徒然なる戰藻錄

WoTとWoWSをプレイしているところなのです

ある驅逐艦長のお話

はおヾ('ヮ'*)ノ

はやばやと3回目です。

ええ、これは今日がメンテの日だからなんデス。

つまり四方山がもう3回目なのはメンテのせいなのです(`・ω・´)キリッ

ナワケネーヨ( *'-')っ―[] /☆ペチ
       (*'-')デスヨネー

さて、今回は前回につづいて驅逐艦。
今回はちょっとしたお話っぽい感じです。
※今回は新字体を使っております。


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スラバヤ沖海戦で日本艦隊の雷撃を右舷に受けた英巡洋艦エクゼター

太平洋戦争が始まって数か月後の昭和17年2月27日、ジャワ島のスラバヤ沖で日本艦隊と英米蘭の連合部隊(ABDA艦隊)のあいだで戦闘が始まった。
ABDA艦隊の構成艦15艦は数十時間に及んだ昼夜追撃・砲雷撃戦で8艦が沈んだ。

3月1日にスラバヤ沖で撃沈された英海軍の巡洋艦『エクゼター』、駆逐艦『エンカウンター』の生存者400名余りは漂流を続けていたが、翌2日、現場海域に姿を見せた日本駆逐艦『雷』に発見された。

『エンカウンター』のある士官は、「日本人は非情」という先入観を持っていたため、銃砲撃を受けて最期を迎えるものと覚悟した。
ところが、『雷』は即座に、「救助活動中」の国際信号旗を掲げ、漂流者422名全員を救助した。

工藤俊作『雷』艦長は、英国海軍士官全員を前甲板に集め、英語で健闘を称え、
「本日、貴官らは日本帝国海軍の名誉あるゲストである」
とスピーチした。
そして兵員も含め、全員に友軍以上の丁重な処遇を施した。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

工藤中佐が駆逐艦『雷』の艦長として着任したのは、昭和15年11月1日。
身長185センチ、体重95キロという当時の日本人にすればかなりの大柄であったが、丸眼鏡をかけた柔和で愛嬌のある細い目をしていて、《工藤大仏》というあだ名を持つ温厚な新艦長に、乗員たちはたちまち魅了されていった。
着任の訓示も、
「本日より、本官は私的制裁を禁止する。とくに鉄拳制裁は厳禁する」
というもの。
士官たちには、「兵の失敗はやる気があってのことであれば、決して叱るな」と口癖のように命じたという。
見張りが遠方の流木を敵潜水艦の潜望鏡と間違えて報告しても、見張りを呼んで、「その注意力は立派だ」と誉めた。

工藤艦長のこの方針は、海軍兵学校時代の校長であった鈴木貫太郎中将の影響とされる。
鈴木中将は、昭和4年から侍従長として8年間、昭和天皇にお仕えし、その御親任の厚さから、終戦時の内閣総理大臣に任命されている。
その鈴木校長の教育方針が、

=鉄拳制裁の禁止
=歴史および哲学教育強化
=出世競争意識防止のための試験成績公表禁止

とくに鉄拳制裁の禁止は、日本古来の武士道に鉄拳制裁はない、というのが、その禁止の理由だった。
工藤艦長を始め、同期生らこの教えを忠実に守り、最上級生になっても、下級生を決して怒鳴りつけず、自分の行動で無言のうちに指導していったという。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

太平洋戦争開戦から3日目の昭和16年12月10日、日本海軍航空部隊は、マレー半島クワンタン沖に於いて、イギリス東洋艦隊を攻撃し、最新鋭の戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』、巡洋戦艦『レパルス』を撃沈した。

この2戦艦の護衛についていた駆逐艦『エクスプレス』は、脱出した数百人の乗員たちの救助を始めたが、日本の航空隊はその行動を一切妨害しなかった。
さらに救助活動後、『エクスプレス』がシンガポールに帰投する際にも、日本機は上空から偵察していたが、一切の攻撃を差し控えていた。

こうした日本海軍の行動は、極東地域の英国海軍の将兵を感動させた。

スラバヤ沖での工藤艦長の敵兵救助は、決して例外的な行為だったわけではないのである。。

昭和17年2月27日、ABDA艦隊と日本艦隊とのあいだで戦闘が始まった。
翌28日、『エクゼター』は『エンカウンター』と米駆逐艦『ポープ』とともに、セイロン島のコロンボへの撤退を開始した。
しかし、3月1日に『雷』の僚艦『電』を含む日本の駆逐隊の攻撃を受けた。

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第六駆逐隊所属・駆逐艦『雷』

『エクゼター』は損傷し航行不能となり、艦長オリバー・ゴードン大佐はマストに、「我、艦ヲ放棄ス。各艦適宜行動セヨ」の旗流信号を掲げた。
『エクゼター』の乗員は次々と海中に飛び込み、日本艦隊に向かって泳ぎ始めた。
『エクゼター』では、士官が兵に対し、「万一の時は、日本軍艦の近くに泳いでいけ、必ず救助してくれる」といつも話していた。
マレー沖海戦の際の日本海軍の行動が記憶にあったのだと思われる。

『電」は、『エクゼター』に魚雷を発射してこれを沈めた。
その後、「海上ニ浮遊スル敵兵ヲ救助スベシ」の命令が出された。
救命ボートに乗っている者、救命用具をつけて海面に浮かんでいる者に対して、『電』の乗組員は、縄ばしごやロープ、救命浮標などで救助にあたった。
蒼白な顔に救出された喜びの笑みを浮かべ、「ThanksYou」」と敬礼して甲板にあがってくる者、激しい戦闘によって大怪我をしている者などが次々と助け出された。
最終的に『電』に救助された『エクゼター』乗員は376名に上った。


駆逐艦『エンカウンター』は『エクゼター』の乗員を救助すべきか迷ったが、『プリンス・オブ・ウェールズ』と『レパルス』沈没の際の日本海軍の行動を覚えていたので、救助せずに即座の撤退を開始した。
だが、『エンカウンター』もほどなくして日本軍の攻撃を受けて撃沈されてしまった。
脱出したある砲術士官はこう回想している。

艦長とボートに乗って脱出しました。その直後、小さな砲弾が着弾してボートは壊れました。わたしは艦長とともにジャワ海に飛び込みました。
間もなく日本の駆逐艦が近づき、我々に砲を向けました。固唾を飲んで見つめていましたが、日本艦は何もせず去っていきました―――

この時期、連合軍の潜水艦がジャワ海で行動しており、敵の攻撃をいつ受けるか分からない状況では、国際法上、海上遭難者を放置しても違法ではない。

『エンカウンター』の乗員たちは、自艦から流出した重油の海に浸かりながら、約21時間も漂流した。

そこに偶然、通りかかったのが駆逐艦『雷』だった。
見張員が、「漂流者400以上」と報告すると、工藤艦長は敵潜水艦が近くにいないことを確認した後、「救助!」と命じた。

『雷』の手の空いていた乗員全員がロープや縄ばしご、竹竿を差し出した。
重傷者から救うことになったが、彼らは最期の力を振り絞って『雷』の舷側に泳ぎ着いて、安堵したのか、ほとんどは力尽きて次々と海面下に沈んでいってしまう。
この光景を見かねて、何人かの乗員は、自ら海に飛び込み、立ち泳ぎをしながら、重傷者の身体にロープを巻き付けた。
こうなると敵も味方も関係がなかった。過酷な海で多くの時間を過ごす船乗り同士でしかなかった。

甲板上で『雷』乗員の腕に抱かれて息を引き取る者もいたという。
件の砲術士官は、

わたしはまさに奇跡が起こったと思い、これは夢ではないかと、自分の手を何度もつねったのです。
ほどなくして、救出された士官たちは前甲板に集合を命じられました。
キャプテン(艦長)シュンサク・クドウが、艦橋から降りてきて、我々に端正な挙手の敬礼をしました。我々も遅ればせながら答礼しました。
キャプテン・クドウは、流暢な英語でスピーチしました。
「諸官は勇敢に戦われた。今や諸官は、日本海軍の名誉あるゲストである。私は英国海軍を尊敬している。ところが、今回、貴国政府が日本に戦争をしかけたことは愚かなことである」と―――

『雷』はその後も終日、海上に浮遊する生存者を捜し続けた。たとえ遙か遠方に一人の生存者しかいなくとも、必ず艦を近づけ、停船し、乗員総出で救助した。
最終的に400人以上が救助された。

翌日、救助された乗員たちは、オランダの病院船に引き渡された。
移乗する際、士官たちは『雷』の信号檣に掲揚されている旭日の軍艦旗に挙手の敬礼をし、また艦橋に立つ工藤艦長に敬礼した。
工藤艦長は丁寧に一人一人に答礼をした。
兵のほうは気ままなもので、『雷』に向かって手を振り、身体一杯に感謝の意を表していたという。


敵兵を救助せよ!―英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長
より抜粋。
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コメント

NO TITLE

はおヾ('ヮ'*)ノ

こういった日本的な武士道の発露、欧米における騎士道的な態度は、戦争という状況下の中でひときわ輝きますね。ただ殺しあうだけが戦争ではないんだと---
戦争を忌避し、その現実から目を逸らす昨今の情勢はいかがなものかと……
もう少し、戦争について考えるべきかもしれないですね。9条があっても、いつ、日本は戦争に巻き込まれるかわかりませんから

NO TITLE

救助は知っていましたが、詳細を読ませて頂いて感動してしまいました。

兵士たちは日本のサンダーに救われたんだよと、生還を喜ぶ家族に説明したのかな?
救われた命の子孫が英国で平和を楽しんでいると思うと、とても大切な、戦争よりも重要な使命を果たしたことがわかりますね。

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