徒然なる戰藻錄

WoTとWoWSをプレイしているところなのです

トラック泊地

はおヾ('ヮ'*)ノ

新鯖《リンガ泊地》の開設が決まり、登録提督数も40萬を超えるなど、なかなかどうして留まるところを知らない艦これでございマス。
この調子でいくと、8番目の鯖も登場しそうな感じですよね。

8番目はおそらく、8という数字からしてラバウルになるんじゃないかと愚考する次第。
ラバウルを本拠とする南東方面担当部隊が第八艦隊ですからね。8つながりでラバウルになるんじゃないかな~っと(*'-')

ラバウル鯖が来るんだとしたら、ラバウルへの転属を願い出るやもしれませぬ。

横鎮でもいいですが、皇土防衛の最前線たる南東方面最大根拠地ラバウルは、海軍軍人なら一度は乗り込みたいところですからね。

新鯖が来て……ラバウル鯖だったら……転属願いを出して太平洋の防波堤として骨を埋めるんだ……

さて、リンガにトラック泊地―――

日本海軍に詳しい方ならこられがどこに在り、どのようなものかはすぐさま思い浮かべることでせう。

リンガ泊地

これは南西方面はスマトラ島の南西部に位置し、新嘉坡(シンガポール)のほど近い赤道直下の艦隊泊地。
太平洋戦争末期、日本海軍はここに聯合艦隊主力を展開させ、至近に位置するパレンバンの豊富な石油を使って厳しい訓練に明け暮れました。

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昭和19年6月の《あ號作戰》(通称:マリアナ沖海戰)、同年10月の《捷一號作戰》(通称:レイテ沖海戰)では、聯合艦隊主力はリンガ泊地からタウイタウイ泊地やブルネイへ前進、作戰海面へと出撃していきました。

トラック泊地と並んで、リンガ泊地は重要な艦隊錨地として活用されました。なにより、すぐそばに新嘉坡の有力な工廠設備があるのが、大規模艦船修理施設を持たないトラック泊地に対して最大の強みでした。


トラック泊地

ここは日本海軍の重要な外地拠点でした。
戦後は米国の信託統治下に置かれていましたが、1986年、独立したミクロネシア連邦の領域となり、チューク諸島として、ダイビングなどの観光地として現在に至っています。

トラック泊地はトラック島、トラック諸島、トラック環礁とも呼ばれました。
トラック『島』といっても、トラックという名の島があるわけでなく、ひとつの巨大な環礁にかこまれた島々のことを指します。
正確にはトラック諸島は環礁ではなく堡礁で、この違いは珊瑚礁に囲まれた礁湖内に島があるか無いかです。有れば堡礁、なければ環礁と呼ぶわけです。
ここでは便宜上、環礁という表現を使います。

周囲およそ200粁におよぶ外礁に囲まれた礁湖内には、大小50ちかい島が点在し、環礁内の面積はおよそ2,500平方粁を超える世界最大級のもので、これはじつに沖縄本島ふたつ分以上の広さにもなります。
太平洋の湖とも呼ばれ、最大直径は35海里(約64.8粁)にも達し、航空母艦が全速力で走りながら艦上機の離着艦訓練が可能という並外れた規模を誇っています。

環礁内の島はその大半が無人の小島で、居住可能な島は限られていました。

環礁内の東寄りに、春島・夏島・秋島・冬島と名付けられた四季諸島があり、春島には陸上攻撃機など大中型機用の飛行場や水上機基地、大規模な通信設備が整備されていました。
夏島には南洋支庁トラック支庁が置かれ、南洋諸島の開発を担った南洋興発や南洋貿易といった企業、台湾銀行や各種行政機関、聯合艦隊司令部(昭和17年夏以降)、第四艦隊司令部なども置かれ、トラック環礁最大規模の街並みが整備されていました。

環礁の西側には日曜島から土曜島までの7つの島からなる七曜諸島があり、水曜島には艦上爆撃機用、月曜島には艦上攻撃機用といった具合に飛行場も整備されていました。

四季諸島の夏島の南に竹島という島があり、ここにも飛行場がありましたが、島そのものが小さい(1,300×1,000米程度)ため、主に小型の戦闘機用として使用されていました。
この島の陸地を目いっぱい使って、T字型にちかい形状の滑走路が敷かれていました。滑走路の周囲は整備場や駐機場となっており、高さ60米ほどの小山も滑走路わきにそびえているなど、着陸に精神的疲労を味あわせる構造となっていました。
そのため、空母と同様の着艦裝備が設けられていました。

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トラック環礁は日本の真珠湾とも太平洋のジブラルタルとも呼ばれる海軍戦略上の重要拠点であり、米国は早い段階からこの島の重要性に着目し、太平洋戦争開戦後、この島の周囲に多数の哨戒用潜水艦を投入しています。
トラック環礁は欧州大戦(第一次世界大戦)による戦利品として日本が信託統治することとなった場所で、当時は軍事基地の建設が不可能であり、日本はそれを順守してきました。
国際連盟脱退後、日本海軍は基地整備を進め、太平洋戦争中は中部太平洋、南東方面での海軍作戦を支援するうえで重要な役割を果たしました。

昭和19年2月の米機動部隊によるトラック大空襲以降は、米軍の西太平洋への侵攻に伴って孤立化し、終戦まで日本軍が保持しましたが、米軍機の訓練場的な位置づけとして、終戦まで激しい砲爆撃を頻繁に受けていました。

米軍はトラック環礁の東にあるマーシャル群島のブラウン環礁などを艦隊泊地として整備したため、トラック環礁をムリに占拠する必要を感じず、砲爆撃で徹底的に叩いたうえで放置します。
その後、西太平洋のパラオ諸島のウルシー泊地を占領し、布哇~マーシャル群島~マリアナ列島~パラオ諸島~フィリッピンというルートが整備されたため、米軍にとってトラック環礁の重要性は著しく低下していきました。



壁|'-')ノよいお年を。
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