徒然なる戰藻錄

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酸素魚雷with雷撃戦

はおヾ('ヮ'*)ノ

寒さ厳しい師走の候、いかがおすごしのことでせう。
さてさて幸手市、今回は日本海軍の至宝のひとつである酸素魚雷と雷撃戦の四方山話。

本当は前回の重雷装艦のときに一緒にやっちゃふ予定でしたが、ふたつ一緒にやっちゃふとそこはかとなく長くなりそうな予感伊予柑E~予感だったので、断腸の思ひでふたつにわけた次第。
決して忘れていたわけではないのであしからず...

今回は魚雷について...


◆魚雷の登場と進化
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戦前、対艦攻撃においてもっとも効果的な手段は、海面下の艦腹を破って浸水により敵艦を沈める魚雷がもっとも効果的な手段でした。
魚雷に関するテクノロジーと研究は18世紀ごろからはじめられていましたが、なかなか思うような兵器は完成しませんでした。

1868年、ロバート・ホワイトヘッドが水面下を駛走して吃水線下で爆裂する水中兵器の開発に成功。これをシビレエイを意味するトーピードと名付けました。
これが世界初の魚雷兵器で、日本海軍はこの水中兵器を魚形水雷と呼び、それを縮めた魚雷という名称を用いました。

ホワイトヘッド式魚雷は高圧空気を利用して11節(時速約20.4粁)の速度で610米を進むことができました。
戦時中の魚雷に比べると低性能ですが、このホワイトヘッド式魚雷は水圧を感知して作動する深度保持装置、スクリューのトルクを打ち消すことで直進性を保つ二重反転ギアを装備するなど画期的なもので、その性能の低さにもかかわらず、多くの海軍がこぞって採用した兵器でした。

ホワイトヘッド式魚雷
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魚雷はその後も改良がすすめられました。
発射前に調整することで斜進機構という発射後に針路を変えるシステムが組み込まれ、これによって複数の魚雷を扇形に発射することができ、より高い命中率を得られるようになりました。

雷速と呼ぶ魚雷の速度も向上が進み、1891年には最大雷速33節(時速約61.1粁)を達成し、当時の多くの水上艦船よりもはやい速度で海中を突き進むことが可能となりました。ただし、その高速と引き換えに射程はわずか360米でした。

その後、圧搾空気を暖めた状態で使用することで効率が上昇することが判明し、1901年、加熱装置を搭載した魚雷が登場しました。熱走式と呼ばれる魚雷で、加熱装置を持たない魚雷は冷走式として区別されました。

空気を加熱するにしても、内燃機関を内蔵したほうが魚雷の性能をさらに高めることができるとして、内燃機関搭載型魚雷が完成しました。この魚雷の登場により、兵器システムとしての魚雷はほぼ完成形に達しました。
なお、内燃機関内蔵魚雷にもいままで通り圧殺空気が充填されました。しかし、その用途は膨張エネルギーを動力源とするものから、燃料を燃焼させるための酸化剤へと変化しました。

日本海軍は明治44年(1911年)、湿式加熱式の四四式魚雷を採用しました。ここでいう湿式といふのは、内燃機関を冷却するための水のことです。
この四四式魚雷は埼玉県深谷市新戒200にある東雲寺にいまなお現存しています。

四四式魚雷
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大きな地図で見る

水中兵器である魚雷は1891年、南米智利(チリ)で起きた内戦で『アルミランテ・コクレーン』級装甲艦『ブランコ・エンカラダ』を雷撃して撃沈し世界初の魚雷による軍艦撃沈戦果を挙げたのを皮切りに、日本海軍が対清戦役で『定遠』、対露戦役で『ナヴァリン』を撃沈するなど、海軍兵器としての地歩を着々と固めていきました。

英吉利(イギリス)は魚雷を主武装とした沿岸用の小型の水雷艇にかわる外洋雷撃艦として、驅逐艦の新規開発を進めました。
魚雷を主武装とする水雷艇を撃滅(デストロイ)することが任務であった驅逐艦(デストロイヤー)に魚雷兵裝を載せることで、波高い外洋でも敵主力艦やその随伴艦を雷撃できるようになりました。

20世紀にはいり、戰艦や巡洋艦の主力艦同士の砲戦距離が次第に遠距離化していきました。同時に、水上艦艇の平均速力も向上していき、従来のままでは魚雷がその真価を発揮することが困難となっていきました。
そのため、魚雷に関してもより遠くへ(長射程化)、より速く(高速化)届く高性能化が求められるようになりました。

その回答の一つが、酸素魚雷でした。


◆酸素魚雷

魚雷の性能向上には、内燃機関の燃焼効率を高めるのが一番で、そのためには魚雷の空気タンク内における酸素濃度を高める必要がありました。その研究が列強各国でスタートしました。
とはいえ、純粋酸素は取り扱いが難しく、油性分などと簡単に反応して爆発的燃焼を引き起こすため、その研究開発はどの国でも難航しました。

昭和3年(1928年)、日本海軍は英海軍が酸素魚雷の開発に成功といふ情報を入手し、対米英戦備に影響を及ぼすと判断し、酸素魚雷の開発に本腰を入れるようになりました。

ただ―――
英海軍が開発したといふ酸素魚雷なるものは、酸素と空気を混用した62糎級魚雷で、純粋な酸素魚雷といえるシロモノではありませんでした。

特殊魚雷Bといふ名称で、空気と酸素を混用させた魚雷を開発し、試験を実施。結果は、雷速38節(時速約70.4粁)で駛走距離は2萬米に達しました。
この性能は当時の日本海軍の主力魚雷であった八年式魚雷を大きく上回るもので、酸素魚雷が劇的な性能向上につながることが明白となりました。

昭和6年、艦政本部は特殊魚雷Bの完成を待たずして、雷速50節(時速約92.6粁)、射距離2萬米の純酸素魚雷の開発を指示。
しかし、純酸素魚雷は取り扱いが難しく、通常運用での危険性も高いことから、用兵側から反対意見が続出しました。
それでも開発は強行され、試製魚雷Aと称された純酸素魚雷は昭和8年、発射実験に成功し、仮称九三式魚雷としてその姿を現しました。

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昭和17年11月 ルンガ沖夜戦で酸素魚雷により艦首を破壊された米重巡

昭和10年(1935年/皇紀2593年)、仮称九三式魚雷は正式に九三式魚雷として海軍に採用されました。
試験中に爆発事故を起こすなどしましたが、以後、大きな事故もなく、昭和13年には実施部隊への本格配備が始まりました。

九三式酸素魚雷の際立った点をいくつかご紹介しませう。

▼雷速
九三式酸素魚雷は発射前の調整で以下の三段階の雷速/射距離が設定できました。

第一雷速/48節(時速約88.9粁)/2萬米
第二雷速/40節(時速約74.1粁)/32,000米
第三雷速/36節(時速約66.7粁)/4萬米

米英など列国の魚雷が射程5,000米前後、雷速45節前後なのと比べると、九三式酸素魚雷がいかに卓越した速力と射距離を誇っているかがわかります。

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ちなみに、九三式酸素魚雷の配備前まで日本海軍の主力魚雷であった九〇式空気魚雷は、雷速46節(射距離7,000米)か雷速35節(射距離15,000米)の二段階の設定しかできませんでした。

とはいえ、速力の面で言えば、列強でも高速魚雷の開発が進んでおり、酸素魚雷の優位はさほどのものではありませんでした。
実際、伊太利(イタリア)は雷速50節(時速約92.6粁)の空気魚雷を開発していました。ただし、射距離は4,000米です。


▼射距離
前述しましたが、主力艦同士の砲戦距離の延伸により、魚雷の射距離も長射程化が望まれていました。
九三式酸素魚雷がこれほどの長射程を実現できた要因のひとつが、内燃機関冷却水の海水利用でした。

九三式酸素魚雷断面図
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※画像クリックで大きめのサイズで見れます。

四四式魚雷のところで見れましたが、冷却水タンクを魚雷は内蔵していました。
九三式魚雷はこの冷却水タンクを廃し、魚雷の周囲にふんだんに存在する海水を取り入れることで機関を冷却しました。
冷却水タンクを撤去したことで、その余剰スペース分を酸素と燃料の増加部分にあてて射距離の向上につなげたのです。

一方、従来までの空気魚雷を用いらざるを得ない列強海軍ですが、雷速を落とすことで射距離を延ばし、長射程を実現させました。

雷速30節(時速約55.6粁)にまで落とせば、空気魚雷でも2萬米程度の射距離は確保できました。

とはいえ、射距離の短さはそのままデメリットにはなりません。

射程が短いために驅逐艦などは敵に肉薄することとなり、却って高い雷速によって回避が困難な近接雷撃戦を仕掛ける結果となりました。このため、命中率は意外にも高く、射距離の短さを補うための勇猛果敢なる突撃によって多くの敵艦を沈める戦果を挙げることとなりました。


▼破壊力
九三式酸素魚雷はその直径が61糎と、諸外国の53.3糎にくらべて太く、その分多量の炸薬を詰め破壊力を増大させていました。
魚雷の巨大化の背景には、戰艦の水雷防禦装甲の堅牢化があり、53糎魚雷では貫通力不足、威力不足が指摘されるようになったからです。
とりわけ、米海軍の対水雷防禦である多層防禦方式は水中爆発に対し有効で、日本海軍の水雷戦隊にとって脅威となっていました。

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水雷防禦が強化された米海軍テネシー級戰艦
本級以降の米戰艦の水雷防禦は日本海軍にとって脅威となった


米海軍の『テネシー』級戰艦以降の米戰艦の水雷防禦は、水線下に奥行5.3米ほど、厚さ16~19粍の隔壁6枚で区切られた4層構造で、内側の空気層ひとつと、液体で満たした3層で防禦する仕組みでした。


▼隠密性
酸素魚雷の最大の特徴が、雷跡を曳かない―――いわゆる無航跡魚雷になるといふものです。
この雷跡は、魚雷の内燃機関から燃焼されずに排出される窒素などの気体、冷却排水が泡となって残るために形成されます。夜間にはこれに夜光虫が群がることで、暗夜の海面にくっきりと雷跡が浮かび上がることにもなります。

こういった雷跡は演出的な面で言えば見栄えがいいため、映画やゲームなどではしっかりと表現されますが、いざ戦場ではこのやうな雷跡が現れれば、敵に魚雷の接近を知らせるようなものです。

酸素魚雷では燃焼に用いられる酸素ばかりのため、窒素の量が少ないので航跡ができにくいという利点がありました。

この隠密性の高さゆえに、日本海軍の魚雷は米英海軍から恐怖と畏敬の念を以て敬われ、恐れられてきたのです。

以前、スリガオ海峡海戰について四方山話で載せましたが―――
米戰艦部隊は『最上』の発射した魚雷を指揮下の驅逐艦隊が発見したことから、日本軍の組織的な雷撃戦が行なわれて戰艦群が撃破されることを恐れ、戰艦部隊に戦線離脱を命じる事態に至っています。

賛否両論はありますが、これほどまでに―――
日本海軍の酸素魚雷は恐れられていたのです。


▼危険性
しかし、酸素魚雷はいいことづくめではありません。
純粋酸素は爆発しやすく、取り扱いが非常に困難でした。

空気魚雷を使っていたころから、魚雷を運ぶ際は魚雷内部に空気は充填せず、戰鬪開始前に艦上で空気圧縮機を用いて魚雷に空気を充填していました。
酸素魚雷になってからは、酸素発生機で酸素を造り、圧縮機で魚雷の酸素ボンベに充填していました。高圧酸素ボンベと化した危険物を抱えて外洋をひたはしるよりかは安全ですが、それでも危険な純粋酸素をただでさえ狭い驅逐艦上で扱わねばならず、その運用は常に危険と隣り合わせでした。

それでも―――

精鋭なる我が水雷科員は極致にまで鍛え上げたその錬度でもって、よく困難な任務を全うしたのでした。


酸素魚雷の開発成功は、ワシントン/ロンドン両軍縮条約で米英に対し数的劣勢を強いられたゆえの苦肉の策であり、いざ開戦!! となるまではその存在は秘匿されねばなりませんでした。

海軍は酸素という表現すら控え、第二空気といふ秘匿名称を用いたばかりか、酸素発生機を製造していた日本酸素株式会社を日本理化学工業株式会社(現:太陽日酸株式会社)に改名までさせました。


次回は雷撃戦についてご紹介しやうかと思いマス。


壁|'-')ノよいお年を。
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