徒然なる戰藻錄

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海軍航空隊 其之貮

はおヾ('ヮ'*)ノ

横須賀鎮守府は依然として封鎖されており、夜からは雨となりました。
このような状況下で長期の大気は無益と判断し、くろちゃんはそっとブラウザを閉じたのでありましタ。

さて、翌日になっても封鎖解除となっていないので、日本海軍航空隊についてさらにご紹介していこうかと思いマス。

日本海軍初の航空隊が《横須賀航空隊》、通称:横空です。

海軍航空隊は2種類の航空隊を運用していました。
戦時・平時を問わず運用する常設航空隊と、有事の際に編成される特設航空隊です。

前者は海軍の主要基地周辺、海軍関係の施設周辺の要地において多くの航空隊が編成されてきました。常設航空隊はその編制場所の地名を冠して呼ばれました。
代表的な航空隊をいくつか紹介します。

大村航空隊:大正11年(1922年)開隊。西日本を代表する練習・訓練専門航空隊。
霞ヶ浦航空隊:昭和11年(1936年)開隊。大正10年から練習専門部隊として運用。東日本、そして日本海軍航空隊の代名詞的な訓練・練習部隊。
鹿屋航空隊:昭和11年(1936年)開隊。陸上攻撃機を運用し、翌年の渡洋爆撃で世界に名を響かせ、太平洋戦争開戦3日目の馬來(マレー)沖海戰で英戰艦HMS『プリンス・オヴ・ウェールズ』、HMS『レパルス』撃沈に貢献した。
木更津航空隊:昭和11年(1936年)開隊。陸上攻撃機を運用し、鹿屋空とともに渡洋爆撃を実施した。
台南航空隊:昭和16年(1941年)開隊。零式艦上戦闘機を装備した日本海軍基地航空部隊として勇名をはせた戰鬪機隊。坂井三郎氏もここに所属していた。
高雄航空隊:昭和13年(1938年)開隊。台湾の高雄基地で編成された陸上攻撃機を運用する部隊。巡洋艦の『高雄』とは関係ない。
千歳航空隊:昭和14年(1939年)開隊。北海道の千歳基地で運用される陸上攻撃機と艦上戰鬪機を装備した部隊。ちなみに開隊は千歳基地ではなく木更津基地。
鎮海航空隊:昭和11年(1936年)開隊。朝鮮半島南部の鎮海を拠点に、水上機を主に運用して対潜哨戒や船団護衛に従事した。
元山航空隊:昭和15年(1940年)開隊。朝鮮半島東部の元山(げんざん/現在のウォンサン)にて陸上攻撃機と艦上戰鬪機を装備して運用された。馬來沖海戰では同航空隊の帆足少尉機が英国艦隊を発見し、日本軍の勝利に大きく貢献した。
横浜航空隊:昭和11年(1936年)開隊。日本海軍初の飛行艇航空隊。昭和17年8月の米軍ガダルカナル侵攻時に、フロリダ島ツラギに前進していた横浜空は米軍との地上戦闘で全滅した。
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渡洋爆撃や馬來沖海戰で活躍した九六式陸上攻撃機

特設航空隊は数字だけを振ったもので、一目で常設か特設かを見分けることができました。
例:第一航空隊/第六航空隊/第一二航空隊など

太平洋戦争が始まって間もないころまでは、この状態がつづきましたが、戦線が拡大するにつれて、この方式ではその航空隊がどういったタイプの機体を運用しているかがわかりにくく、用兵上の不備が目立ち始めました。

そこで、海軍は昭和17年11月をもって地名・数字混在表記を取りやめ、三桁の数字による航空隊名称に切り替えました。
これにより、その航空隊がどこの鎮守府配下の部隊で、どういった機種を装備し、常設か特設かの区別が一目でわかるようになりました。

100の位が裝備機種、10の位が所属鎮守府、1の位が奇数が常設、偶数が特設をあらわします。

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横須賀鎮守府所属の常設航空隊である三沢航空隊は第七〇五航空隊と改名しました。
陸上攻撃機を装備していたので、100位は陸攻に該当する7、10位は横鎮所属を示す0、1位は常設のため奇数の5があてられています。

台南航空隊は戰鬪機を装備(2)し、佐世保鎮守府(5)管轄の常設航空隊(1)のため、第二五一航空隊と改名しました。

特設航空隊の第六航空隊は、昭和17年4月に木更津基地で編成された戰鬪機隊で、改名後は第二〇四航空隊となりました。
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局地戰鬪機・雷電。大戦末期は戰鬪機が海軍航空の主力となり、攻撃機などは特攻機がメインとなっていきました。

開戦後、前線配備の航空隊は兵力を損耗しつづけるまで戦ってからでないと、戦力再編で後方に引き上げることはありませんでした。そして引き揚げる際も、地上要員を含む航空隊全体で移動するため、その移動手段の確保が前線では困難でした。

そこで、昭和19年からは兵力の移動・交代を容易にするため、特設飛行隊が設置されました。
特設航空隊は最大で48機を定数とする戦力規模の大きな部隊(定数を満たす部隊はほとんどいませんでした)で、戦局などに合わせて各地の航空隊の指揮下に組み込まれて戦うことになります。
ただ、これは外戦専門部隊でのことで、本土防空を担当する海軍航空隊は対象外となっています。

■特設飛行隊番号区分け
戰鬪第一~第四〇〇:艦上戰鬪機48機
戰鬪第四〇一~第八〇〇:局地戰鬪機48機
戰鬪第八〇一~第一〇〇〇:夜間戰鬪機24機
攻撃第一~第二〇〇:艦上爆撃機48機
攻撃第二〇一~第四〇〇:艦上攻撃機48機
攻撃第四〇一~第六〇〇:陸上爆撃機48機
攻撃第六〇一~第八〇〇:陸上攻撃機48機
偵察第一~第二〇〇:陸上偵察機48機
偵察第二〇一~第三〇〇:飛行艇18機 ※編成部隊なし
偵察第三〇一~第六〇〇:水上偵察機24機
偵察第六〇一~第八〇〇:陸上攻撃機48機
偵察第八〇一~第一〇〇〇:哨戒機16機 ※編成部隊なし
挺身第一~第一〇〇:輸送機24機 ※編成部隊なし


昭和19年夏からは、陸軍航空隊に続いて海軍航空隊も空地分離を実施。これは航空機のみを扱う部隊と、飛行場整備や、後方支援を行なう地上部隊とにわけることを指します。

特設航空隊で編成される航空隊と、基地の提供や司令部のない特設飛行隊のみが進出した際に指揮を執る航空機を持たない航空隊にわけ、便宜上、前者を甲航空隊、後者を乙航空隊と呼びました。

機体整備に最低限必要な地上要員を含んだ甲航空隊は機動力が向上し、大戦末期の本土防空戦では、東西日本の基地間移動が容易に行えるようになりました。
一方で、整備能力が低い乙航空隊では、出入りの激しい規模の大きい甲航空隊への支援が満足に行なえないといった欠点も浮き彫りになりました。

なお、乙航空隊は関東航空隊、南方諸島航空隊、西カロリン航空隊といった地名が附せられました。

130827d
対潜哨戒機・東海。双発機は整備上より多くの手間がかかるため、整備力の低い航空隊では稼働率を高くすることは、とくに大戦末期は困難でした。



壁|'-')ノよいお年を。
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