徒然なる戰藻錄

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帝國海軍潜水艦戦記

はおヾ('ヮ'*)ノ

さて、今回のうpデーオと限定イヴェントに於いて、目玉となるのが超戰艦『大和』と、潜水艦娘ですネ。

今回、実装なった5艦はすべてイラスト的にくろちゃんのツボにはいるものなんどえ、できれば全部手に入れて主力部隊に編入したいところです。まぁ、『大和』はさすがに先行入手はムリでしょうけどネ(*'-')

さて、今回の四方山話は日本海軍潜水艦の戦いについて、軽くですが、いくつか紹介していこうと思います。


◆初めての戰鬪艦撃沈

日本海軍潜水艦が、初めて敵戰鬪艦を撃沈したのは、開戦から2週間あまり経過した昭和16年の12月25日。
この日、第五潜水戰隊第三〇潜水隊に属する『伊號第一六六潜水艦』は、ボルネオ島攻略作戦支援に参加し、北部のクチン沖で哨戒任務に従事していた。
昼ごろ、『伊一六六潜』の哨戒内に和蘭(オランダ)潜水艦『K-16』《基準排水量865噸/乗員38名》が姿を現した。
当時、和蘭本国は独逸占領下にあったが、現在のインドネシアに該当する領域を支配していた蘭印軍は、米英とともに日本軍に抵抗していた。
実際、『K-16』は前日、日本驅逐艦『狭霧』を撃沈していた。
『伊一六六潜』は漫然と航行を続けている『K-16』めがけて魚雷1本を発射。これが命中し、『K-16』はいともあっさりとクチン沖に轟沈した。
はからずも、『伊一六六潜』は『狭霧』の仇を討つことになったのである。


◆米空母『サラトガ』の受難

撃沈こそできなかったものの、開戦後まもなくして、大きな殊勲を挙げた潜水艦がある。
『伊號第六潜水艦』。
日本海軍の潜水艦を集中運用する潜水艦隊である第六艦隊(部隊名:先遣部隊)に属する第二潜水戰隊第八潜水隊指揮下の『伊六潜』は、昭和17年1月中旬、故障で米艦隊追撃から外された『伊一潜』にかわって、真珠湾を出撃した米艦隊の追撃に向かった。
1月12日夕刻、ガスタンクの異名を持ち、米海軍からはレディ・サラの名で親しまれていた空母USS『サラトガ』CV-3を発見した。
『伊六潜』は距離4,300米から八九式53糎魚雷3本を発射、このうちの1本が『サラトガ』に命中した。

※当時、『伊六潜』は潜水艦用酸素魚雷である九五式魚雷ではなく、旧い空気魚雷である八九式を搭載していた。
130804
艦橋後部の巨大煙突が特徴のUSS『サラトガ』CV-3


2本もの魚雷が命中したものの、『サラトガ』は18節(時速約33.3粁)の速力でハワイへと引き揚げていった。
『サラトガ』は日本の『赤城』に匹敵する3萬噸級の空母で、そして『赤城』と同じく、もとは『レキシントン』級巡洋戰艦であったため、魚雷1本ではどうにもならないだろうと、『伊六潜』の乗員も、報告を受けた潜水戰隊司令部も、誰もが思っていた。
ところが、この『サラトガ』、魚雷命中箇所の修理を真珠湾で行おうとしたものの、損害状況が予想以上で、とてもじゃないけど真珠湾の修理能力を超えていることが判明。
結局、『サラトガ』はハワイから遠く離れた米本土西海岸の船渠にはいるハメになり、しかも復旧工事に手間取ったため、じつに半年間も入居するという艦これの『赤城』なみの船渠住人に落ちぶれたのである。
たった1本の魚雷で、3萬噸級の大型空母を半年間も太平洋の戦線から脱落させた功績は、空母撃沈と同程度に扱われるべき殊勲であるといえる。

ちなみに、ようやく戦列復帰を果たした『サラトガ』は、復帰間もない昭和17年8月31日、ソロモン諸島沖で『伊號第二六潜水艦』の雷撃を受けふたたび損傷。しかも電気推進システムを魚雷によって破壊されたため、以後、3箇月近くも船渠にその身を横たえるハメになった。


◆1本だけなら誤射かもしれない

昭和17年10月12日、北米オレゴン州の沖合で、『伊號第二五潜水艦』は某国の潜水艦を誤って撃沈してしまうという事件を起こした。
『伊二五潜』は搭載する艦砲で米本土を砲撃したり、格納している水上機をもって米本土を空襲するなど、日本潜水艦の面目躍如たる活躍ぶりを示していた。
そして魚雷は、米商船を撃沈破するなどして、残りは1本しかなかった。
そこへ―――
水上航行で南下する潜水艦が現れた。
『伊二五潜』は潜航し、先頭艦へ向けて最後の魚雷を発射した。これは命中し、潜水艦はあっさりと轟沈した。
残った潜水艦は艦砲で至近海面を乱射し、ほかの潜水艦とともに、南方へと去っていった。
魚雷がない以上、追撃はできない。艦砲で射撃しても、相手は潜水艦といえど数隻もいるので、多勢に無勢で勝ち目はない。
『伊二五潜』は逃げ逝く潜水艦隊をただ見送るしかできなかった―――

この日、『伊二五潜』が撃沈したのは、北太平洋を横断し、南米ホーン岬を迂回して大西洋入りし、一路北上してムルマンスクへと向かっていたソヴィエト極東艦隊第1潜水旅団の6隻の潜水艦(L-15、16、S-51、54、55、56)のうちの1艦『L-16』であった。
米海軍は当初、護衛を申し出ていたものの、ソヴィエトはそれを拒否。結果、潜水艦を1艦喪うハメになった。
ソヴィエト本国では、『L-16』は米国が誤って撃沈したものと判断していた。米国は当時、ソヴィエトに膨大な軍需物資を提供するなど最大の支援国だったこともあり、ソヴィエト側はこの件を不問にし、うやむやにしてしまった。
米潜水艦と誤認して、ソヴィエト潜水艦を誤射して撃沈してしまった『伊二五潜』は、そしらぬ顔で以後も作戰行動をつづけていたが、昭和18年10月、沈没が確定し、還らぬ艦となった。


◆日本潜水艦、最初の戦果

日本潜水艦が初めて戰鬪艦を撃沈したことについては前述したとおり。
なら、日本の潜水艦が初めて敵のフネを沈めたのは?

日本潜水艦による最初の戦果は、太平洋戦争開戦初日に挙がっている。
殊勲艦は『伊號第二六潜水艦』。
沈んだのは、米陸軍が資材運搬のため徴用した貨物船『シンシア・オルソン』號。排水量は2140総噸。

『伊二六潜』は北太平洋アリューシャン列島の要地偵察任務を実施後、桑港(サン・フランシスコ)沖に進出する指令を受けて、昭和16年11月19日午後3時、横須賀を出撃した。
アリューシャン列島の偵察を終えたのち、『伊二六潜』は12月7日に桑港沖に進出。そこで米国船を発見した。
船というのは1時間ぐらい追跡していれば、概ね、どの方角へ向かっているかがわかる。
発見した米国船はハワイを目指していると推測でき、目的地がわかれば、暗夜に紛れて高速水上航行で先回りすることができる。
12月8日、開戦当日―――
『伊二六潜』は8日0330時(ホノルル時間7日0730時)、急速浮上をかけて『シンシア・オルソン』號の至近にその艦影を浮かべた。
甲板に設置されている14糎砲を発射して警告する。
米船がさかんにSOSを打電しているのを傍受。船からボートが下され、船員たちが脱出するのを確認してから、同航戦距離1,000米で船体直接射撃を開始する。
10数発を撃ちこんだが、『シンシア・オルソン』號はなかなか沈まない。
そこで魚雷戦が指示され、搭載魚雷による攻撃が行なわれた。
『伊二六潜』は旧式の六年式53.3糎魚雷を1本発射したが、『シンシア・オルソン』號はわずかに動いていたため、魚雷は船尾をわずかに掠めて外れてしまった。
再雷撃を実施しようか迷うも、横田稔艦長は雷撃中止、潜航を命じた。
その後、潜望鏡による観測で『シンシア・オルソン』號がまだ浮いているのを認め、砲撃で処分するため再浮上。30發近い14糎砲弾を撃ち込み、ようやく同船は横に傾き、沈み始めた。
最初の浮上砲撃から2時間が経過するなど手こずったものの、これが日本潜水艦が得た初の戦果である。

ちなみに―――
ボートで脱出した船員たちであるが、『伊號第一五潜水艦』が接触し、食糧などを分け与えたと伝えられるも、結局、船員たちは誰一人、帰ることはなかった。


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