徒然なる戰藻錄

WoTとWoWSをプレイしているところなのです

重雷装艦

はおヾ('ヮ'*)ノ

久しぶりの四方山話。

最近は艦これブームの影響で旧海軍関係書籍の売れ行きもいいみたいですし、わからないことは即時wiki、という風潮ですから、四方山話を載せても、「ふふ、知ってるんだぜ?」とか、「やだ……いまさらそんなこと……おっそーい☆ミ」とか言われそうでこわいことしきり。

書籍には対抗しきれないですが、wikiに載っていないことをここで紹介できたらいいなといふことで、今回は艦これ界のハイパー・アタッカーこと重雷装艦と雷撃戦にスポットライトを当ててみやうかと思いマス。

◆二等巡洋艦 大井/北上 改め重雷装艦
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重雷装艦、すなわち魚雷戦裝備をしこたま詰め込んだ雷撃特化の艦ですね。
この種の艦は日本海軍のみが保有していましたが、これにはワケがあります。

本来、日本海軍は艦隊決戦における決戦兵力を戰艦とみなしていました。これは日本のみならず、当時の列強海軍―――米英獨仏伊―――でも同じでした。
しかし、日本は華盛頓(ワシントン)軍縮条約で主力戰艦の保有量に制限を課せられてしまいました。対米6割という保有量ですね。
米海軍は太平洋、大西洋と国土の東西に艦隊を配備しなければならないものの、日本海軍にとって6割の保有量では米太平洋艦隊と雌雄を決するにはいささか不安と不満が残るものでした。

戰艦戦力の数的劣勢をいかにして補強するか―――
それが条約締結後の日本海軍の最大のテーマとなりました。
それに対する回答として……

本ブログの四方山話でも取り上げましたが、航空母艦戦力の整備による事前航空攻撃、高性能の艦隊型驅逐艦の増産による夜戦決戦、長距離航洋潜水艦の整備や新型兵器の開発……などでした。

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対米戦に備えて訓練中の第20驅逐隊 狭霧・朝霧・天霧

高速飛翔・高性能炸薬内蔵のミサイルなど影も形もなかった戦前、洋上艦を撃沈破するのにもっとも適した兵器は魚形水雷こと魚雷でした。
しかし、魚雷は重く大きいため多数を搭載できず、砲弾にくらべて移動速度も遅いため、敵は容易に雷撃を躱すことができました。

列強主要海軍の保有魚雷性能比較
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なお、射距離は雷速を増減することで伸縮可能。


魚雷の推進システムは空気もしくは電気推進が主でしたが、日本海軍は動力源に純粋酸素を用いる酸素魚雷を開発しました。
これについては後述しますが、昭和10年(1935年)に九三式(酸素)魚雷として採用されたこの魚雷は、当時の魚雷として空前の性能を秘めたものでした。
最大雷速は48節(時速約88.9粁)に達し、雷速を36節(時速約66.7粁)におさえれば、その最大射距離はじつに4萬米に達しました。
この魚雷を潜水艦用に直径を53糎としたのが九五式酸素魚雷で、艦これでは艦首魚雷として登場しています。

酸素を燃焼し、水に溶けやすい炭酸瓦斯を排出するため、映画や艦これでの雷撃戦でもおなじみの白い航跡が生じないため、雷撃を敵に悟られて回避されることもなくなります。

この酸素魚雷をもってすれば、戰艦同士の砲戦距離以遠から、未来予想位置めがけて超長距離雷撃をしかけて敵戰艦を撃沈破するのも夢ではなくなりました。
なにしろ、従来の魚雷戦は、闇夜に乗じて高速を利して敵戰艦に肉薄、決死の雷撃を仕掛けるのが基本雷撃戦術でしたから……

九三式酸素魚雷の実戦配備により、驅逐艦主体の水雷戦隊による夜間雷撃急襲にくわえ、巡洋艦による昼間雷撃といふ戦術が登場しました。
戰艦同士の砲撃戦が始まる前に先制超長距離雷撃をしかけて敵主力艦隊に混乱を惹起せしめ、艦隊決戦を有利に導こうといふわけです。

この戦術は昭和11年ごろから海軍部内で検討され、重雷装艦の整備による昼間長距離雷撃隊の編制が検討されました。
当初、昼間雷撃は一等巡洋艦に委ねる方針でしたが、戰艦に次ぐ砲戦力を誇るこの種の艦から砲熕兵裝を下ろして雷撃特化にするのは総合戦力的によろしくなく、かといって既存の雷装だけでは十分な投射魚雷本数を確保できませんでした。

そこで海軍が目を付けたのが、当時、旧式化の一途をたどっていた《5,500噸型二等巡洋艦》でした。
水雷戦隊の旗艦用として設計・建造された5,500噸型の3型式14艦は、指揮すべき驅逐艦の高性能化に追躡できず、昭和10年代のはじめ頃には次世代型水雷戦隊旗艦用巡洋艦の建造計画の検討も始まったこともあり、ちかい将来、この旧式巡洋艦がダブつくことが予想されました。

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5,500噸型 球磨型巡洋艦 木曾
これら5,500噸型は昭和10年代初頭には性能面の不足が目立つようになった


これら14艦のうち、『球磨』型の3艦―――『北上』、『大井』、『木曾』―――を重雷装艦へ改装することが決定しました。
昭和12年度の出師準備計画で具体的にまとめられ、平時に改装準備を整え、出師準備が発せられたら改装工事に着手することとされました。
※出師準備:戦時態勢へ移行すること。旧日本海軍用語のひとつ。

改装計画では高角砲、既存の魚雷発射管を撤去し、砲熕兵裝として14糎単裝砲を前部に4基だけ残し、九二式四聯裝61糎酸素魚雷発射管を片舷5基20線、両舷で10基40線を搭載することとされました。
驅逐艦の標準装備となりつつあった次発装填装置や予備の魚雷は搭載しません。
搭載魚雷40本を先制雷撃で一挙に解き放つことが重雷装艦の役目であり、その瞬間にもてるすべての力を発揮することが求められた、まさに雷撃特化の艦でした。

日米関係が緊迫化しつつあった昭和16年(1941年)1月に、『北上』、『大井』が重雷装艦への改装工事に着手。9月に『大井』、12月に『北上』がそれぞれ工事を完了して聯合艦隊に復帰します。
重雷装艦となった2艦はその役割、外観などが厳重に秘匿され、重雷装艦という艦種も設定されないため、従来通りの二等巡洋艦として類別されました。
残る『木曾』は改装工事は行なわれませんでした。

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重雷装艦時の艦上兵裝配置

しかし―――
太平洋戦争の情況は、戦前に海軍が想定していた主力戰艦同士の砲撃戦は発生せず、決戦補助戦力であった航空母艦と航空機が主流となっていきました。
大艦隊同士の一大砲雷戦は鳴りを潜め、お互いの艦隊を艦隊乗員が視野に入れない遠距離空母航空攻撃戦がはばおきかし、重雷装艦がその真価を発揮する機会はついに得られませんでした。

ついには発射管をおろして輸送積載量を確保した高速輸送艦扱いとなり、雷撃力が発揮できそうな状況であったソロモン戦線に重雷装艦ではないかたちで派遣されるハメになってしまいました。

昭和18年にはいり、もはや重雷装艦の出番は完全に喪われ、『北上』と『大井』は本格的に高速輸送艦へ改造されることとなりました。
昭和19年7月に『大井』が南支那海で戰没し、のこる『北上』は翌8月、非道なる戦術兵器、人間魚雷《回天》の輸送・運用母艦に改造されました。

回転母艦 北上
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北上艦上の回天
写真奥の艦尾方向へ移動して海中に進水する


改造は完了したころには、内地の燃料事情は極度に悪化しており、運用や輸送に出動できる状況ではなくなっていました。
そのまま『北上』は終戦を迎え、5,500噸型14艦で唯一の残存艦となりました。

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艦尾スロープより海中に進水する回天

戦後―――
『北上』と『大井』は重雷装艦に改造せず、そのまま高速輸送艦に改造した方が有益であった、という批判的意見が出るようになりました。
もちろん、そんなのは後知恵によるもので、当時の日本海軍が置かれた状況から雷撃艦の運用が不可能になる戦況を予測することは非常に困難でした。

太平洋戦争のありさまが戰艦中心から航空中心に移行してしまい、日本海軍がそれに柔軟かつ迅速に対応できなかったのは確かですが、だからといって従来通りの艦隊戦が起きないという保証はなく、重雷装艦にも戦況に寄与できる場面があると予想は可能でした。
ようはいかに適切な戦場に、適切な時期に、適切な戦力を投影できるかなのです。

軍縮条約で戦力に制限を課せられたなかで新兵器である酸素魚雷を開発し、それを効果的に運用できる艦種を整備することは間違いではなく、重要なのはそれら戦力を効果的に運用できるよう海軍上層部がしっかりと戦争指導することです。
ただ―――
科学技術の発展とそれによって生じるであろう将来の戦場の在り方、兵器体系を予測して戦備を整えるのは非常に難しく、『北上』、『大井』の重雷装艦は将来戦に備えることがいかに厳しいかを教えているのではないでせうか。



壁|'-')ノよいお年を。
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