徒然なる戰藻錄

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雷撃戦術

はおヾ('ヮ'*)ノ

今回は前回カキコできなかった我が日本海軍の雷撃戦術について簡潔にご説明しやうかと思います。

こういった四方山話でネタを稼ぐあたり、辺境随一の過疎っぷりを誇る我がブログならではの特権といえることでせう。

誰も観にこないからこそできるこの技……無形文化財としてひっそりと後世に伝えるべきものですね、ええ、伝えるべきですとも。

さてくだらないご高説はそっちのけで……

雷撃戦術、紹介していくのなのです。


◆雷撃戦術

魚雷は敵艦船の水線下を破壊し、大量の水を一挙に艦船内に流し込むことで沈める兵器です。その威力と効果はなかなかのものですが、音速の数倍のスピードで目標に達する砲弾と違い、その速度は非常にゆっくりです。もちろん、それでも通常の艦船よりは速いですが―――

そのため、発射しても目標に達するまでに時間がかかるので、目標の未来予想位置を算出して発射しなければ命中のしようがないわけです。
さらに発射して着水した際の衝撃による針路のわずかな歪み、目標位置の測的の相違によって、100%外れることも有り得るわけです。

そこで、複数の魚雷を斉射し、投射魚雷の何本かが命中することを狙う公算射法が成立しました。

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公算射法の一種として、上の画像のやうに、敵艦が針路や速度を変えても、発射した魚雷が命中するやうに、射角を変えて散布界というエリアを形成し、命中させます。

重雷装艦の『北上』、『大井』の場合で行ないますと、片舷20本の魚雷の全数発射はおよそ30秒で完了します。
魚雷は相互干渉による誤爆を防ぐため、2秒間隔で射角1度ずつの間隔をあけて投射されます。なお、発射管をまたぐ場合は同時発射も可能です。
雷速38節(時速約70.4粁)に設定した場合ですと、魚雷は35,000米の距離をおよそ31分で駛走します。

※35,000米=戦前の主力戰艦同士の基本的な最大射程

1本目の到達点から約30秒後、およそ14,000米はなれた場所に20本目の魚雷が到達し、敵艦隊を幅広く覆うように魚雷が敵艦隊を襲います。
この14,000米もの範囲が散布界となります。


さて、空気魚雷は雷跡を残すため、敵艦はその白い尾を曳いて迫る魚雷を目視し、回避行動にはいります。そのため、変針して回避することを想定して、異なる方向からも雷撃を行ない、回避しても当たるやうな異方向同時雷撃が考案されました。

とはいえ、魚雷回避のために急回頭など変針を強いることは、敵の行動に制約を与えることになり、味方主力戰艦の砲撃支援というかたちになります。現代戦のやうなハイテクを駆使した長距離捕捉・狙撃ができない戦前のころは、回避行動と対艦砲撃は両立しないため、被害覚悟で直進して敵を叩くか、砲撃の命中率を犠牲にして回避するかの二者択一しかありませんでした。

射程の短い空気魚雷であれば、搭載した驅逐艦や水雷艇(魚雷艇)は敵戰艦に肉薄せねばならず、被害が増大するのを覚悟せねばなりません。
もちろん、敵戰艦が雷撃阻止のため驅逐艦などに砲戦を挑めむことになれば、味方戰艦や巡洋艦に降り注ぐ砲弾の量を減らすという支援効果も期待できました。

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日向の舷側から延びる副砲群 これら副砲は敵雷撃艦の撃退が主任務であった

敵戰艦を魚雷で喰うのであれば、もっとも適したのは夜間でした。
夜間こそ雷撃艦が活躍するシーン、といふのは日本のみならず世界の海軍の常識でもありました。

軍縮条約で主力艦の保有量に制約を課せられた日本海軍は、驅逐艦の夜間雷撃を重視し、驅逐艦の個艦性能や魚雷の性能向上、夜戦技術の練磨に努めました。

対露戦役のころは片手で数える程度の発射管門数も、昭和に入るころには9門へと増強され、驅逐艦の航行速力ものきなみ35節を超えるにまで至りました。
その能力を活かして、夜間に多方向から近接雷撃を実施する夜戦決戦部隊が構想として登場しました。これは主力戰艦同士の砲戦前夜、二等巡洋艦を旗艦とする水雷戦隊が夜襲を仕掛け、1艦でも多く敵戰艦、巡洋艦を撃沈破しやうといふものでした。

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移動目標に魚雷を撃ちこむための基本的な行動は上図のごとくで、目標の針路と速度である的針・的速、自艦の針路と速度である自針・自速、魚雷の速度―――雷速―――といった諸元が必要となります。
この諸元などをもとに、的針、照準線、射線による架空の三角形―――射三角―――を想定し、必要な計算を行なって魚雷を発射します。なお、魚雷投射時に、魚雷が波に叩かれるなどして射線と若干ずれることも計算にいれておきます。このずれのことを屈曲度といいます。


射程の短い空気魚雷を用いることを前提とした夜間肉薄雷撃戦術は、酸素魚雷の登場により変化を見せました。
公算射法にさしたる変化はありませんが、酸素魚雷の長大な駛走距離は、戰艦の最大射程に匹敵する距離からの雷撃を可能としました。
戦前の戰艦同士の砲戦は、おおむね2萬~25,000米から開始されたため、九三式酸素魚雷なら砲戦開始前に雷撃を実施し、敵艦隊を痛打もしくは混乱を惹起させることが可能となりました。
さらに、こちらの被害が大きくなる敵戰艦への肉薄雷撃を強行することもなくなりました。

日本海軍の想定した酸素魚雷を使用する新雷撃戦術は以下のごとくです。

昼間決戦時、一等巡洋艦と重雷装艦は砲戦開始前に、およそ35,000米の距離から魚雷を全力投射します。その発射本数は一等巡洋艦群から75本を2斉射、重雷装艦2艦は各艦40本の合計して230本。
長距離雷撃の命中率はおおむね1割程度と想定されていたため、投射本数のうち20~25本程度が命中すると予想されました。
投射本数に比べて少ないように思えますが、砲戦開始前に20本ちかい魚雷が突如として敵艦隊を襲うとなれば、相当な混乱を引き起こし、戰艦、随伴艦群を複数、撃沈破することが可能でした。

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右舷を指向する高雄の61糎四聯裝魚雷発射管

戰艦が砲戦を開始すると、一等巡洋艦群の砲戦支援のもと、水雷戦隊は突撃を開始。
一等巡洋艦群は敵艦隊との距離1萬米に接近し第二次雷撃を敢行。水雷戦隊は命中精度が高くなる5,000米の近距離雷撃を実施します。
この際、水雷戦隊の驅逐艦群は敵の反撃の砲火により被害が出ることが予想されるため、驅逐艦3~4艦で構成される驅逐隊1つで敵戰艦1艦を撃沈破することを目標とします。

夜戦に続いて昼戰でも敵艦隊への雷撃を実施することとなった水雷戦隊は、所属驅逐艦の雷撃力強化が求められるようになりました。
結果、昭和10年度以降から、『初春』型驅逐艦を皮切りに魚雷の次発装填機能が採用されるようになりました。

従来、魚雷の装填は上甲板上のレールをトロッコのような運搬台車に載せて行なっていましたが、これは手間がかかる作業でした。
『吹雪』型や『暁』型の驅逐艦では、予備魚雷を発射管に装填するのに天井クレーンを用いることで装填作業の迅速化をはかりましたが、実際に用いてみると、高速航行では搬送作業が非常に困難となり、低速航行でないと装填は事実上不可能でした。

『初春』型以降の驅逐艦は運搬台車を廃し、予備魚雷格納筐を発射管の直後に置き、魚雷の推進器部にワイヤーをひっかけて、これを発射管旋回用動力を用いて装填する次発装填装置を搭載しました。

陽炎型驅逐艦の発射管と予備魚雷格納筐
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橙色が魚雷発射管で、右が1番聯管、左が2番聯管。

青の矢印が示すのが、1番聯管用の予備魚雷格納筐。『陽炎』型は4聯裝発射管のため、2本ずつにわけて第一煙突の左右に設置しています。
1番聯管に装填する際は、発射管の発射方向を艦尾に向けないと装填できません。

緑色の矢印が示すのが、2番聯管用の予備魚雷格納筐。1番聯管用と違って4本まとめて格納しています。さらに発射管を艦尾に向けることなく装填が可能です。


酸素魚雷の登場により、水雷戦隊と驅逐艦は艦隊決戦時の漸減作戰用補助兵力の位置から、戰艦砲戦兵力とならぶ決戦兵力へと立ち位置を変化させました。
そのため、日本海軍は酸素魚雷の潜水艦用、航空機投下用を開発するに至ります。このうち、潜水艦用は直径を53.3糎と狭い潜水艦の艦内容量を考慮したかたちとなり、九五式酸素魚雷として採用されました。

航空機用については、洋上艦以上に速い速度で接近し、魚雷投下位置の見極めや諸元計算の困難から長距離雷撃が不可能なため、既存の空気魚雷の信頼性向上に努めることとして生産配備は見送られました。

一方、重雷装艦という雷撃特化の巡洋艦を計画した海軍は、ついには『大和』型戰艦に搭載できる75糎級の特大の酸素魚雷の開発を計画。この計画は中止となりましたが、酸素魚雷の開発は日本海軍の艦隊決戦方針に変化をもたらした反面、その方向性を混乱させる側面をもっていました。


◆戦訓と魚雷改良

長大な射程がウリの九三式酸素魚雷ですが、訓練や机上での想定と違い、実戦ではその長射程の真価を発揮する機会はほとんどありませんでした。
唯一の事例として、潜水艦用魚雷による『伊一九潜』の戦果がある程度。
それ以外では、酸素魚雷がその長射程を活かした戦いは太平洋戦争においてほとんど起きませんでした。

昭和17年2月27日、南方作戰中に生起した米英蘭濠の4箇国艦隊を相手にしたスラバヤ沖海戰では、第一次昼戰で39本、第二次昼戰でじつに98本もの魚雷を発射しましたが、このうち命中したのはたった1本だけでした。
この昼戰時の雷撃距離は最大で25,000米、平均雷撃距離は15,000米程度でした。
夜戦でも16本を発射しましたが、命中はわずか2本だけでした。

この海戰では魚雷の爆発尖―――魚雷の信管のこと―――が鋭敏すぎたため、敵艦のたてる波に叩かれて早発する魚雷が続発したため、遠距離雷撃の有用性に疑問がもたれることはありませんでした。

遠距離雷撃を改める結果となったのは、昭和18年3月26日に発生した北太平洋のアッツ島沖海戰でした。
この海戰で日本艦隊は2萬米の距離から雷撃を実施しましたが命中せず、『阿武隈』に至っては効果は期待出来ないとのちに酷評されるほどのひどい結果でした。

酸素魚雷の高速性能をもってする追尾雷撃についても、その効果はとても期待できるものではなく、日本海軍は戦前に考案した酸素魚雷を用いた各種雷撃戦術の誤りをついに認めざるを得ませんでした。
この追尾雷撃は昭和19年10月25日のサマール島沖海戰で実施されました。
海戰終盤、第一〇戰隊の二等巡洋艦『矢矧』は距離13,000米より7本を、指揮下の驅逐艦『浦風』、『磯風』、『雪風』、『野分』は距離1萬米から合計20本を発射しました。この魚雷は逃走する米艦隊を追尾する形で発射されたため、鈍足の護衛空母と日本重巡の砲撃を回避しつつ反撃の砲戦を挑んでいた護衛の驅逐艦に命中させるには至りませんでした。
ちなみに、第一〇戰隊は敵艦隊の周囲に落下する砲弾の水柱や、重巡の砲撃命中であがる黒煙を魚雷命中と誤認し、空母1隻撃沈を記録しています。

ただし―――
この雷撃は米艦隊に脅威となっており、数本が命中コースに入っていたようでした。
護衛空母USS『カリニン・ヴェイ』CVE-68に魚雷がせまるのを上空にいた味方機が発見。機銃掃射により、わずか90米の至近距離でこれを撃破することに成功し、直撃を阻止することができました。
このほか、USS『セント・ロー』CVE-63も接近する魚雷に砲撃を浴びせて何とか撃沈処分しました。


さて、魚雷は高価な兵器であり、訓練では実戦的な試験はなかなかできませんでした。これは日本海軍のみならず、米英海軍などでも同様です。とくに米海軍の魚雷の爆発尖問題は、昭和18年まで思うように改善が進まないほど深刻なものでした。

九三式酸素魚雷にはもうひとつ、問題がありました。
それはキャヴィテーションに関するもので、真空の泡が引き起こす振動でした。このことは戦前から知られていましたが、この振動が魚雷の爆発尖に悪影響を及ぼしているのではないかと疑われていました。
この振動問題はなかなか解決されず、九三式酸素魚雷が50節の雷速を超えられない障害のもとでした。
その後、伊太利海軍の魚雷形状をもとに弾頭部を半球状から鋭角なものに改良したことで振動問題は解決しました。これは九三式二型として配備されましたが、射程距離8,000米であればじつに60節(時速約111.1粁)という雷速を発揮できました。

遠距離雷撃はついに効果を発揮しませんでしたが、第一次ソロモン海戰、ルンガ沖夜戦などでは酸素魚雷はじつによく働きました。
これは1萬米程度の雷撃距離、ときにはさらに接近した距離から行なわれたものでした。
この程度の距離であれば、酸素魚雷を用いずとも古い九〇式空気魚雷でも戦果に差はなかっただろうといわれており、魚雷の性能よりも、日本海軍将兵の、世界の追随を許さぬ卓越した夜戦能力の結果であると言えます。

海軍は長距離雷撃を諦め、魚雷の高速化と破壊力の増大に重点を置き、三型魚雷では射程距離の低下に目をつぶり、炸薬量を増大させました。

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酸素魚雷の開発成功は日本海軍の決戦方針に混乱を招く形となり、魚雷による決戦はその真価を発揮できずに終戦を迎えることとなりました。
それでも、我が水雷戦隊をはじめとした雷撃部隊は優秀な指揮官と果敢なる乗員将兵らの献身的活躍により、その雷撃戦力は米英から評価されました。

艦これでは潜水艦や『雪風』、重雷装艦以外での魚雷使用は目立ちませんが、実際の我が日本海軍驅逐艦部隊は魚雷を用いて多くの戦果を挙げたので、今後は驅逐艦雷撃力にもうちょっと、ほんのちょっとでもいいからスポットライトを浴びせていただきものであります。



壁|'-')ノよいお年を。
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