徒然なる戰藻錄

WoTとWoWSをプレイしているところなのです

やっ・せっ・ん~

ウェーイヾ('ヮ'*)ノ

皐月も残すところ3日。
まぁ、水無月初日までイヴェントは延長ですから、提督諸氏は追込みに余念がないことでせう。

くろちゃんはというと―――

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4月中旬に実装なった『江風』改二を1箇月以上遅れてようやくオン・ステージさせました。
艦娘としての戰鬪性能は驅逐艦娘群のなかで一頭地を抜いている彼女だけど、『沖波』や『朝霜』、ペロづk………『照月』の育成を重視していたので、Lv65で止まったままでした。
演習と5-4詣ででやっとこさ75にした次第。

『大潮』改二もまだ完成していないので、次はこれです。
『大潮』は初期イラストのあの目の大きさがなんとなく恐怖を感じたもので、艦これサーヴィス開始当時から一切使ってこなかった艦でした。
映画ノゾキメで目を見開く映像があり、それが『大潮』に重なってしまい、ますます縁遠くなっていました。

『大潮』改二は設計図が必要なので、勲章回収も兼ねて1-5と2-5に進撃。
3-5~5-5は対象外。
そこにいく甲斐性があれば、今回のイヴェントも甲や乙で乗り切っていたことでせう。

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2-5詣では一等巡洋艦6艦で押せ押せで攻めるのがくろちゃんのスタイル。
なので『ポーラ』旗艦に攻勢開始。

一等巡洋艦勢では、『利根』改二と『プリンツ・オイゲン』がイチオシですが、現在のところ『ポーラ』の好感度もずんどこ上昇中です。可愛いんですもの、しかたないですね。

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「やっ・せっ・ん~♪ いってみましょ~♪」

なにこの科白、めっちゃ可愛いんですけど。

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「え、敵ですか? どこどこ('-'* ≡ *'-')???」

このあたりの科白も好きですわぁ。
めがっさ棒読み口調で、「あ、ホントだーたいへーん」ってのもいいですねぇ。

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旗艦配備で誰からもかばってもらえず中破した『ポーラ』。
『ザラ』姉ちゃんからもスルーされてましたね。


さて―――

WoWSのほうでも...

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『神風』用のmodができあがっていたので、さっそく使わせていただきました。
プレミアム艦なので、他の日本艦の艦長をペナルティなしで使えるので重宝しているので、ますます『神風』使いが荒ぶりそうです。



壁|'-')ノよいお年を。
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日本海軍艦艇画像

ウェーイヾ('ヮ'*)ノ

春イヴェントも残すところ10日たらずとなりました。

孤高の甲クリアを目指す上級指揮官連、まだ見ぬ新艦娘を探し求めている提督諸氏、追込みへ向けて猛烈果敢なる攻撃を反復されていることでせう。

くろちゃんもなけなしの戦力をつぎ込んで―――

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なんとか終わらせました。
資源備蓄の恢復を行ないつつ、艦娘の育成をこつこつと進めていきます。

さて―――
これだけでは芸がないので、旧日本海軍艦艇の画像をいくつかご紹介いたしマス。

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トラック近海で行動中の第八戰隊/昭和18年7月ごろ。
八戰隊旗艦の巡洋艦『利根』より撮影。後続の艦は『筑摩』。
『筑摩』後方には『最上』型巡洋艦と『阿賀野』型巡洋艦が続いています。


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八丈島沖で米潜USS『セイルフィッシュ』SS-192の雷撃を受けた特設航空母艦『冲鷹』。
『冲鷹』は昭和18年12月3日夜、『セイルフィッシュ』の発射した魚雷1本を左舷艦首に受け、4日朝に再度、魚雷1本を左舷機械室に喰らいました。
このあと3本目の魚雷が命中し、4日0847時、沈没しました。
飛行甲板上には九九式艦上爆撃機などが並んでいます。『冲鷹』は航空機輸送を行なっていましたが、雷撃を受けたときは本土帰還中なので、前線で修理できない故障機などを運んでいるものと思われます。


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ラバウル港内の『呂號第一〇六潜水艦』。
昭和17年12月に竣工し、第七潜水戰隊に属して翌年4月から戦没する昭和19年2月までラバウルを拠点に南東方面で活動し、米海軍の戦車揚陸艦を撃沈するなど戰果を挙げました。


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『伊號第一八〇潜水艦』の艦橋アップ。
昭和18年1月に完成した海大七型の潜水艦。
画像からわかるように、潜水艦の艦名と敵味方識別用の日章旗は艦体に直接描かれているのではなく、キャンバスに描いたものを索で艦体につないでいます。


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米軍機の空襲下にある巡洋艦『羽黒』/昭和18年11月2日。
ブーゲンビル島沖海戰を終えてラバウルに帰投した第二艦隊巡洋艦戰隊は、直後に米軍機のラバウル大空襲に曝されました。『羽黒』は幸いにも大きな被害を受けることなくラバウル脱出に成功しました。


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米空母機の攻撃を受ける巡洋艦『阿賀野』/昭和18年11月11日。
米空母機およそ180機がラバウルを空襲。『阿賀野』はラバウル郊外で對空戰鬪を展開しましたが、魚雷1本が命中し舵故障の被害を受けました。


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ラバウルのあるニュー・ブリテン島沖で米軍機の攻撃を受ける日本輸送船/昭和18年12月ごろ。
昭和18年終盤、南東方面の制空権はほぼ連合國軍側の手に渡り、日本の輸送船は画像のようなカモフラージュをして行動していました。


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USS『ノチラス』SS-168から撮影された『白露』型驅逐艦『山風』/昭和17年6月25日。
第二四驅逐隊の『山風』は大湊を単独で出港、柱島泊地を目指しましたが、6月25日昼ごろ、千葉・勝浦沖で米潜『ノーチラス』の魚雷2本を受けて沈没しました。
画像はその時に『ノーチラス』が撮影したものです。一番砲塔上の日の丸は、誤爆防止の敵味方識別對空標識。
日本側は『山風』の大湊出港の情報を知らなかったため、7月2日になってはじめて『山風』が行方不明になっていることを把握しました。


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グロスター岬沖で座礁し破壊された驅逐艦『三日月』/昭和18年12月26日。
『三日月』は昭和18年7月、ニュー・ブリテン島西部のツルブへの輸送作戰中に座礁、米軍機の空襲を受けて撃破されました。
画像は半年後に米軍機が撮影した『三日月』で、艦中央部から後部のみが海上に残っています。


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サイパン島に寄港中の驅逐艦『潮』/昭和18年4月。
昭和18年春、『潮』と所属する第七驅逐隊はトラックやラバウル方面への兵員輸送の護衞にあたっていました。『潮』は横須賀~トラック泊地間の輸送任務を年末までつづけ、その後は北方部隊として大湊方面に展開しました。


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米艦艇より撮影の巡洋艦『香取』/昭和19年2月17日。
トラック大空襲時に本艦はトラック泊地北水道で米空母機の攻撃を受けました。外洋に脱出したものの、巡洋艦を主軸とする水上部隊に捕捉され、トラック沖に沈没しました。


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呉に停泊中の復員輸送艦『鹿島』/昭和21年。
『香取』型練習巡洋艦3艦で最後まで生き残った『鹿島』は戦後、復員輸送に従事し、昭和22年に長崎で解体され、その生涯を終えました。


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パラオ泊地の巡洋艦『高雄』/昭和19年3月。
トラック大空襲を間一髪回避した聯合艦隊主力は、西太平洋のパラオ泊地に一部兵力を配備しました。
しかしパラオもトラック大空襲から1箇月後、大空襲を受けて基地機能を喪ってしまいます。


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米空母機の攻撃を受けて炎上する工作艦『明石』/昭和19年3月30日。
パラオ大空襲で在泊艦船に甚大な被害を受けました。とくに大きな損失が、工作艦『明石』の戦没でした。
パラオ大空襲で日本軍は陸軍徴用船6隻、海軍徴用船7隻、給油船や油槽船7隻など多数の船舶を喪失しました。


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米潜水艦USS『シー・ドラゴン』SS-194の雷撃を受けた運送艦『伊良湖』/昭和19年1月20日。
給糧艦として『間宮』とともに愛された『伊良湖』はこの日、トラック泊地北方で米潜の雷撃を受けました。画像のように艦首を海面にまで沈めてしまいましたが、奇跡的に沈没を免れ、横須賀で修理を受けて戦列に復帰しました。


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中部比律賓コロン灣で米空母機により撃破・着底した運送艦『伊良湖』/昭和19年10月21日。
『伊良湖』は水上機母艦『秋津洲』などとともに米空母機の空襲を逃れるべくコロン灣にはいりましたが、昭和19年9月24日、空襲により撃破されました。



壁|'-')ノよいお年を。
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陸上攻撃機

ウェーイヾ('ヮ'*)ノ

春のイヴェント、みなさま、進捗具合は如何なものでせうか?

今回は新規の艦娘以外にも、裝備系統でイロイロモロモロ登場しているようで...

九六式陸攻に一式陸攻、雷電に三式戰―――

基地航空隊は今後実装予定の通常海域でも使えるようにする布石なのですかね?
そうしないと空母娘に載せられない航空機裝備は宝の持ち腐れですものね。

今回は陸攻系統で簡単に逝きます。
文章少なめ画像多めですので、まぁ気楽に流し読みしてくだしあ。

陸上攻撃機、とりわけ甲クリアした人は野中隊も手に入れていることでせう。

陸攻なんてものがあったのか。爆撃機とどう違うの? といふ人も多いでせう。
まぁ艦これ提督さんのほとんどは知っているので問題はありませんが、艦娘に釣られて始めた提督連には馴染みがないでせうね。

そんな人たちにお勧めしたいのが―――

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松本零士の戦場コミック"THE COCKPIT"から厳選した3本をアニメ化したアニメ版THE COCKPIT。
その収録タイトルの一つ、音速雷撃隊。

1993年製作とはいえ、空戦シーンをはじめメカニックは詳細に描きこまれているので、2016年の今でも必見! とくろちゃんはお勧めしますね。

音速雷撃隊は、昭和20年8月5日~6日を舞台に、架空の日米戰鬪を描いた作品。
日本軍のロケット特攻機・櫻花とその搭乗員である野上少尉、陸攻クルーの戦いを描いています。

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はじめてこの作品を見たときは、子供ながらに打ち震えましたね。
いまでも、6日朝の出撃、そして5日と6日の空戦シーンは食い入るように見てしまいます。

子供のころは、これをVHSに録画し、夏休みに田舎に帰省した時は、家に誰もいないときは大音量で空戦シーンを見ていました。田舎は周囲200~300米は田圃しかないので、東京の自宅ではできない大音量での視聴をやっていました。
田舎とはいえ近所迷惑ですね。

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登場機体は、米軍はグラマンF6F、カーチスSB2C。
日本側は一式陸攻、櫻花、零戰、紫電。

6日の出撃には、護衞戰鬪機40機のうち紫電16機が参加。
航続力がないので、途中で引き返すはずでした。
しかし、5日の出撃で陸攻隊を全滅させてしまったことを戰鬪機隊の搭乗員たちは悔いているのか、紫電隊は進撃続行。
つまり―――
紫電隊は全機、櫻花発進まで護衞を続け、最後は空戦場で全機が散る覚悟ということです。

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米空母發艦のグラマンの新型戰鬪機群が出現。
護衞戰鬪機隊は一斉に邀撃態勢に入ります。
ここからの空戦シーンは必見です。

現実の世界では、昭和20年8月の時点では作品中のやうな大規模な攻撃編隊は不可能で、戰鬪機戦力は来るべき本土決戦へ向けて温存策がとられていました。
搭乗員も訓練不足で、作品中のやうに、米戰鬪機隊を相手に勇戦することは不可能でした。

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陸攻隊にブローニングM2の射撃を浴びせるF6F。
この作品のすごいところが、普通のアニメでは省略されがちな、実写映画やドラマでも省かれることがほとんどの、機銃の薬莢の排莢動作がきっちりと描かれていることです。
上の画像でも、主翼後方の機銃発砲煙とまざって、黒い点々があります。
これが機外に排出された薬莢です。

陸攻の側面機銃手の銃撃シーンでも、同様に排莢はきっちりと描かれています。

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重量級兵器である櫻花を吊り下げているため、陸攻は避彈運動がほとんどとれず、指揮官機を筆頭に次々と被弾、撃墜されていきます。

現実世界でも、櫻花を積んだ神雷特攻隊の陸攻はなすすべもなく米戰鬪機に全機撃墜されました。

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炎上する陸攻。
射撃するF6Fとそれを追尾する零戰。
F6Fの追撃を振り切り、反撃する零戰。

死力を尽くした空戦が展開されます。

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野上少尉を載せた山岡中尉の陸攻は、F6Fの追尾を必死に躱しています。
重い櫻花を積んでいる以上、避彈運動にも限界があります。
右翼内タンクに被弾。燃料が吹き出します。
野上少尉は櫻花を発進させてくれと頼みこみます。発進すれば、敵機は陸攻ではなく櫻花を狙うだろう、そうすれば陸攻は基地に帰還できるかもしれない。
山岡中尉はきっぱりと拒否。
櫻花を切り離すのは敵艦隊が見えてからだと。

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左發動機も被弾、炎上する陸攻。
トドメをさそうと射撃位置にむかうF6F。
そこへ―――

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5日の出撃で負傷しつつも帰還した戰鬪機搭乗員が、F6Fに体当たり。
彼は前日夜、野上少尉に対し、たとえ敵機に体当たりしてでも護衞すると伝えており、それを確実に実行に移したのでした。

そして山岡中尉の陸攻はついに米艦隊に達しました。

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野上少尉の櫻花が発進。
機内で振り返ると、山岡中尉の陸攻が燃え盛りながら墜ちていきます。

彼らの犠牲に報いるべく、野上少尉は米空母めがけて突進していきます―――

20年以上前の作品とは思えない作りです。
DVD、ブルーレイもでているので、興味があれば見てみるのはいかがでせう?


さて―――
これだけではアレですので、今回のイヴェントで報酬として配布される機体群の実際の画像をお届けします。


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海軍の厚木基地の駐機場にならぶ乙種戰鬪機・雷電二一型の集団。
厚木基地には帝都防空の第三〇二航空隊が駐留。海軍防空戰鬪機隊としては、東日本最強の部隊として終戦まで活躍し続けました。


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三〇二空の雷電。
搭乗員と整備員にくらべ、雷電の胴体の太さ、大きさがよくわかります。
雷電はグラマン戰鬪機のように機体後部が胴体部分と繋がっていて、後方視界の悪さがネックでした。


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離陸して主脚を収納しつつある雷電。
雷電は發動機絡みの振動問題を抱えていましたが、上昇性能は海軍戰鬪機随一で、高度6,000米まで5分50秒で達することができました。
ちなみに、紫電二一型(紫電改)は7分22秒、三號零戰(五二型)では7分1秒かかりました。


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大陸上空を飛行する第一聯合航空隊・鹿屋航空隊の九六式陸攻。
台湾から長距離爆撃に参加し、投彈を終えて帰投するところで、胴体下の爆彈架はカラになっています。
九六式陸攻には胴体上下に引き込み式銃塔が備わっており、この画像ではそれが映っています。


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南京近郊の中山陵上空を飛行する第一聯合航空隊・木更津航空隊の九六式陸攻。
九州から東支那海を飛び越えての、いわゆる渡洋爆撃を実施して世界を驚嘆させましたが、防禦性能に問題を持っていたため被害も続出しました。
航続力の短い艦上戰鬪機が護衞につけないため、アシの長い戰鬪機を! という声が高まり、それが名機・零式艦上戦闘機の開発へと繋がっていきました。


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太平洋戰爭開戰当日、中部太平洋の米領ウェーク島を空襲する千歳航空隊の九六式陸攻二二型。
ぶつらんばかりに機体同士を接近させた密集陣形で飛行しています。この日の空襲で在地敵機の過半を撃破しましたが、わずかに残ったグラマンF4F戰鬪機は後日、驅逐艦『如月』を撃沈する戰果を挙げました。


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松島航空隊所属の九六式陸攻二三型。
台湾海峡周辺の敵潜の跳梁著しく、對潜哨戒の為に台湾・高雄基地へ向けて松島基地を発進するところ。
九六式陸攻は三菱が開発した機体ですが、三菱が一式陸攻の生産に集中するため、中島飛行機でライセンス生産されることになりました。その中島生産モデルが二三型で、412機が製造されました。


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台湾沖で編隊飛行中の新竹航空隊の九六式陸攻二三型。
右主翼端に白い線がありますが、これは編隊を組む際の位置目安線で、僚機はこの線が垂直に見える位置に機体を維持します。画像ではきっちり垂直になっているのがわかります。
昭和18年春以降、九六式陸攻は第一線を退きましたが、船団護衛や對潜哨戒で終戦まで活躍し続けました。


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大陸上空の遣支艦隊司令部付属の九六式陸上輸送機一一型。
大陸での戦火が高まるまで、海軍は大型輸送機の必要性を感じていませんでした。輸送機の需要が出てくると、窮余の策として、当時、高性能を誇った九六式陸攻を改造して輸送機に仕立て上げました。


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ラバウルのブナカナウ基地を離陸する一式陸攻一一型。
画像左端に零戰が発進待機中。巡航速度の違いから、零戰隊は陸攻からやや遅れて発進します。
零戰と陸攻、この組み合わせによる戰爆連合攻撃は画期的な航空戦術でしたが、熟練搭乗員の相次ぐ消耗で部隊の錬度が低下する昭和18年以降は鳴りを潜めてしまいました。


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ソロモン諸島上空の鹿屋航空隊所属の一式陸攻一一型。
昭和18年以降、ラバウルの陸攻隊は戦況悪化に伴い本土帰還、他戦域へと転用され、昭和19年2月の基地航空隊ラバウル撤収まで同地に残っていたのは第七五一航空隊(鹿屋航空隊)だけでした。


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昭和19年5月、富士山をバックに飛行する第七〇一航空隊の一式陸攻一一型。
この陸攻隊は北海道の千歳基地に移動しましたが、すぐに千葉県香取基地に移動。10月から始まる比律賓(フィリッピン)戰に投入されました。


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昭和19年9月、木更津基地の第七五二航空隊の一式陸攻二二型。
二二型は發動機の更新など機体各部の改良が施された性能向上型ですが、防弾性能はほとんど変化がありませんでした。
戦況の悪化と熟練搭乗員の不足に伴い、一式陸攻による昼間爆撃、對艦攻撃はほとんど成果を挙げることができず、少数機による夜間や薄暮、黎明攻撃が主体になっていきました。


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昭和20年4月、鹿屋基地から発進する第七二一航空隊の一式陸攻二四丁型。
胴体下にロケット特攻機・櫻花一一型を吊り下げた神雷部隊所属機で、七二一空は櫻花特攻専門部隊として編成されました。
昭和20年3月21日、四国南方の米機動部隊攻撃で櫻花搭載の陸攻18機が全滅して以降、少数機もしくは単独による薄暮・黎明攻撃に切り替わりました。


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昭和17年春、ラバウルに進出した横須賀航空隊の一式陸攻一一型。
上の画像でもわかりますが、一式陸攻の搭乗員出入り口は胴体の日の丸部分にありました。
この日の丸をくぐって乗り降りするのが、一式陸攻搭乗員のささやかな、他機種搭乗員に対する優越感となっていました。


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聯合艦隊司令部付属輸送機隊の一式陸上輸送機一一型。
一式陸攻を改造した輸送機仕様で、20名程度の人員輸送が可能でした。性能面ではダグラス輸送機―――零式輸送機より優れていました。
おもに高級将校の輸送に用いられていました。


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新基尼(ニューギニア)に進出した陸軍航空隊の飛行第七八戰隊の三式戰一型丙。
炎天下での整備作業中に撮影。機体の迷彩などから、前線基地の緊迫感が感じられます。
主翼前縁から突き出ているのが、獨逸から輸入した名銃マウザー20粍機関砲。


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陸軍・調布基地で弾道試験中の三式戰一型丙(左)と独立飛行第一七中隊の百式司令部偵察機三型乙(右)。
百式司偵三型乙は対B-29用の防空戰鬪機仕様に改修された機体。
この画像の三式戰は、帝都防空を担って昭和19年2月に調布基地で編成された飛行第一八戰隊の所属機。
一八戰隊は防空部隊でしたが、前線の戰鬪機戦力不足を補うために比律賓戦線に投入されて壊滅しました。


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昭和20年6月、愛知県清州基地の飛行第五戰隊所属の五式戰鬪機一型。
三式戰は液冷發動機の不調と量産遅延から、胴体ばかりがダブつきました。戰鬪機不足に対処するため、空冷發動機のハ一一二Ⅱを試験的に搭載したのが五式戰です。
陸軍ですら予想しなかった高性能を発揮し、日本陸海軍が最後に実戰化した戰鬪機となりました。
艦これ未実装ですが、三式戰の機種更新対象になりそうなので載せました。

五式戰は飛行第二四四戰隊に昭和20年5月から配備が始まり、小林照彦戰隊長をして、「本機をもってすれば絶対不敗」と言わしめました。
昭和20年7月25日、八日市上空で小林戰隊長ら18機の五式戰は、遭遇したグラマンF6F相手に圧倒的な空戦を展開し、12機をたちまち撃墜して五式戰の真価を発揮して見せました。



壁|'-')ノよいお年を。
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神風と磯風

ウェーイヾ('ヮ'*)ノ

春のイヴェントも華さかりな梅雨前の候、みなさまいかがお過ごしのことでっしゃろ。

さてさて、すでにして―――

abc長官単冠湾狐ドノは袴姿もあでやかな『神風』を手に入れてご満悦のこと至極。

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や、ほんと可愛いですね。
『神風』型以前の大正・明治年間就航艦は和装系になるといふことですね。
最高であります。

このコを見ていると、やっぱり浮かんでくるのはこれですね。
※2分15秒から再生してください。


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中破するとこれですかヽ(゚∀゚)ノ

最高ですね。
艦これでは性能よりも見た目重視でいくくろちゃんとしては、このコはできればカッコカリまで迅速にもっていきたいところでございマス。

そんなくろちゃんもついに―――































やったー『神風』手に入れたヨーヽ( ゚ω゚ )ノ
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イャー、『神風』げっと余裕でしたわー。
今年の1月には手に入れてましたワー。

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ちなみに『神風』といっても―――
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おや?
『神風』が2艦も………

二重でドロップとはイケませんねぇ~ヽ(゚∀゚)ノ

最後にWoWsでの『磯風』。
初めて1戰中の魚雷命中本数が13本と10本を超えたので録画しました。

なお、音声modに艦これヴォイスをいれていたので、音は一切再生されないです。
mod外してから撮ってもよかったけど、時間かかるし、なによりこの過疎ブログでの再生なのでそこまで手間かける必要もないだろうと思った次第。



壁|'-')ノよいお年を。
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潜水艦に備えて

ウェーイヾ('ヮ'*)ノ

今回の四方山話は、潜水艦の侵入に備えて、戦前戦中に日本が本土沿岸に設置した設備についての、カルくユルやかな小咄。

海中に潜り、そっと忍び寄る潜水艦は、欧州大戦(第一次世界大戦)、第二次大戦を経て海軍戦備における一大戦力へと進化を遂げました。
21世紀のいま、潜水艦は原子力という神の火を得て無限に近い航洋性を得たほか、昔ながらのヂーゼル・エレクトリック艦も、静粛性の劇的な進歩と攻撃兵器の多様化により、海軍において欠かすことのできない戦力となっています。

港湾や主要航路の近辺には、出入りする艦船をねらって、敵の水上艦艇や潜水艦が港湾口や海峡・水道のあたりをうろつき、時には内部にまで侵入してくることもあります。こういった艦艇がいないかどうかを常時、監視していなければなりません。
しかし、夜間や悪天候のときは電探でもない限りは洋上艦艇すら視認・発見が困難です。ましてや、昼夜を問わず、海中より忍び込む潜水艦の捕捉は輪をかけて困難でした。
海中の潜水艦を捕捉するには、音を用いるか、磁気の変動を探知するかしかありませんが、日本列島は入り組んだ複雑な地形をもち、海峡や湾の数が多く、そのすべてを監視下に置くのは大変なことでした。

周囲が味方の陸地であるため安全であるはずの港湾や海峡、泊地などで潜水艦の攻撃を受けた時ほど、大きな衝撃をもたらすものはありません。
潜水艦戦史上、警戒厳重な泊地に侵入した潜水艦の活躍は数多く、對潜探知能力が向上している今日でさえ、海中深く潜って忍び込む潜水艦の完全な邀撃は勝ち目の薄い勝負となっています。

昭和14年(1939年)10月、獨逸Uボート『U47』は、のちに獨逸潜水艦隊のエースとなるギュンター・プリーン艦長指揮のもと、英吉利海軍の主要根拠地であるオークニー諸島スカパ・フロー泊地に侵入。3萬噸級の英戰艦HMS『ロイヤル・オーク』を撃沈しました。
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スカパ・フローで沈められた英戰艦HMSロイヤル・オーク

港湾封鎖に適した兵器は機雷ですが、これを敷設するために敷設艦を接近させるのは敵に意図と敷設海面を容易に察知されてしまいます。
航空機による機雷投下も同様です。
しかし、潜水艦による隠密敷設であれば、人知れず海域を機雷封鎖することが可能です。
欧州大戦のころには、潜水艦による機雷敷設が行なわれており、『U125』型潜水艦は50個ちかい機雷の敷設が可能でした。
日本海軍は『伊號第一二一潜水艦』型という機雷敷設潜水艦を4艦保有し、太平洋戦争中に4度、機雷敷設作業を行なっています。
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昭和17年(1942年)8月17日、エヴァンス・F・カールソン海兵中佐指揮の海兵隊第2奇襲大隊およそ200名が中部太平洋ギルバート諸島のマキン島に上陸。同地の守備にあたっていた海軍第六二警備隊―――金光久三郎兵曹長指揮の1個小隊64名含む73名と交戦しこれを殲滅しました。
第2奇襲大隊の任務は、ガダルカナル島上陸のカモフラージュ、情報収集、そして将来予想される中部太平洋侵攻時の日本側防備態勢の確認でした。
この作戰で海兵隊の輸送任務に、当時世界最大の潜水艦であったUSS『ノーチラス』SS-168(排水量2,710噸)、USS『アルゴノート』SS-166(排水量2,170噸)の2艦が動員されました。
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USSアルゴノートSS-166
米海軍唯一の機雷敷設潜水艦であった


マキン島奇襲攻撃は一定の成果を挙げたものの、機密書類などの押収はほとんどできず、部隊も30名近い戦死者を出すなど、大勝利には程遠いものでした。
しかも、この攻撃は日本側の防備態勢強化を促し、昭和18年11月のタラワ島攻防戦で米軍を大いに苦しませることとなりました。
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上の画像は攻撃から生還し、奪った日本軍の旭日旗を手にする海兵隊指揮官。
左は攻撃隊指揮官のカールソン海兵中佐。
右は副長のジェイムス・ルーズヴェルト海兵中佐。ルーズヴェルト中佐は当時の米大統領フランクリン・デラノ・ルーズヴェルトの長男です。

このように、潜水艦による活動は守りを固める側にとっては非常に厄介な存在でした。
潜水艦の侵入に対抗して、まず、港湾や海峡の入口に水中聴音機をならべて、潜水艦の音を捉えることにしました。ただ、海には必ず潮の流れが存在しており、海中に潜った潜水艦は機関を停止し、潮の流れに乗って侵入することもありました。
こういった侵入方法に対し、海底にコイルを沈めておき、潜水艦の艦体がもつ磁気を感知する磁気探知機も併用して設置されました。

ご存知のとおり、艦艇はある意味、大きな磁石です。
なぜかというと、たとえば―――
鉄の棒をほかの磁石がつくっている磁場の中で叩いたり、ひっぱたりしていると、その鉄棒は長さの方向に磁化されて磁石になります。その磁石の方向や強さは、周囲の磁場の方向や強さによって決まります。
艦艇を建造するときは、地球という巨大な磁石の上にある造船所で造ります。船台の向きに置かれた鉄板や鉄材を叩いたり曲げたり、リベットを打ったり溶接したりといろいろな加工をするのですから、完成した艦艇はリッパな磁石となっているわけです。
艦艇が発する磁石の性質は、造船所の場所や船台の向き、造り方や加工の程度によって異なっていました。
三菱長崎造船所製の艦船は艦首がN極、艦尾がS極となり磁力は強くなりました。
神戸川崎造船所製の艦船は艦首がS極、艦尾がN極となり磁力は弱かったそうです。
消磁装置を用いて艦体の磁場を消去する作業が行なわれますが、完全に磁場を消し去ることはできなかったそうです。

閑話休題―――

海中に設置する聴音機は、艦艇に搭載される聴音機と原理は同じで、構造は鳥かごのようなかたちに組んだ架台の中央部に、水平の棚を設け、そこに十数個の捕音機―――マイクロホン―――を直径2米ほどの円周上に上向きで取り付けたました。
これを海底に沈め、捕音機の電線をひとまとめにして、海底電纜で陸上の見張所まで引っ張り、測定装置を設置しました。
こういった設備を海軍は防備衞所と呼び、常時、数名の兵士を観測要員として配していました。

防備衞所は辺鄙な場所に置かれ、しかも港湾や海峡に突出した崖の上などにあり、一方、海底は複雑な地形のところが多く、聴音機の設置、電纜敷設、崖上への電纜の引き上げといった工事は難作業の連続でした。

防備衞所設置工事は昭和15年ごろから、本土各地に増設されていきました。
欧州ではナチスによる周辺國への侵略が始まっており、世界情勢は緊迫の度合いを深めている時期でした。
工事作業は水中聴音機、海底電纜を載せた電纜敷設船を用いて行なわれました。
この電纜敷設船は海軍所属の船ではなく、機帆船をチャーターし、船倉に電纜や電線を収納していました。このほか、架台を吊り上げるデリック、電纜用のガイドやブレーキ、工具、試験装置類を載せていました。
聴音機は團平船に載せ、防水覆いが厳重にかけられていました。

海底電纜は護謨絶縁鋼線裝鎧、ジュート捲きの太さ7~8糎ほどで、心線は捕音機1個あたり2本。補強用の中心鋼線をふくめて60心ほどの、固く重い造りのものでした。
港湾や海峡に敷設する聴音機に用いる電纜ですから、長さは短い時でも数粁、長いものでは10粁にもなりました。

設置作業を行なう場所には、電纜敷設船、聴音機の架台を積んだ團平船とそれを曳く曳船が集結します。
場所は外洋なので波が高いことが多く、潮の流れが速い時は作業が危険および架台を海に落とす恐れがあるため、潮の流れが止まるわずかな時間を狙って作業をしました。
波が高すぎるときや、海面が穏やかでも視界が悪く、陸地がかすんで見えない時は作業が中止となります。とくに陸地の状況がわからないことには、正しい設置場所に聴音機を置けないので、視界の有無は重要でした。

工事はまず、設置海面付近の入り江などの仮泊地で敷設船と團平船を横付けし、團平船のほうに電纜の先端を引き込み、架台についている捕音機に接続します。絶縁処理、防水被覆を施します。
当時、船上で水圧試験を行なう装置はなかったため、水深100米ほどの海底に置くため仕様書は厳格であり、防水作業は慎重に慎重を重ねて行なわれました。電纜の絶縁を調べる性能のいい測定機もなかったため、絶縁状態の点検には熟練を要したといわれています。

天候や潮の流れを見定めて、敷設船は聴音機をデリックで吊り下げて仮泊地を出航、敷設海面に向かいます。
船上から六分儀で陸上の3箇所の固定目標―――山や燈台など―――をねらい、相互の角度を測り、三桿分度器で海図の上に現位置をプロットしながら敷設位置へと移動します。
160509e
逓信省電纜敷設船東洋丸
戦前は海底電纜の敷設は軍民問わず逓信省の管轄であった


敷設海面に達すると船を停止させ、潮に流されないよう操船しつつ、架台を海中に吊り下ろします。同時に、電纜も船上から繰り出していきます。
架台を下ろしていく際に、電纜を引っ張りすぎると架台が傾いたり、最悪の場合はひっくり返ったりします。逆に、電纜を長めにおろしていくと海中でもつれあったりするので、架台と電纜の下ろし作業は時間のかかる難しい作業でした。
当時は徴用した敷設船に搭載可能な測深儀や魚群探知機―――戦後に登場―――のような海底の地形を調べる装置はなかったため、レッドという測鉛を使って海底の深さを刻々測っていました。
測鉛ではこまかな地形の把握は無理で、そして潜水夫を使うこともなかったので、架台を海底に水平に設置するのは苦労しました。
架台の上端には傾斜計がついていて、どの方向へも2度傾くと振り子が振り切れて、警報を出す仕組みになっていました。
この音は捕音機にはいり、船上の聴音機にはいってくるので、警報が出るたびに吊り上げて、位置を慎重に変更して設置しました。当然、何度も繰り返すこともありました。

水平に設置できて、警報がでていないのを確かめたら絶縁を測って、上から電流をおくって電磁石をはたらかせ、傾斜計のなかのピンを突出して、傾斜角をマークさせます。これがあとで引き揚げられ、記録として残るわけです。
架台を吊り下げているワイアに、リング状の錘を抱かせて滑り落としていくと、下端でフックにあたり、架台から傾斜計とワイアが外れます。これを引き揚げて、1つの架台の設置作業はひとまず完了です。

架台を設置したら、電纜をそろそろと繰り出しながら、敷設船を陸地へ向けて動かしていきます。
電纜は船倉から上がってきて、梯子を横にしたような滑り台の上を通ります。この台のところには、十数本の丸太が互い違いに斜めに載せてあり、それぞれに乗員がついていました。これは丸太を用いたブレーキで、当時は最も簡単で、そして専門の敷設艦船以外での電纜敷設では一番安全な方法でした。

電纜は固く重く、しかも海中から引っ張られてもいるので、敷設船の速力と丸太ブレーキのバランスのとり方は難しいものでした。ブレーキを緩めると、電纜はどんどん海底へと延びていきます。逆にブレーキがききすぎると軋んだ音を立てたりしました。

海岸にたどり着くと、ボートで電纜を陸揚げします。
海岸では磯波に洗われて露見しないよう、十分な深さの穴を掘って電纜を埋め、崖の傾斜地にも穴を掘って埋めながら崖上へと引っ張り上げました。
人が足を踏み入れることのない崖や雑木林のなかでの作業ですので、これまた大変な労力を要しました。
ようやく防備衞所まで電纜を引っ張り込んだら、測定機に結線を行ない、各種試験を実施します。それが終わり、聴音機から船のスクリュー音が聞こえてきたら、すべての作業は完了となります。お疲れ様でした。

聴音機は長期間、海中に設置されているので、故障や点検時に引き揚げる必要があります。
このときは錨を海底に下ろして引き摺り、電纜に引っ掛けて引き揚げます。
架台はかなりの重さなので、適当に電纜を引っ張ると破損する恐れがあるので、およそ1粁ほどの長さの防蝕をほどこしたワイヤを架台の頭に取り付け、これを使って引き揚げました。

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津軽海峡で電纜敷設中の敷設船釣島丸/戦後撮影
本船は海軍電纜敷設艇釣島であった


前述の防備衞所や、海峡突破を図る敵艦艇を機雷で撃破するための管制機雷敷設海面を秘匿するため、逓信省に委託するのではなく、独自に敷設する必要を感じ、昭和15年(1940年)に『初島』型電纜敷設艇を4艇建造しました。
『初島』は"はつしま"と呼ばず"はしま"と呼びます。
当初は"はつしま"でしたが、途中で漢字はそのままで"はしま"と改名されたためです。

同型艇は『初島』、『大立』、『釣島』、『立石』で、横須賀、呉、佐世保、舞鶴の各鎮守府防備戰隊に配属されました。
『釣島』をのぞく3艇は戦時中に船団護衛で撃沈されました。終戦時に残った『釣島』は海軍から政府に移管され、『釣島丸』として昭和42年まで海底電纜の敷設や補修で活躍しました。

『初島』型は敷設となっていますが、排水量は1,560噸と『吹雪』型や『白露』型驅逐艦に準ずる大きさを誇っていました。この大きさは戦時量産型の『松』型驅逐艦よりも300噸以上大きいサイズです。
20粁分の電纜や聴音機などおよそ400噸前後の重量物を積むため排水量は大きいですが、全長は76米と小振りでした。
機関は予算の関係上、昭和15年建造時の海軍艦艇として珍しく艦本式呂號水管罐という石炭専焼罐を2基搭載しました。石炭170噸を積み、巡航12節(時速約22.2粁)で1,000海里(約1,852粁)の航続力をもち、最高速力は14節(時速約25.9粁)を出しました。



壁|'-')ノよいお年を。
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イヴェントE-1の四方山話

ウェーイヾ('ヮ'*)ノ

長い長いメンテを終えてはじまった春のイヴェント『開設!基地航空部隊』。

くろちゃんはWoWSやWoTがいそがしいので、人柱による情報が出そろってから………もう少し時間がたってから参加する予定です。
160503

なので今回はE-1の目的地について。
今回はifイヴェントということですが、『大淀』さんは北太平洋の環礁に飛行場設営適地が見つかったといっています。
ifとはいえ、島自体は実在するだろうと踏みました。

160503b

これですね。
見た瞬間、どっかで見たことあるなと思いました。

さくっと調べました。

米領ジョンストン島でした。

これが実際のジョンストン島。
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160503d

戦前戦中と米海軍の主要な前進拠点の一つでした。

ここに飛行場を設けるということは、いよいよ布哇攻略もしくは深海棲艦によって占拠もしくは孤立している布哇との連絡線確立および米海軍艦娘との本格邂逅を将来計画していることなんですかね。

あーはやく『神風』や『春風』の画像が見たい( ゚ω゚ )



壁|'-')ノよいお年を。
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標的艦

ウェーイヾ('ヮ'*)ノ

今回は標的艦についての簡単な小咄。

練習巡洋艦は………まぁ武裝もそこそこあるから艦これでもそれなりに使えるし、『鹿島』お嬢は魅力的だから実装されるのはわかりますが、はたして標的艦などとゆー、艦これで実装されればドM的な位置づけになる艦娘はくるのでありませうか、これやいかにあらん?
160502

射撃の練習をするには標的がいります。
これは砲撃のみならず、拳銃射撃にせよ、弓道にせよ、同じことですね。
とはいえ、戰鬪という特異環境に臨む射撃戰において、ただ静止しているだけの的を延々と狙って撃っても、基礎は学べても応用は利きません。
どうしても、本物と同じような運動をさせなければ、砲撃訓練の成果を実戦において発揮することはできません。

對空戰鬪訓練の場合、航空機が吹き流しの標的を曳航して飛行し、艦艇の對空要員や戰鬪機乗りはそれを狙って訓練をします。
戰艦『武蔵』では、実弾による対空射撃訓練の機会がなかなかないことから、艦尾の水上機用甲板を利用して、ホースによる放水を使った対空射撃訓練をしたという乗員の証言がありました。

對艦射撃の場合ですと、驅逐艦などが標的となる船を曳航し、その標的めがけて訓練弾を撃ち込んでいました。
艦艇用の標的は、長さ20米ぐらいの筏もしくは船のかたちをしたものに柱を立て、布幕を張ったり、幟を数本から十数本ほど立て、それを複数組み合わせて驅逐艦などで曳いていました。

160502b

曳航艦の安全を確保するため、曳索は1粁から2粁ほどの長さにまでなっていて、之の字航行を行なっても蛇がゆるやかにのたくる程度の運動性しか発揮できませんでした。

幕も大型のものを用いると横風で転覆する恐れもあり、大口径砲での遠距離射撃訓練では幟旗を用いていました。

こういった曳航式の標的では自由自在な運動はできず、単純な直進行動しかできません。もちろん、偏差射撃の実際を確かめることはできるので、すべてがムダというわけではありませんが………
風向き次第では布幕などが射撃艦と平行になって、柱のようにしか見えなくなって視認が困難になるなど、訓練にならないと文句も出ていました。

実際の敵艦は前後左右に不規則に動き回りますし、速力も増減してこちらに未来位置を予測させまいとしてきます。

どうにかして、実際の艦艇に似た動きをさせたい………かといって乗員が乗っている実際の艦に砲弾を撃ち込むわけにはいきません。
そこで考え出されたのが、無線による遠隔操縦でした。

21世紀を迎えた現在では、無線操縦の技術は劇的なまでに進歩しており、子供ですらラジコンという形で触れることができます。軍隊では、中継システムを利用するなどして、数千粁離れた場所から無人機を運用して偵察や爆撃をこなすにまで至っています。

しかし、戦前は………とりわけ当時の日本の工業力では、満足な性能を有した真空管は量産できず、回路や装置も十分ではありませんでした。

初期の無線操縦システムは、操縦電波の発信機を、操縦艦の艦橋に置いた押し釦式操作盤を用いて作動させていました。
釦ごとに操縦事項を定めて、一定の符号をそれぞれ違った周波数で変調して、操縦事項を選択作動させるという簡単な方式です。
これはホナウ三連変調と呼ばれており、

ホ ― ・・
ナ ・― ・
ウ ・・―

の3符号それぞれに、4種の音声周波数のいずれかを割りあて、これを、たとえば、

― ・・・― ・・・―

というように連続させ、短波電波を変調して標的艦に向けて送信します。
これを受信した標的艦では、復調し、音声周波数を選別して、それぞれの周波数ではたらくリレーとラインセレクターを順次に選択駆動して、指定された各種の操縦操作を行なわせました。

このシステムはその後、順次改良されていきました。
明治期に建造された2萬噸級の戰艦『攝津』を改造した標的艦『攝津』では、操縦艦である標的艦『矢風』からの電波信号を受信して、発信、停止、面舵、取舵、加速、減速といった運動を行ないました。
『矢風』の無線操縦は押し釦式操作盤と短波送受信機を用いたもので、

タもしくはN ― ・
ヘもしくはE ・
ヌまたはH ・・・・

の3つを、600ヘルツ、800ヘルツ、1,000もしくは1,200ヘルツの4種の音声周波数の一つで変調して発信しました。
『攝津』はこれを受信、復調、選別し、該当する回路を動かして操縦機構を駆動させました。
原理そのものは簡単でしたが、構造は複雑で、故障や誤動作には徹底した対策が講じられていました。

『攝津』自身が標的なので、艦体に直に弾丸―――砂をつめた模擬彈―――が撃ちこまれます。上甲板や舷側には十分な裝甲を施していますが、それでも、着弾の衝撃などによって空中線が切断され、応答能力が低下したりもしました。

『攝津』で施された対策のひとつが、送受信確認でした。
安全確認のため、操縦側ではひとつの指令を発信するたびに、『攝津』からの受信確認の応答を受け、また、『攝津』から一定時間ごとに、安定して作動していることを知らせる信号を発信させていました。
この送受信確認でつねに『攝津』の動きを監視しながら無線操縦して動かしていました。

訓練中は無人となるので、『攝津』では運用中も異常の有無を絶えずチェックしていました。なにか異常が起こればただちに緊急信号を出し、その異常が大きければ艦を停止させるようになっていました。

160502c
画像参考:MONOCHROME SPECTER
標的艦『攝津』
『河内』型戰艦として完成後ほどなくして砲撃標的艦ついで砲爆撃標的艦に改装された


操縦艦である標的艦『矢風』と文字通り標的となる標的艦『攝津』の2艦で構成された標的艦隊は、要請があり次第出港します。
整備担当者は『攝津』に乗艦し、砲戰海面まで操艦していきます。
砲戰海面に到達後、艦を停止させ、艦内各部の異常を点検し、『矢風』に移乗します。
ここから無線操縦による移動と、そして『攝津』を狙った砲戰訓練が開始されるわけです。

砲撃側は、いままで単調な動きの筏などを狙っていただけに、今度は旧式とはいえもとは2萬噸級の戰艦という標的を撃てるので、ヤる気十分、鼻息荒く待ち構えています。
一方、『矢風』に移った担当者たちにしてみれば、砲彈を撃ち込まれるのが任務とはいえ、苦心して整備した各種装置や裝備がつまっている『攝津』がボコボコにされるのはたまらないといった感じでした。
砲撃側は日ごろの訓練の成果を発揮して百発百中を狙い、『攝津』側はできるかぎり当たるなと祈るわけです。

なかには、中距離から近距離にまで接近して射撃を浴びせる艦もあり、そういった射撃艦がいる場合は警告を出して離れてもらっていました。

砲戰訓練が終わると、担当者らは先をこぞって『攝津』に戻って状態の確認と航行準備に入ります。
ちなみに、砲戰訓練の海域は周囲に一般船舶がいない太平洋上で行なわれるのがほとんどで、当然ながら波のうねりは大きいです。そのため、担当者らの移乗は苦労しました。
階段状の舷梯を用いますが、波が荒いときは縄梯子を使い、カッターやランチがうねりにのったのを見計らって一人ずつ飛び降りました。この際に用いる縄梯子はモンキー・ラッタルと呼ばれていました。


標的艦『矢風』は大正時代に建造された『峯風』型驅逐艦の1艦でしたが、昭和12年(1937年)からは驅逐艦のまま標的艦『攝津』操縦艦として運用されました。
昭和17年7月20日に特務艦に艦種変更となり、正式に標的艦『矢風』となりました。
終戦まで生き残りましたが、戦後、横須賀で繋留中に浸水によって着底、その後解体されました。

標的艦『攝津』は明治45年(1912年)完成の『河内』型戰艦2番艦でした。華盛頓条約で退役が決まり、大正12年(1923年)に標的艦に改装されました。
その後、昭和12年に爆撃標的艦、昭和15年に砲爆撃標的艦の改裝を受けました。
昭和20年7月24日の呉大空襲で撃破され、江田島大須海岸に擱座しました。
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着底した標的艦『攝津』
呉大空襲で前檣左右舷と後檣右舷に各1発の直撃弾を受け右舷中部舷側に5発の至近弾を浴びた
至近弾により舷側を破損・浸水し空襲2日後に艦内各部が満水し着底した




壁|'-')ノよいお年を。
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