徒然なる戰藻錄

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五十鈴が近代化素材になっても代わりはいるもの

はおヾ('ヮ'*)ノ

艦これ界の綾波レイこと二等巡洋艦『五十鈴』。
Lv12で改になり、電探などを外したら対空+5の近代化素材として工廠の露と消える薄倖のツインテール艦として知られておりますネ。

今回はその『五十鈴』について四方山っちゃうのデース。


◇『長良』型二等巡洋艦二番艦『五十鈴』

大正12年(1923年)に完成した水雷戦隊旗艦用5,500噸型二等巡洋艦である『五十鈴』は、完成当時こそ優秀な巡洋艦として太平洋に君臨したものの、太平洋戦争が始まった頃には艦齢も20年ちかくに達する旧式艦にちかい存在になっていました。
昭和18年暮れ、外南洋のマーシャル群島で米軍機の空襲で損傷したのを機に、防空巡洋艦への改装工事が行なわれました。

ちなみに、防空巡洋艦というのは役割上の呼び方に過ぎず、日本海軍における正式な艦種ではありませんのご注意をば。

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防空巡洋艦のはしりは、戦前の1936年、英吉利(イギリス)が旧式のC級乙巡の主砲を対空用の高角砲に換装し運用したのがはじまりです。
『五十鈴』もこれと同じ形で改装が行なわれました。

日本海軍も戦前、発達する航空機の威力に対する水上艦の対空防禦力の強化をはかった防空専門艦には着目していました。旧式化していた『長良』型などの5,500噸型二等巡洋艦を改装し、防空専用艦に作り直してはどうかと検討されていたのです。

開戦後の戦線拡大と、前線での1艦でも多くの艦を欲する需要に翻弄され、防空専用艦への改装は遅々として進まず、『五十鈴』の損傷→内地帰還により、ようやく対応することができました。

防空巡洋艦としての改装に当たり、対空戦に不向きな単裝の14糎主砲7門、8糎単裝高角砲をすべて撤去。45口径八九式12糎7の聯裝高角砲3基6門、九六式25粍機銃を3聯裝11基、単裝5基をあらたに搭載しました。

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搭載武裝を見ても分かる通り、防空巡洋艦とはいえその対空防禦力は低いものでした。
防空専用の新鋭『秋月』型驅逐艦の新型長10糎聯裝高角砲4基8門よりも少ないし、米海軍の専門の防空巡洋艦である『アトランタ』級の127粍聯裝両用砲6基12門の半分でしかありませんでした。

とはいえ、既存の巡洋艦を防空専用に改装することは、排水量の関係でなかなか厳しいものでした。実際、英吉利海軍も既存艦を改装した防空巡洋艦の対空防禦力は『五十鈴』同様、それほど高いとは言えませんでした。

ただ―――
戦前の防空専用艦への改装計画では、『秋月』型に搭載された65口径九八式10糎高角砲を7基14門搭載することとされていました。戦前の計画と異なった低火力となった背景には、対水上艦戰鬪を想定した魚雷発射管をそのまま搭載していることと、戦時下の逼迫した戦況に早急に対応するために工期の短縮を図ったことなど、いろいろな要素が絡んでいました。


『五十鈴』の防空巡洋艦への改装は対空兵裝類の交換だけではありません。
水雷兵裝は従来の六年式53糎聯裝発射管から酸素魚雷の運用が可能な九二式61糎4聯裝発射管に交換されました。
防空専用艦に水雷兵裝は無用ですが、対水上戰鬪能力の急激な低下を補うためと、なによりも戦況の逼迫により、防空特化の艦として運用することが厳しいという現実的な側面もありました。

艦橋や檣についても改良がくわえられています。
檣の上部に設置されていた射撃指揮所、測的所が撤去され、九四式高射装置が取り付けられました。
艦橋のトップには対空捜索用の二一號電探(二式二號電波探信儀一型)を設置。後檣には対空用一三號電探(三式一號電波探信儀三型)、対水上用二二號電探(二號電波探信儀二型)が新たに新設されました。

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A:九四式高射装置
B:二一號電探
C:防空指揮所(二一號電探直下の露天甲板)
D:遮風装置

Dの遮風装置は艦橋にあたる風を巻き上げてトップの防空指揮所前面に空気による膜を形成するためのもの。
Aの高射装置は艦艇用の高角砲指揮装置で、終戦まで使用された日本海軍の主要な火器管制装置です。
照準装置の部分と計算装置の部分とを分離し、重要な計算機構は艦内の発令所に装備する分離式のものでした。照準装置の部分を高射機、計算装置の部分を高射射撃盤と称します。

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A:九六式25粍三聯裝機銃
B:九六式25粍単裝機銃
C:45口径八九式12糎7二聯裝高角砲
D:九二式61糎四聯裝魚雷発射管
E:一三號電探
F:二二號電探

これら一連の改装にくわえ、『五十鈴』には二式哨信儀が装備されました。
これは赤外線を用いた信號機で、光そのものは肉眼では見えないですが、特殊眼鏡を使用するとその光がモールス信號となって見えるというシロモノです。いわば赤外線を用いた敵味方識別装置です。
友軍艦の探照燈が発した赤外線をキャッチすると、哨信儀は自艦の2キロワット信號燈を作動させて味方であることを友軍艦に知らせる仕組みです。
装置は艦橋の12糎双眼鏡の上に取り付けられました。


対潜能力がほとんどなかった『五十鈴』はこの改装により、対潜水艦能力も付加し、強化しました。
これにより、対潜掃蕩を主務とする第三一戰隊へ旗艦として配属されることとなります。この戰隊には旧式の驅逐艦や戦時量産型の『松』型驅逐艦、海防艦など10数隻が配備されていました。
本来は『名取』が旗艦を予定していましたが、米潜に沈められたため、対潜能力が強化された『五十鈴』に白羽の矢が立ったわけです。ただ、一説によれば、三一戰隊配属を念頭に於いて対潜能力を強化したとも言われています。

防空専用艦ともなれば、誰もが空母部隊の直衛に就くものと思われます。では、なにゆえ対潜掃蕩部隊の所属となったのか―――

日本本土と南方資源地帯を結ぶ大陸沿岸航路では、潜水艦のみならず大陸奥地から飛来する米陸軍航空軍の爆撃機も脅威となっていたためです。

防空と対潜、引く手あまたの『五十鈴』は改装に手間取ったこともあり、出渠後、三一戰隊の一員として対潜任務に従事することなく、第三艦隊(空母機動部隊)の防空直衛艦として活動することとなります。

『五十鈴』が戦列復帰したころ、戦局はレイテ島にまで迫っており、聯合艦隊は乾坤一擲の大作戦《捷一號作戰》の準備に入っていました。

『五十鈴』はその対空能力を買われて、第三一戰隊所属のまま第三艦隊に配備されます。

第三艦隊は昭和17年7月に新たに編成された艦隊です。
空母と驅逐艦のみで構成され、有事にほかの艦隊や戰隊から艦をまわしてもらっていた第一航空艦隊と違い、日本海軍初の本格的な空母艦隊で、作戰時における部隊名も機動部隊となっています。

名将・小沢治三郎中将を司令長官に迎えていた第三艦隊は、《捷一號作戰》においては米機動部隊をレイテからはるか遠くの北方海域に引きずり出す囮部隊として出撃します。

10月25日の朝8時ごろから第三艦隊はハルゼー提督の第3艦隊空母機の激しい空襲に曝されます。
8時ごろの第一次空襲で『秋月』(0856時ごろ)、『千歳』(0937時ごろ)が相次いで沈没、旗艦『瑞鶴』も被爆し指揮通信能力を喪います。

10時ごろから第二次空襲がはじまり、『千代田』が撃破され航行不能となります。

13時ごろから始まった第三次空襲はこの日最大規模の200機もの敵機が来襲し、撃破されていた『瑞鶴』が1414時に沈没し、最後まで残った改造空母『瑞鳳』も1526時に沈没し、ここに日本海軍機動部隊は事実上潰滅しました。

夕闇迫る17時ごろから第四次空襲が行なわれましたが、『伊勢』、『日向』、『大淀』など水上艦を中心とした対空防禦陣形を敷いた第三艦隊残余の艦艇は激しく応戦、さしたる被害を受けずにこれを撃退しました。

この日、米第3艦隊は527機もの攻撃機を繰り出してきました。
『五十鈴』は不確実4機を含む13機を撃墜したと戦闘詳報に記載していますが、防空巡洋艦としてはあまりに低い戦果でした。
ちなみに、第四一驅逐隊の秋月型驅逐艦『霜月』の報告した撃墜戦果は10機であり、『五十鈴』とは大差ない戦果でした。

米軍が昭和18年頃より使い出した、高性能の射撃管制電探や近接自動信管といった新型対空システムをもたない日本の防空巡洋艦の限界がここにありました。

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エンガノ岬沖海戰。左の大型艦は瑞鶴。手前の艦は秋月型驅逐艦若月。右手遠方の艦は瑞鳳と思われる。

なお、この戦闘中に『五十鈴』で事故(?)が起きています。
対空射撃中に、高角砲の砲弾と25粍機銃弾が運悪く空中で衝突し高角砲弾が破裂、その破片を浴びて高角砲の操砲員らが重軽傷を負いました。このようなケースは実際に起こるものの、その確率は極めて低く、『五十鈴』艦上でたまたま起きてしまった出来事でした。

このような事故(?)が起きたものの、『五十鈴』は空母直衛艦として戦いました。艦橋前部の機銃座附近に爆弾が命中し、機銃員は下半身を吹き飛ばされて即死しました。その機銃員は身体を機銃座にしばりつけていたので、戦死してもなおその指は機銃から離れることなく、弾丸が尽きるまで発砲し続けたといいます。

空襲の合間をぬって『五十鈴』は沈没した『千歳』乗員の救助を実施し、空襲で喪った機銃員を『千歳』の機銃員で補充し、第四次空襲まで対空戦闘を継続しました。

激しい戦闘の連続と夜戦命令(その後撤回)により『五十鈴』の燃料は不足し、艦の重量が軽くなったため喫水が上がってしまいました。こうなるとスクリューが空回りするため、燃料庫に海水を満たして喫水を下げ、『五十鈴』はほかの第三艦隊の残存艦とともに沖縄方面に脱出しました。


その後、『五十鈴』は第五艦隊(部隊名:南西方面艦隊)配属となり、輸送任務を兼ねて南方へ出撃しました。その途上、馬尼剌(マニラ)沖で米潜水艦の雷撃を受けて舵を破壊されました。
スクリューはすべて無事でしたが直進しかできなくなったため、左右のスクリュー回転速度を増減させながらどうにか新嘉坡(シンガポール)セレター軍港にたどり着きました。

損傷修理後、『五十鈴』は最後の航海に出撃しました。
任務はティモール島の陸軍部隊を収容し、小スンダ列島のスンバワ島に輸送することでした。任務そのものは無事完了しましたが、スンバワ島のビワを出港してまもなく、米潜水艦USS『ガビラン』SS-252の発射した魚雷1本が艦橋直下に命中。必死の排水応急修理で沈没を阻止しようとしましたが、つづけて米潜USS『チャー』SS-328の放った魚雷が左舷罐室、後部機械室に命中。3本の魚雷に耐えられるほど頑健ではない旧式艦の『五十鈴』は189名の乗員を艦内に残したまま、0846時ごろ、艦首を上にして滑るように海中に没し去りました。

防空専用艦として改装されるも十分な戦果を挙げられず、対潜艦として敵潜を撃沈することなく、逆にその潜水艦によって沈められた『五十鈴』でしたが、対空・対潜攻撃能力を付加するというのは近代戦に適応したものでした。

防空・対潜艦『五十鈴』を有効に運用できなかった当時の日本海軍の技術的限界を、『五十鈴』は身をもって示していたと言えるのかもしれませんね。

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壁|'-')ノよいお年を。
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コメント

懐かしい艦の記事に感謝

はじめまして。五十鈴についてググっていてたどりつきました。
スラバヤ沖にて撃沈された五十鈴には私の祖父が乗り組んでおりました。
機関科勤務であったせいか、魚雷の破孔から泳ぎ出て一命を取り留めたそうです。
戦後も長命で、私に数々の体験談を聞かせてくれました。
艦これについては当初、散っていった人々・生き残った人々に対する複雑な思いから
ゲームとはいえ手をつける気にはなれなかったのですが、祖父が乗り組んだ艦だけでも
たどってみようと集め始めました。
私にはそれぞれのキャラクターが、可愛らしいキャラというよりも「船霊(ふなだま)」のように見えます。
史実記事などを読むにつけ、轟沈などさせずに最後まで育ててあげたいと思っております。

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