存在でした。そこで日本海軍は対米戦開始と同時に、グアム島ともどもウェーク島を早期に攻略することにしたのです。

それが―――

太平洋戦争初期において日本が最も苦戦した、2度に及んだウェーク島攻略戦です。

米軍はウェーク島に海兵隊1箇大隊、海兵隊航空隊など、それなりに整った戦力が配備されていました。

ウェーク島の総指揮は米海軍のカニンガム中佐が執り、地上戦防備の総指揮は海兵第1大隊長デブルー海兵少佐が執っていました。
ウェーク島には海兵隊388人、海兵隊航空隊の海兵第211航空隊61人、海軍基地要員68人、陸軍通信隊員5人のほか、非戦闘員をふくむおよそ1,200人の基地建設・整備要員が在島していました。
海兵隊航空隊の裝備機はグラマンF4Fワイルドキャット艦上戰鬪機で、これらは太平洋戦争開戦直前の12月4日に米空母USS『エンタープライズ』CV-6によって運び込まれたものでした。

地上戦裝備は5吋沿岸砲6門、3吋高射砲20門、50口径高射機銃16挺、30口径機関銃20挺とそれなりに揃っていましたが、人員が不足していることもあり、その威力を発揮するのが困難でした。とくに30口径機関銃は、人員が配置されていたのはわずか4挺だけという有様でした。

主要な砲門はピール島のB砲台、ウィルクス島のL砲台、ウェーク島のA砲台に配備され、このうちA砲台が配置された場所がピーコック島の由来であるピーコック岬です。

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◆日本軍ウェーク島攻略失敗す

ウェーク島の攻略は、中部太平洋を担当する第四艦隊の管轄であり、その攻略には第六水雷戦隊と随伴艦群が当てられ、地上戦要員として第四艦隊司令部附陸戦隊が参加しました。

日本側の攻略兵力は―――

第六水雷戰隊 梶岡定道少将
旗艦:巡洋艦『夕張』
 第二九驅逐隊 『追風』・『疾風』
 第三〇驅逐隊 『睦月』・『如月』・『彌生』・『望月』

第二七潜水隊 『呂六五潜』・『呂六六潜』・『呂六七潜』

上陸部隊 内田勤一中尉
輸送船 『金龍丸』・『金剛丸』
陸戦隊(内田中隊/高野中隊)560名

第一八戰隊(支援部隊)
巡洋艦『天龍』・『龍田』

ウェーク島の戦いは開戦当日である12月8日、マーシャル群島を飛び立った日本海軍基地航空部隊による空襲で始まりました。
この日1日で、米軍は戰鬪機8機が地上撃破され、多数の搭乗員が死傷しました。
日本海軍機の空襲は10日まで連日続けられ、同島空襲を担当した第二四航空戰隊(基地航空部隊)は、ウェーク島の米航空兵力をほぼ撃滅、地上砲台も概ね破壊したと報じました。

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ウェーク島攻略部隊旗艦 二等巡洋艦『夕張』
※画像参照:艦艇写真のデジタル着彩さん

攻略部隊は8日昼過ぎ、マーシャル群島のルオット泊地を抜錨、11日深夜、ウェーク島の南方洋上に展開しました。
夜間の上陸を予定していましたが、この日の夜は風速15米の強い風が吹いており、海も荒れて波も高く、上陸作戦のための作業は困難を極めました。
しかも敵地は目の前のため、灯火や照明は存在を敵に知らせることになるため使用できませんでした。
大發1艇が『金龍丸』の舷側にぶつかって破損し、『金剛丸』でも作業員が海に落ちて行方不明になるなどしたため、梶岡司令官は上陸開始を午前3時に延期し、海が穏やかになるのを待ちました。

しかし一向に風波ともに強く、日本軍は夜間上陸を断念、艦砲射撃で敵陣を制圧したのちに昼間上陸することを決定しました。

一方、米軍は南方洋上で作業中の日本軍を発見、日本艦艇の接近に応じて反撃することを決めました。
3島の各砲台は連日の空襲でもさしたる被害を受けなかったほか、グラマン戰鬪機も4機が使用可能でした。

米軍守備隊が反撃準備を整えて待ち構えているとは知らない日本軍は午前5時半過ぎ、『夕張』がウェーク島ッピーコック岬沖、驅逐艦隊をウィルクス島沖に展開し、艦砲射撃を開始しました。

砲撃により米軍燃料庫の一部が爆発炎上しましたが、デブルー少佐は日本軍をもっとひきつけるまで反撃を許しませんでした。

ウェーク島からの反撃がないことから、梶岡司令官は上陸準備を下令、これを受け輸送船2隻はピーコック岬沖4粁で大發をおろし、陸戦隊員の移乗をはじめました。
海上は荒れていましたが、すでに夜は明けているので作業はそれなりに進みました。

その最中―――
米軍の反撃が始まりました。
各砲台は一斉に砲門を開き、飛行場からはF4F戰鬪機が小型爆弾を抱いて飛び立ちます。
A砲台の砲撃は『夕張』の艦首至近に着弾、並走していた哨戒艇には命中弾が出ました。

ウィルクス島L砲台の砲撃は沿岸にもっとも近づいていた驅逐艦『疾風』に指向し、3度目の砲撃でついに艦橋と艦腹に命中弾がでて、大爆発を起こして轟沈しました。

ウィルクス島の西の海上にいた驅逐艦群に、F4F戰鬪機が襲い掛かりました。
F4Fは戰鬪機ですが、日本の零式艦上戦闘機同様、小型の爆弾が搭載可能でした。
F4Fの標的になったのは『睦月』でしたが、爆撃ははずれ、米機は後続の『彌生』に機銃掃射を浴びせて避退していきました。

午前7時半過ぎ、B砲台から発射された砲弾が『追風』、『彌生』に命中。F4Fの爆撃で『如月』が被弾、魚雷や爆雷に引火誘爆し、爆沈。
米軍機は『金剛丸』に銃撃を浴びせ、零式水上偵察機を撃破破壊しました。さらにこの銃撃によって五番船倉のガソリンに引火、同船は炎上し始めました。

事ここに至り、梶岡司令官は昼間のウェーク島上陸を断念、夜間上陸を企図しましたが、海は荒れたまま収まる気配もなく、午前10時、ウェーク島攻略を断念、全軍にマーシャル群島への撤収を命じました。

日本軍は米軍の3砲台と4機の戰鬪機の前に、旧式とはいえ驅逐艦2艦を沈められ、驅逐艦2、輸送船1を撃破されるという大敗を喫しました。

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空襲により爆沈した驅逐艦『如月』
※画像参照:艦艇写真のデジタル着彩さん


◆第二次ウェーク島攻略戦

事前爆撃の不備、天候不順とはいえ、開戦以来、快進撃を続けていた日本軍にとってウェーク島攻略失敗は大きな失点でした。
開戦間もない時期のこの敗北は全軍の士気に影響を与えるだけでなく、國民の軍への信頼が揺らぎかねないとして、海軍は―――とりわけ聯合艦隊はそのメンツにかけてウェーク島の断固占領を企図しました。

まず―――

布哇作戰を終えて帰投中の第一航空艦隊から第二航空戰隊(航空母艦『蒼龍』・『飛龍』)、第八戰隊(一等巡洋艦『利根』・『筑摩』)を支援に引き抜き、これに第六戰隊(『青葉』・『衣笠』・『古鷹』・『加古』)の精鋭群をあてることにしました。
艦これの今回のイヴェントで新規追加となった『谷風』も増援部隊に参加しています。

上陸部隊にはサイパン島より舞鶴第二特別陸戦隊(板谷中隊)も投入することとし、その上陸には旧式驅逐艦改造の哨戒艇を島の海岸にのりあげさせる強行上陸を決定しました。

一方の米軍もウェーク島への増援を計画し、フレッチャー少将指揮の第14任務部隊が増援の海兵隊や各種裝備、弾薬類を満載して真珠湾を出撃しました。
残念ながら、任務部隊に付随する給油船が12節(時速約22.2粁)しか出せない老朽の低速船で、ウェーク島への迅速な救援は困難でした。

ちなみに―――
救援部隊からウェーク島守備隊に対し、「なにか欲しいものはあるか?」と問いかけたところ、デブルー少佐より、「もっとたくさんジャップを送ってくれ」との返信があり、これは絶海の孤島で孤軍奮闘する米軍将兵の勇敢さを示すものとして、全米を大いに沸かせました。
デブルー少佐の本音は、日本軍を別の場所に移してくれ―――でしたが……

ウェーク島の米軍守備隊、そして第14任務部隊にとって不幸だったのは、当時、米太平洋艦隊の総指揮を代行していたウィリアム・パイ提督の作戰指揮が支離滅裂だったことです。
米太平洋艦隊は真珠湾攻撃で撃破されており、その責任を取って太平洋艦隊司令長官ハズバンド・キンメルが解任され、その後任に人事担当であった海軍航海局長のチェスター・ニミッツ少将(大将に特進)が任命されました。
米本土にいるニミッツ長官が真珠湾に着任するまで、太平洋艦隊の指揮はキンメル前長官のもとで参謀長を務めていたパイ提督が執ることになったのですが―――

その命令はめまぐるしく変更されたのでした。
空母USS『サラトガ』CV-3を擁する第14任務部隊は当初、ウェーク島沖で日本艦隊を捕捉撃滅することを命じられていましたが、その命令は進撃中に変更され、救援物資を満載した艦を出すからそれにウェーク島守備隊を収容して離脱しろと命じられました。

その命令は日をおかずに変更され、救援物資をウェーク島に下ろし、『サラトガ』の航空機をウェーク島に移動させ、艦隊は帰還しろと命じられました。
そして12月23日、ウェーク島東方洋上に進出したフレッチャー艦隊は、最終的にウェーク島救援を中止して引き揚げろと命じられ、艦隊はそのまま真珠湾に引き揚げていきました。


第二航空戰隊による空襲でウェーク島の航空兵力は破壊され、日本軍は12月23日、いよいよウェーク島への上陸を開始します。
ですがこの日も、失敗に終わった第一次作戰同様に天候は荒れ模様で、大發による上陸は困難でした。
そこで梶岡司令官は、哨戒艇をウェーク島に乗り上げさせ、舞鶴陸戦隊の内田中隊、板谷中隊を強襲上陸させることを決定。

さらに高野中隊は一部をウィルクス島、のこりをウェーク島西部に上陸させることになりました。

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日本軍の上陸に気付いたのはウィルクス島の守備隊で、米兵の一人が打ちつける波に交じってエンジン音が聞こえているのに気づきました。守備隊を指揮するプラット大尉の命令で、海岸線へ銃撃を浴びせると、そこには大發で適切な接岸場所を探している高野中隊の姿がありました。
米軍の手投げ弾で大發が炎上すると、高野中隊もすぐさま海岸へ大發を乗り上げてきました。

ウィルクス島からの連絡を受け、デブルー少佐はサーチライトで海上を照らすよう命じました。
すると―――
そこには、飛行場に近いウェーク島西岸へと突き進む日本軍の哨戒艇が浮かび上がりました。

午前3時前、『第三二號哨戒艇』、『第三三號哨戒艇』はウェーク島西岸の浅瀬に乗り上げました。
その正面の防禦陣地に置かれていた3吋砲が砲門を開き、『第三三號哨戒艇』の艦橋部に命中、さらに『第三二號哨戒艇』は砲撃によって火災を生じました。

両艇に載っていた内田・板谷の両中隊は燃え盛る哨戒艇から海面に飛び降り、飛行場めがけて突撃を開始しました。

夜闇に包まれた島はスコールに洗われていて、日米両軍ともに敵情を得ず、米軍は布哇へ向けて、《敵明らかに上陸中とみられる》と報告。日本軍も上陸部隊の情況がつかめず、上陸が成功しているのか、海上で攻撃に曝されているのか判明しませんでした。
梶岡司令官は炎上する哨戒艇を目印に、第一八戰隊の巡洋艦による支援艦砲射撃を命じましたが、同士討ちを恐れての砲撃はたいした効果をあげませんでした。

米軍もウェーク島内の電話線が切断され、カニンガム中佐とデブルー少佐の連絡手段が喪われ、ウィルクス島との連絡も不可能になっていました。

日米両軍の指導部層の混乱をよそに、上陸した日本軍と米軍守備隊との戦闘は熾烈を極めました。
ウェーク島は珊瑚礁の島とはいえ、海岸部などは高さ2米に達しようかというマングローブが生い茂り、両軍は敵の銃火を頼りに射撃し、手榴弾を投げ、銃剣とナイフで白兵戦を演じました。

ウィルクス島では30名強の米兵が高野中隊長以下およそ80名の陸戦隊員を包囲しこれを殲滅。ウェーク島でも内田中隊長が戦死し、中隊長を慕っていた部下たちは、隊長の仇を討たんと、米軍機銃陣地に決死の肉弾攻撃を反復しました。

板谷中隊も米軍機銃陣地に阻まれて進撃できずにいましたが、徐々に米軍防禦陣地の情況が判明し、日本軍は兵を巧みに分散配置して米軍陣地を孤立させていきました。

夜が明け―――
デブルー少佐は、島がすっかり日本艦隊に包囲されているのを目の当たりにし、これ以上の抵抗は無意味と思うようになりました。
上空には日本機が乱舞し、米軍陣地や米兵めがけて爆撃や機銃掃射を浴びせていました。

デブルー少佐はカニンガム中佐とどうにか連絡を取り、ピール島、ウィルクス島の情況は不明で、ウェーク島も西側が日本軍の手に落ちたらしいという戦況を知らされました。
そして頼みの救援部隊も到着しないと伝えられ、カニンガム中佐の提示した降伏に同意しました。

正午すぎ、梶岡司令官はウェーク島の占領を確認し、純白の第二種軍装で上陸するや、カニンガム中佐の司令部に向かい、そこで以下の布告を宣言しました。

軍第一號
昭和一六年一二月二三日 大日本軍司令部

宣言
ウェーク島ハ全部大日本帝國ノ國有タルコトヲ宣言ス

布告
平和ヲ愛好シ正義ヲ尊重スル大日本帝國ハ「ル」大統領ノ挑戰ニ依リ、止ムヲ得ズ戈ヲ取ツテ立チタルモノナリ
故ニ軍ハ大日本帝國本來ノ平和的精神ニ則リ、敵國人ト雖モ敵性ヲ有セザルモノニ對シテハ、其ノ人命ニハ何等ノ危害ヲ加フルモノニアラズ、安ンゼヨ
但シ指示ニ違反シ、又ハ從順ナラザルモノハ、軍律ニ據リテ重ク罰セラルベシ


ウェーク島は大鳥島と改名され、終戦まで日本軍が保持することになりました。

このウェーク島の戦いは、緒戦における日本軍の敗北だけでなく、こののち、およそ3年数箇月に及ぶ島嶼攻防戦の有様を如実に示した戦いでもありました。

すなわち―――

制空・制海権を掌握した優勢な兵力による進攻、砲爆撃による敵陣・施設の徹底破壊と指揮系統の寸断、しらみつぶしの陣地掃蕩戦―――

そこには太平洋戦争中盤以降に繰り広げられた島嶼攻防の死闘の原型が内包されていました。

さらに―――
わずか数機の戰鬪機と言えども、その打撃力は水雷戦隊をも凌駕するといふ、航空戦の時代の到来を示してもいました。



壁|'-')ノよいお年を。
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コメント

NO TITLE

島のかたちを見てウェーク島だとティン!ときました

ピーコックという名前も聞き覚えがあったので、ちょっとウェーク戦を調べたら案の定でした(`・ω・´)

NO TITLE

ピーコック島って架空のものだと思ってたwww

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