徒然なる戰藻錄

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日本の空母-開戦から終戦まで

はおヾ('ヮ'*)ノ

前回から続きまして、2~3連続ぐらいつづく日本空母に関しての四方山。

艦これネタが尽きても四方山でお茶を濁せる……
そうか、そんな姑息な手段もあるのか……と括目することしきり。

さてさて幸手市、2回目は開戦から終戦までの日本海軍空母についてです。

空母の個々艦の戦歴などについてはほかの方のブログやらWikiを見てもらいませう。


◇第一航空艦隊の創設と空母勢力の拡充

対米英関係の悪化に伴い、昭和15年ごろより空母予備艦の空母改造工事、助成により建造が進んでいた船舶の徴用と空母への改造工事を急ピッチで進めることになります。

まずはじめに潜水母艦『大鯨』、『剣埼』、建造中の『高崎』、造船中であった徴用船舶の『春日丸』、『出雲丸』が順次、空母への転換改造工事にはいります。

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龍鳳に改造される潜水母艦大鯨

『大鯨』 → 航空母艦『龍鳳』
『剣埼』 → 航空母艦『祥鳳』
『高崎』 → 航空母艦『瑞鳳』
『春日丸』 → 航空母艦『大鷹』
『出雲丸』 → 航空母艦『飛鷹』

これらのうち開戦までに『瑞鳳』、『春日丸』が完成にこぎつけ、日本海軍は以下の10艦の空母を保持した状態で太平洋戦争に突入します。

第一航空戰隊:『赤城』・『加賀』
第二航空戰隊:『蒼龍』・『飛龍』
第三航空戰隊:『鳳翔』・『瑞鳳』
第四航空戰隊:『龍驤』・『春日丸』
第五航空戰隊:『翔鶴』・『瑞鶴』

『春日丸』は空母改造後、しばらくは商船時代の名前を用いていましたが、昭和17年8月末をもって『大鷹』と改名されました。

昭和16年8月、マル急計画と呼ぶ昭和16年度戦時艦船建造及航空兵力充実において、17,100噸級航空母艦1艦、2,980噸級乙型驅逐艦10艦の建造を計画。この時に計画された空母は、『飛龍』型に改良を加えたもので、のちの『雲龍』型航空母艦です。

日本海軍は中部太平洋で戰艦中心の艦隊決戦で対米戦に挑む構想を持ち、その決戦時に敵空母を撃破、砲戦時の弾着観測を有利にするための手段として空母を運用する計画でした。前回、記載した機動航空部隊などですね。
昭和14~15年ごろから、海軍部内の一部先進的な戦術思考を持った将校のあいだから、機動航空部隊を建制(正規編制)部隊として空母の集中運用を行なうべきとの意見が出るようになりました。

昭和15年6月には、第一航空戦隊司令官であった小沢治三郎少将が航空艦隊編成の必要性を述べた意見書を海軍大臣に直接届けるまでに至り、翌年4月、第一艦隊所属の第三航空戰隊(『鳳翔』、『瑞鳳』)を除く全空母を一元配備した第一航空艦隊が創設されました。

とはいえ、第一航空艦隊は空母と直衛の驅逐艦のみで編成されており、誰もが思い描く、真珠湾攻撃やミッドウェイ海戰のような戰艦、巡洋艦などを従えた強大な艦隊からはほど遠いものでした。

昭和16年4月編成時の第一航空艦隊
 第一航空戦隊
  『赤城』・『加賀』
  第七驅逐隊 『曙』・『潮』・『漣』

 第二航空戦隊
  『飛龍』・『蒼龍』
  第二三駆逐隊 『菊月』・『夕月』・『卯月』

昭和16年9月第一航空艦隊に追加された航空戰隊
 第四航空戦隊
  『龍驤』・『春日丸』
  第三駆逐隊 『汐風』・『帆風』

 第五航空戦隊
  『翔鶴』・『瑞鶴』
  附属驅逐艦 『朧』・『秋雲』


◇ミッドウェイの敗北と空母増産計画

太平洋戦争開戦後、海軍は戦前より改造を進めていた空母予備艦などの改造空母群を次々と完成させていきました。昭和17年末までにその数は6艦に達しましたが、いずれも改造艦ばかりで、正規の空母はまだ1艦も完成していませんでした。

完成空母
『祥鳳』 ・ 『龍鳳』 ・ 『飛鷹』
『橿原丸』 → 『隼鷹』
『八幡丸』 → 『雲鷹』
『新田丸』 → 『冲鷹』

一方で、昭和17年5月の珊瑚海海戦で改造空母『祥鳳』を喪い、6月のミッドウェイ海戰で主力空母『赤城』、『加賀』、『飛龍』、『蒼龍』を一挙に喪失する大損害を被ります。

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ミッドウェイ海戰で撃破炎上する空母加賀

ミッドウェイの敗北を受け、海軍はマル五計画の大幅な見直しを実施し、改定マル五計画で『大鳳』改型5艦、『雲龍』型15艦の正規空母大増産を計画します。
さらに、建造中の『大和』型戰艦3番艦を空母へ改造することが決まります(『信濃』の空母改造に伴い、『雲龍』型空母2艦の建造が取消)。

ガダルカナルを巡る攻防戦で輸送や甲標的の運用で活躍した、空母予備艦として建造されていた水上機母艦『千歳』、『千代田』の空母改造も昭和18年初頭より開始。

商船改造空母も『あるぜんちな丸』、『ぶらじる丸』の空母改造を決定。このうち、『ぶらじる丸』は本土に戻る前に戰没しました。
さらに海軍は、欧羅巴(ヨーロッパ)での戦争勃発に伴い、本国の獨逸へ帰国できなくなった獨逸商船『シャルンホルスト』を購入し、空母への改造を始めました。

空母の増勢は急務であり、少しでも海上航空兵力を強化すべく、海軍は主力戰鬪艦である軍艦籍の空母改造を促進します。
『伊勢』型戰艦の『伊勢』、『日向』が全通甲板型空母への大改装を開始。ただし工期短縮のため、艦後部に飛行甲板を設けるだけの半戰艦半航空母艦という中途半端な航空戰艦として完成します。
ミッドウェイ開戦後に建造が中止になっていた『最上』型巡洋艦の改良型である『伊吹』も、空母への改造が決定し、工事が再開されました。

泥縄的な空母増勢では戦機を逃すとして、海軍航空本部総務部長の大西瀧治郎少将は《航空母艦整備方針ニ關スル意見》を作成し、軍令部に提出しています。
この意見書では―――

▽空母に重防禦を施しても敵の攻撃を完全には防げない
▽空母海戰で空母艦上機の攻撃回数は1~2回程度
▽空母に必要以上の爆発物(爆弾、魚雷、航空燃料など)が積載されている
▽空母同士が攻撃しあえば時間の前後はあるがほぼ相討ちになる
▽空母1艦でも複数の空母を撃破して相討ちに持ち込める

などの空母戦闘に関する指摘をしたうえで、

▼空母の一部を前方配備し、まず敵空母の活動能力を奪い、しかるのち空母を含む全艦で敵撃滅戦を展開すべき

という空母艦隊決戦の方針を提案しています。

空母についても、空母戦闘を行なう上で最低限の戰鬪速力と航空艤装を備えた補助航空母艦の急速整備を提案し、艦政本部に対しても、材料が不足しているならば、艦体の舷側甲鈑の厚さを一定にせずともいいのでは、とまで具申していました。

艦政本部は最終的に、補助航空母艦は当時建造がすすめられていた『雲龍』型と大差ないため、多数の乗員が乗り込む航空母艦の粗製乱造には同意しませんでした。


◇遅すぎた正規空母群

昭和19年6月、太平洋戦争の事実上の天王山とも言うべきマリアナ列島サイパン島の戰鬪が始まり、日本海軍はサイパン防衛と対米決戦を企図し、《あ號作戰》を発動します。
6月18日から21日にかけて行なわれた《あ號作戰》は、日本側では正式呼称はありませんが、一般的にマリアナ沖海戰と呼ばれています(米側呼称:フィリピン海海戰)。
この海戰は、直接戦闘に参加した空母の数が日米合わせて24艦にも達し、史上最大規模の空母艦隊決戦として知られています。
日本側は空母9、艦上機約430機。
米側は空母15、艦上機約900機。

日本艦隊は18日、19日と先制して敵空母部隊を捕捉し、19日に米空母の攻撃範囲外から一方的な攻撃を仕掛けたものの、米軍は防禦戰鬪に全力を傾注したために大量の航空機を撃墜されてしまいます。
航空攻撃のさなかに、日本側は潜水艦によって旗艦『大鳳』、戰鬪空母『翔鶴』を沈められます。
20日には米軍の追撃が始まり、日没迫るなかで、米軍にとって本海戰で唯一の航空攻撃を仕掛け、改造空母『飛鷹』をしとめました。

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6月19日に米空母USSヴァンカー・ヒルCV-17を爆撃する日本空母機

空母3艦、艦載水上偵察機を含めて400機近い航空機を喪ったこの海戰で、日本軍は近代海戰を戦う上で必要な空母機動部隊が事実上潰滅してしまいました。

4箇月後の《捷一號作戰》で、最後の機動部隊が出動空母全4艦を喪って潰滅し、日本海軍は機動部隊の再建を断念します。

昭和19年の空母海戰に間に合った新造正規空母は、戦前に策定して建造した装甲空母『大鳳』ただ1艦のみで、あとは空母予備艦や商船改造空母ばかりでした。
とりわけ、商船改造空母は高速優秀船として建造されていた『出雲丸(『飛鷹』)』、『橿原丸(『隼鷹』)』、を除いてのきなみ鈍足であったため、艦隊決戦に活用できませんでした。

空母機動部隊を構成し、早期に再度の決戦を挑む能力を喪っていた昭和19年8月に、マル急計画で建造されていた『雲龍』型正規空母『雲龍』、改マル五計画での建造艦である『雲龍』型の『天城』が竣工しましたが、完成は遅すぎました。
10月には『雲龍』型正規空母3番艦『葛城』が完成しますが、これら正規空母群が活躍する機会はなく、1番艦『雲龍』は完成からわずか4箇月後には、輸送艦として用いられている最中に潜水艦によって沈められてしまいました。
『天城』、『葛城』は空母機動部隊を構成することなく、昭和20年7月の呉大空襲でともに撃破され、不運な艦歴に終止符を打つことになります。

原子力空母が登場するまで世界最大の航空母艦の座を保持した『信濃』は、完成後わずか10日で遠州灘で米潜水艦によって沈められてしまい、大戦末期の日本空母はもはや浮かぶ標的にすぎない状態にまで落ちぶれてしまいます。

昭和20年8月15日、終戦―――

空母増産を狙っていた改マル五計画の『雲龍』型正規空母13艦(本来は15艦だが、『信濃』の空母改造と引き換えに2艦が建造取り消し)は、終戦までに『天城』、『葛城』の2艦が完成したに過ぎず、『笠置』、『阿蘇』、『生駒』は未完成。ほかは起工すらされませんでした。

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未完成で終戦を迎えた雲龍型4番艦の笠置

ちなみに、『雲龍』型空母1番艦の『雲龍』はマル急計画で建造されているので、改マル五計画の『雲龍』型は2番艦以降が建造及び予定でした。

改マル五計画の『大鳳』改型に至っては、ただの1艦も起工されませんでした。


◇日本空母の終焉

大西瀧治郎航空本部総務部長の意見書にあるとおり、空母航空戦は双方に瞬時に被害が出る消耗戦の様相を呈しており、さらにミッドウェイ海戰でも示されるように、攻撃に対し非常に脆弱でした。
そのため、空母を一種の消耗品としてとらえて、急速建造の補助航空母艦の量産を求めた大西部長の意見は太平洋戦争の空母戦闘に対するものとしてはなかなかにして重要なものではなかったでしょうか。

とりわけ、ミッドウェイ海戰後に『翔鶴』型戰鬪空母と並ぶ主力空母の位置に上り詰めた『飛鷹』型空母が、ソロモン諸島やマリアナ沖での戦いで、主力正規空母に劣らぬ活躍を示したことからも、補助航空母艦の計画は、戦争に勝つためだけの空母増産計画としては、一目置けるものと言えるでしょう。

類似のものとして、昭和19年に艦政本部は、航空艤裝などを簡略化して10箇月程度の建造期間で就役させられるG18という15,500噸級航空母艦を設計していました。
マル五計画の時点でこういった戦時量産型空母の建造に本腰を入れていれば、マリアナ沖での大空母戦に多くの正規空母を投入することができていたかもしれません。

とはいえ、空母の性能そのものが際立っていても、戦機に応じた投入、戰鬪が行なわれなければ意味がありません。
商船改造の『飛鷹』型空母、『瑞鳳』や水上機母艦改造の『千歳』型空母などを見ても分かる通り、搭載機数など性能面で劣っていても、戦機に即した運用がなされれば空母戦力としてまずは十分な活躍ができました。

ただし―――

空母戦闘は空母だけそろえばいいというものではありません。
空母に搭載する航空機、そしてなによりも搭乗員がもっとも重要な要素です。
とりわけ、優秀な……少なくとも実戦に耐えられる訓練を十分に受けた搭乗員が必須です。

搭乗員の面において、日本海軍は大戦中盤から著しく道を誤ってしまいました。
ガダルカナル、ポート・モレスビーなど南東方面での航空作戰で、貴重な空母航空兵力を相次いで消耗してしまい、最大の戦機であるマリアナ沖での戰鬪で搭乗員の錬度不足から、大量の航空機を喪う大敗を喫してしまいました。

日本空母が太平洋戦争の序盤、開戦から1年たらずのあいだしか活躍できなかったのは、海軍上層部の戦争への見通しの甘さと、航空兵力の急速大量育成など、さまざまな要因が絡み合っての結果でした。

最終的に日本空母は飛ばすべき母艦機を喪って輸送艦の代用となり果て、空母を喪った母艦機は史上最悪の戦術である神風特別攻撃隊の使用機として大空に散っていくことになりました。


神風攻撃隊の映像


本映像内4分44秒のところで、核爆発かと見紛う映像があります。
これは昭和19年12月28日、中部比律賓(フィリッピン)ミンドロ島沖で第一四金剛隊(爆裝零戦3、直掩3)、月光隊(月光1)の神風攻撃を受けて、弾薬輸送の任を負っていた『リバティ』型輸送船『ジョン・バーク』が爆沈したものです。

第一四金剛隊
指揮官:星野政己中尉(飛行科予備学生13期生)
大塚 明上等飛行兵曹(甲種飛行予科練習生10期生)
川淵静夫一等飛行兵曹(甲種飛行予科練習生11期生)

月光隊
高橋安吉一等飛行兵曹(丙種飛行予科練習生12期生)
大友禄郎一等飛行兵曹(甲種飛行予科練習生11期生)


次回は改造空母などについてご案内しようかと思います。


壁|'-')ノよいお年を。
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