徒然なる戰藻錄

WoTとWoWSをプレイしているところなのです

3つのちっちゃな物語

はおヾ('ヮ'*)ノ

艦これに因んだぐだぐだな小噺をつらつらツラツラ書き聯ねる艦これ―四方山話―。

今回は3つのオムニバスな具合にご紹介。

それでは逝ってみよー☆ミ


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其の壱:大統領

昭和18年8月2日未明、南太平洋ソロモン諸島はニュー・ジョージア島付近を哨戒中の驅逐艦『天霧』は、前方洋上に船影を發見し、慎重に接近していった。だが、それは米海軍の魚雷艇であった。
あまりに至近距離であり、艦砲も機銃も使えない。
『天霧』は緊急回避を試みて取舵をとったものの、閒に合わず、魚雷艇に衝突してしまった。
『天霧』は魚雷艇を引き裂き、押し潰した。
恐れていた魚雷艇搭載魚雷の誘爆はなく、『天霧』は艦首に亀裂がはいったのと、右舷推進軸の損傷程度で濟んだ。

一方、衝突した米軍魚雷艇PT-109は、ソロモン諸島南部のフロリダ島ツラギ地區所属の部隊で、8月1日、日本軍が中部ソロモンのニュー・ジョージア島付近で活動するのを阻害するため出撃した14艇のうちの1艇であった。
PT-109は日本軍を探し求めたが會敵できなかった。
2日未明、ニュー・ジョージア島沖のブラケット海峽でPT-109は『天霧』と遭遇、衝突し、沈没した。
PT-109は木製船体の、排水量わずか50噸たらずの小型艇で、戰鬪排水量2,000噸級の『天霧』にぶつけられて、いともあっさりと沈没してしまった。
魚雷艇は高速をウリとする奇襲雷撃を得意とするが、このときは日本軍機の哨戒を避けるべく低速で航行していたために舵の効きが惡かった。
魚雷艇の乘員は奇跡的にも死者を出さず、全員無事に沈みゆく艇から脱出することができた。
乘員は沖合の無人島にからくもたどり着き、6日後、捜索救助部隊に救出された。

このときPT-109の艇長を務めていたのは、1961年に第35代合衆國大統領に就任するジョン・フレデリック・ケネディであった。
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PT-109のクルー。右端がケネディ艇長。


其の貳:海軍航空機の名稱

艦これにもいろいろと登場する航空機。九七式艦攻というのもあれば彗星というのもあり、パっと見ただけでは同一タイプの機体なのか判別しづらいものがあるわけです。
日本海軍の航空機の名稱は昭和4年(1929年)から昭和17年(1942年)の春ごろまでは、皇紀年號の下2桁+式+大きな改修を示す號+機種名+小改修を示す型を付けるというかたちでした。

例:
九六式二號艦上戰鬪機一型
 2回の大改修と1回の小改修を実施した機体

九六式四號艦上戰鬪機
 4回の大改修をし、その後の小改修はされていない機体


昭和17年4月からは、號と型の表記をやめ、皇紀年號の下2桁+式+機体の改修回數+發動機の改修回數+型に変更となりました。基本、初期量産型は一一型となります。

例:
零式艦上戰鬪機二一型
 初期型の機体に大改修を1度加え、發動機は初期型と同じものを搭載している機体

九七式艦上攻撃機一二型
 初期型の機体に手を加えず、發動機を初期型のものから新しいものに1度搭載しなおした機体

日本海軍戰鬪機の代表格である零戰で示すとこうなります。
※派生型が數多くあるため、主だったもののみとしています。

零式艦上戰鬪機一一型(零式一號艦上戰鬪機一型より改稱)
 初期量産型。昭和15年7月より実戰配備。

零式艦上戰鬪機二一型(零式一號艦上戰鬪機二型より改稱)
 主翼端を50糎折り畳めるようにし、着艦制動鉤や無線帰投方位測定器といった艦上機用装備を積むなどの大改修を受けた機体。太平洋戰爭初期に零戰無敵神話を築き上げた機体。一號零戰とも呼ばれました。

零式艦上戰鬪機三二型
 主翼端の折り畳み機構を廃し、角型に成型するなど二一型の機体に大改修を施し、發動機を出力向上型に換裝した機体。昭和17年8月ごろより実戰配備。二號零戰とも呼ばれました。

零式艦上戰鬪機二二型
 三二型の主翼端の成型を元に戻した機体。元に戻したため、三二型→二二型と左側の數値が減っている。昭和17年の末ごろより実戰配備。二號零戰改とも呼ばれました。

零式艦上戰鬪機五二型
 二二型をもとに徹底した大規模改修を施し、昭和19年初めごろより配備が始まった大戰末期の海軍主力戰鬪機。1萬機以上生産された零戰の各タイプで最多の6,000以上がこの五二型系列。三號零戰とも呼ばれました。
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東京・靖國神社の遊就館に展示されている五二型


昭和17年の夏以降は、機種ごとに個別の名稱をつけることとなりました。

艦上戰鬪機(甲種戰鬪機):風/烈風、陣風など
局地戰鬪機(乙種戰鬪機):雷/雷電、紫電、震電など
夜閒戰鬪機(丙種戰鬪機):光/月光、極光など
偵察機:雲/彩雲、紫雲、瑞雲、景雲など
攻撃機:山/天山、連山、深山、南山など
爆撃機:星/彗星、銀河、流星など

ちなみに、艦これにも出てくる紫電改二は、もともと陸上でしか使えない戰鬪機であった紫電三一型(紫電二一型の改良型)に着艦關聯の裝備を付け加えたもので、昭和19年11月に軍艦『信濃』(航空母艦)で着艦実驗を行なっています。


其の參:日本最高速艦

世界最高水準の精鋭驅逐艦78艦を主力とする111艦の驅逐艦を保有した狀況で、日本海軍は太平洋戰爭に突入しました。
戰時中に63艦が新規建造就役しましたが、戰没艦は135艦に達し、終戰時には42艦がどうにかこうにか各地で生き永らえている有様でした。

それらの日本驅逐艦のなかで、一番の快速ぶりを發揮したのが、昭和16年8月8日に舞鶴海軍工廠で起工し、昭和18年5月10日に竣工した『島風』です。

『島風』建造の背景には、軍縮條約失効後に列強各國で新規建造された驅逐艦が、次々と37節(時速約68.5粁)という高速性能を出し、日本の新鋭驅逐艦群の35節(時速約64.8粁)を上回っていったことでした。
これに危機感を覺えた日本海軍は、列強の高速驅逐艦を凌駕する新鋭艦を求めました。それが『島風』という回答です。

『島風』には3基の罐(かま。日本海軍ではボイラーをこう呼んでいました)があり、出力は7萬5890馬力。これは『大和』型戰艦の15萬馬力のおよそ半分にもなる出力。
『島風』の排水量は3,000噸と『大和』型の20分の1ながら、出力はわずか半分。『島風』の高速性能の根源がここにあるわけです。
『島風』は当初の計畫速力である39節(時速約72.2粁)を達成し、通常よりやや輕くした排水量2,894噸、過負荷全力7萬9240軸馬力で40.9節(時速約75.8粁)の最高速力を記録しました。
これは大正9年(1920年)10月に記録された、『峯風』型驅逐艦4番艦『島風』が達成した排水量1,379噸、4萬0652軸馬力で40.698節(時速約75.4粁)を塗り替え、名実ともに、日本最高速艦の座に君臨することとなりました。

この初代『島風』の最高速性能をあやかって、昭和18年に完成した2代目『島風』はその名を受け繼いだといわれています。

130523c

『島風』はこれほどの高出力罐を搭載しておきながら、重油積載量は『夕雲』型驅逐艦の600噸、『陽炎』型驅逐艦の622噸とほとんど差がない635噸。
この積載量で『島風』は巡航18節(時速約33.3粁)で実に6,000浬(約1萬1100粁)も航行することが可能です。

日本の驅逐艦は歐米と違って敵大型艦を雷撃することに重點を置いており、魚雷發射管に裝填されている魚雷、予備魚雷とそれを裝填する裝置を備えることで、2度にわたって強力な雷撃を実施することが可能でした。
『島風』では、魚雷の性能向上にともなう重量增加により、予備魚雷と裝填裝置を持たず、かわりに零式五聯裝魚雷發射管3基15射線という日本驅逐艦はおろか、世界でも最大級の雷撃力を誇りました。

艦これではなかなか手に入らない、れあれあな艦娘ですが、手に入れるための勞苦に見合うだけの活躍をしてくれることでせう。



壁|'-')ノよいお年を。
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