徒然なる戰藻錄

WoTとWoWSをプレイしているところなのです

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戰時下の輸送船

ウェーイヾ('ヮ'*)ノ

さきのFS作戰による備蓄資源、修復資材の乱費浪費の恢復作業を続行中です。
本日午後には、FS作戰で2,600箇ちかくにまで激減した高速修復材も2,938箇にまで備蓄できました。
この調子で行けば、今週末か来週初頭には上限3,000箇にまで恢復できることでせう。

150916

備蓄資源の恢復ごときでは満足いくネタにはなりませんので、今回は太平洋戦争における船舶量について簡潔にご紹介いたしたく思います。

きわめて簡潔な内容ですので、あまりご期待なさりませぬよう...


艦これでは艦娘たちが遠征を行なうことでさまざまな資源を入手してきます。
これはつまり、資源地帯と鎮守府の置かれている本土とを結ぶシー・レーン―――海上輸送路―――を往く船団を護衛することで、結果的に鎮守府に資源がまわってくるものと解釈できます。
大戦末期には、海軍艦艇とりわけ戰艦が輸送任務に一時的についたことがありますが、やはり物資の大量輸送は専門の輸送船が一番です。

東京急行こと鼠輸送や蟻輸送は、あくまで前線部隊への補給であり、資源地帯で産出される戦略物資の輸送ではありません。

さて、その船団の要たる船舶についてですが、我が日本帝國は開戦時に約630萬噸もの船舶を擁していました。このうち、海軍180萬噸、陸軍210萬噸が軍務に服していました。
民需用には最低でも300萬噸は必要でしたから、すでにして國内産業維持分は不足していました。
一応、陸海軍ともに南方攻略の第一段作戰完了後に、順次、軍需用船舶を民需用に転換、つまり徴用した船舶を民間に返還する予定でした。

150916c
軍事機密指定を受けた博多港埠頭
博多港を含む下関一帯は要塞地帯法に基づく要塞地帯とされ、立ち入りや撮影の禁止・制限が行なわれた


しかし、第一段作戰が軍部の予想をはるかに超える速さで進捗したため、日本は次なる作戰をどうすべきか……つまり始めた戦争をどのようにして終戦まで持っていくか意見の統一がならず、迷走することになります。
それに追い討ちをかけるように、昭和17年4月18日、米軍機が白昼堂々、帝都東京を空襲します。

陸海軍は本土防衛と米英の作戰線を後退させるべく、日本の國力を超えた大規模作戰を実施します。
すなわち―――南太平洋で米濠の連絡線を遮断して濠州の対日戦脱落を狙ったポート・モレスビー攻略MO作戰、その後のフィジー、サモア方面を指向するFS作戰。中部太平洋では布哇攻略の足がかりとして、ミッドウェイ環礁攻略をもくろんだMI作戰です。

このため、民需返還予定だった船舶はそのまま軍需用として利用されることになりました。

日本にとって厳しい状況なのは、米英潜水艦による通商破壊戰です。物資輸送の輸送船を狙って撃沈するこの作戰は、地味に日本の戦争遂行能力を奪っていきました。

開戦から第一段作戰がほぼ完了した昭和17年3月までに、日本は潜水艦による被害や侵攻作戦での喪失をふくめ、およそ27萬2000噸の船舶を喪いました。
ただ、占領地で鹵獲したり洋上で拿捕した船舶が約33萬1000噸もあり、これに新造した6萬8000噸を加えると、約12萬7000噸の増加となりました。

その後は船舶喪失が増大し、徴発や新造では賄えないまでになりました。
昭和17年3月から翌年3月までの1年間で、拿捕・鹵獲37萬7000噸、新造36萬2000噸に対し喪失量は125萬噸にまでハネあがりました。

民需船舶の不足は、南方で産出される石油、鉄鉱石、ボーキサイトなどの戦略資源の本土輸送が細くなることを意味し、事実、ガダルカナル島をめぐる攻防で聨合艦隊は戰艦、空母を含む大部隊を数箇月間にわたって運用した結果、トラック根拠地の重油備蓄が底を尽きかける事態となり、以後の聨合艦隊の運用に支障をきたす事態を招きました。

ガダルカナル島への陸兵輸送、物資輸送で優秀船を含む多数の船舶を喪失したものの、昭和18年2月のガダルカナル島撤退で船舶喪失に歯止めがかかるはずでした。
実際には、昭和18年3月から夏までの数箇月間で、日本は64萬8000噸もの船舶を喪失し、輸送船舶は日を追うごとに減少していきました。
開戦以来、日本は188萬噸もの船舶を喪失しており、昭和18年の新造船舶も建造資材の不足や熟練工員が足りないために揮わず、新造は53萬9000噸と64萬噸もの喪失量を下回る結果でした。

國内産業の維持に最低限必要な300萬噸の民需用船舶は開戦以来、一度も達成されたことはなく、むしろ減少傾向にあり、昭和18年秋には最低限必要量の3分の2ちかくにまで保有船舶は減少していました。

開戦以来、米海軍の魚雷は根本的な欠陥を抱えており、その改善に長期間を要しました。もし、米海軍の魚雷が開戦時からきっちりと機能していたとするなら、日本の船舶喪失量はさらに激増し、昭和18年から19年には、日本の船舶は壊滅していただろうといわれています。
魚雷の欠陥を克服した米潜水艦部隊は、昭和18年10月、ついに日本海にまで進出。10月5日、神の島として宗像大社の沖津宮を奉る福岡県は玄界灘沖の小島である沖ノ島の沖合いで、関釜連絡船の『崑崙丸』(7,900総噸)が米潜水艦USS『ワフー』SS-238によって撃沈されました。
米潜水艦による通商破壊戰による被害激増に対処すべく、『崑崙丸』沈没の翌11月15日、日本海軍は海上護衛総司令部令を交付し、船団護衛を主任務とする海上護衛総司令部を設置しました。
海上護衛総司令部には第一と第二の海上護衛隊が編制され、第一海上護衛隊は本土と南方資源地帯、第二海上護衛隊は本土と内南洋、ソロモン、新基尼方面の輸送護衛を担当しました。

昭和19年度の日本船舶情況  単位:萬噸
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上の表は昭和19年度の軍民あわせての船舶保有量、建造と喪失量です。
建造量よりも撃沈される船の量が多いのが一目瞭然であり、昭和19年末には保有量は半分以下になっています。

昭和19年にはいると、戦時量産型の護衛艦である海防艦の大量配備が始まります。
しかし、海防艦が配備されても、性能面で劣る対潜裝備、對空兵装によって米潜水艦、米軍機の猛攻から船団を護衛するのは困難でした。
それどころか、護衛艦である海防艦が真っ先に狙われて撃沈破され、裸になった船団が撃破されるというケースがたびたび発生しました。
昭和19年夏以降には、本土と南方資源地帯を結ぶ海上交通路である南支那海に大陸奥地から米陸軍の重爆撃機や中爆撃機が飛来するようになり、海防艦や輸送船は海面下に潜む潜水艦にくわえ、雲のかなたから飛来する敵機にも警戒せねばならなくなりました。

昭和19年の暮れにもなると、本土と南方資源地帯を結ぶ海上交通路の東に位置する比律賓(フィリッピン)がほぼ米軍の勢力圏下に落ち、多数の基地航空兵力が展開し、南支那海に攻撃の手を広めはじめていました。
それにくわえ、母艦航空兵力1,000機にもなる精鋭の米海軍機動部隊が進出、多数の船団がその餌食になりました。

南方からの資源を本土へ輸送するための大規模船団輸送は、昭和20年3月に行なわれたヒ八八J船団が事実上の最後となりました。
この船団には、南方に展開していた日本の大型輸送船のうち、稼動可能な船のほぼすべてである7隻が配備されていました。
配備された船舶は、油槽船『阿蘇川丸』、『鳳南丸』、特設油槽船『さらわく丸』、『海興丸』、貨物船『荒尾山丸』、『天長丸』、『北上丸』で、このうち3隻の貨物船は佛印南部のサンジャックに寄港し、後日、日本へ向かう予定でした。
日本へ直行するのは4隻の油槽船で、この4隻には重油2萬5000噸、もともと貨物船であった『さらわく丸』、『海興丸』には生護謨1,500噸、錫500噸が積み込まれていました。

この船団を護衛するのは驅逐艦『天津風』、海防艦『満珠』、『第一號』、『第一八號』、『第二六號』、『第八四號』、『第一三四號』の7艦。このうち、『天津風』は損傷しており、事実上の護衛艦艇は6艦の海防艦が担当しました。

船団は3月19日に新嘉坡(シンガポール)を出航。しかし出航してほどなく、『さらわく丸』が機雷に触れて大破(のちに沈没)、のこり6隻となった船団はシャム湾を北上し、23日にサンジャックに入港しました。
ここで貨物船3隻を分離した船団は、追加の護衛艦艇として海防艦『第一三〇號』、驅潜艇『第二〇號』をくわえ、26日に出航。サンジャック北方のナトラン沖で驅潜艇『第九號』をくわえ、油槽船3隻を護衛艦艇9艦で護るという布陣になりました。

しかし、船団の北上航行はすでに米軍の知るところで、28日にナトラン沖で米陸軍機の空襲を受けて、護衛艦艇の激しい對空射撃にもかかわらず、『阿蘇川丸』が沈没。
その後、『鳳南丸』が潜伏していた米潜水艦の雷撃を受け損傷。沈没こそ免れたものの、陸地に乗り上げて喪失扱いとなりました。

残ったのは950総噸の小型油槽船『海興丸』だけ。
その『海興丸』も翌29日、米軍機の再度の空襲を受けて沈没します。
油槽船は全滅し、攻撃の矛先は護衛艦艇に向けられました。
29日早朝、海防艦『第八四號』は米潜水艦の雷撃を受けて轟沈。
『海興丸』を沈めた米軍機の猛攻により、海防艦『第一八號』、『第一三〇號』が戦没。
海防艦『第一三四號』はこの日の夜、米軍機の夜間電探爆撃により撃破されました。

米軍機と潜水艦によって撃破されたヒ八八J船団ですが、しかし船団の進行方向にある沖縄近海には、米英の巨大な機動部隊が集結し、沖縄侵攻作戦を支援していました。
船団はたとえ無事に東支那海にはいったとしても、強力な索敵力をもつ米機動部隊の監視網から逃れることはできなかったでしょう。

昭和20年度の日本船舶情況  単位:萬噸
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開戦時、390萬噸もあった軍需用船舶は、終戦時には9割を喪った状態に。民需用は結局、最低限必要量を満たすことなく、開戦時の半数以下にまで保有量を喪ってしまいました。
簡易工程の戦時標準船の設計による必死の造船にもかかわらず、ついに日本は海上輸送を喪って敗戦を迎えてしまいました。
海外から資源を輸入せねば産業を維持できない日本は、しかし、潜水艦による通商破壊戦に対処できないまま船舶を喪い続け、技術力と裝備の不足によって悲惨な結末を迎えたのでした。



壁|'-')ノよいお年を。
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ずっとこの加賀なし艦隊で生きてきた。これからも続いていく軌跡。

ウェーイヾ('ヮ'*)ノ

備蓄恢復をしつつ、艦隊の錬度を少なからず向上させつつある初秋の候で茣蓙いマス。

ところで、艦これにおける母艦戦力でその筆頭に君臨しているのが、改造空母の『加賀』ですね。
搭載46機をふくむ総搭載数98機は現状、母艦航空戦力としてはトップです。

火力などではほかの改ニ母艦群と拮抗もしくは後塵を拝するかたちになってはいますが、それでもイヴェントなどでは引っ張りだこという頼れる母艦になっているわけです。

そんな『加賀』ですが、くろちゃん率いる我が聨合艦隊では、道中支援/決戦支援で使うほかは第一線を退いている恰好となっています。

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我が艦隊の母艦戦力は上図のとおり。
母艦着任1號は小型正規空母の『龍驤』。
大型空母としては任務報酬の『赤城』が一番手でした。
くろちゃんの建造運、ドロップ運は、小型空母に特化していたわけです(*'-')

主力空母として2番目に来たのが『加賀』ですが、一覧で見てわかるとおり、Lvは主力空母10艦(『大鳳』2艦目を含めると11艦)のうち最低の63です。
小型空母を含めた19艦(『大鳳』、『龍鳳』各2艦目を含めると21艦)でも、『龍鳳』2艦目、『鳳翔』に次ぐLvの低さです。

新参の『雲龍』型3艦にすら抜かれているわけです。

それでも60を超えるLvになっているのは、着任順からわかるとおり、主力空母がほとんどなかったからです。

『翔鶴』は艦これ初のイヴェントとなった2013年春《敵艦隊前線泊地殴り込み》のE-3クリア報酬で手に入れたもの。
このイヴェントを『赤城』、『加賀』の2艦を主軸にしていたのですから、『加賀』のLvが否応無しに上がってしまうのも納得です。

ただ―――
『翔鶴』参戦後は、彼女が我が空母群の主軸になったので、2013年夏の『大和』入手イヴェントでは、空母群でLvトップに躍り出た『翔鶴』がイヴェントにおいて活躍しました。
これ以降、『加賀』は第一線を退く形となり、以後は通常海域、イヴェントともに参加することなく鎮守府の女王として艦娘名簿の片隅にその名を連ねるだけとなりました。

『鳳翔』とともに『加賀』を使わない理由はただひとつ。
イラスト。

それだけです。

くろちゃんは艦これにおいて、見た目重視で主力と廃棄を決めています。

やはり可愛いは正義ですからね。

ただし、しばふ氏の絵がキラいといふわけではありません。
実際、しばふ艦である『赤城』は結婚済みですし、『白雪』や『初雪』も順調に育成しています。

なぜか『加賀』と『鳳翔』のイラストがちょっと琴線に触れなかっただけなんですね。
逆に、アニメ版の『加賀』さんは好きですね。アニメ版は全般的に作画は好みでした。

艦これ内でもイラスト変更や改ニ実装がきたら、立ち絵次第では『加賀』の主力入りもありえます。

こういったイラストや―――
150914b

こういった『加賀』さんなら、いまごろ結婚済みでしたね。
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秋のイヴェントではまたしても海外艦、それも大型艦艇の実装が予定されているとのこと。

WoWSでは獨逸艦艇の実装も予定され、課金艦として『ティルピッツ』もきました。

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諾威(ノルウェー)のフィヨルドに潜み、北極圏航路を蘇維埃(ソヴィエト)へ向かう米英連合軍の輸送船団とその護衛艦艇に間断なく脅威を与え続けた《北方の孤独の女王》

艦これでもそろそろ来てもらいたいですね。



壁|'-')ノよいお年を。
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輝きを増すサーチライト・オブ・リアル

ウェーイヾ('ヮ'*)ノ

秋口のイヴェントへ向けて資材資源の再建に勤しんでおります。

そんななか―――

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のんびり上げていたペロ月ちゃんこと『照月』が改可能Lvに到達。
なぜかLv50で改になれると思い込んでいたため、ここまで上げてしまった次第。

さっそく改にしてペロ月ちゃんprprしてきますヾ('ヮ'*)ノ

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こちらの四方山話で紹介しているとおり、『秋月』型は戦時下の建造増産のため、戦訓の取り入れによる建造時点での変更、急速建造を狙った工程の簡略化を行なっています。
そのため、便宜上、『冬月』、『春月』、『宵月』、『夏月』の4艦を『冬月』型。最後の完成艦である『花月』を『満月』型と称することもあるので、『冬月』型と『満月』型については、もしかしたら別の絵師さんがデザインを担当するやもしれませんね。

ペロ月ちゃんは今後しばらくは実施部隊で5-4周回旗艦として配備。
備蓄回復が優先なので、5-4周回といっても1日に1~2回逝ける程度ですけどね。

『照月』につづいて―――

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ようやく『加古』改ニが完成。

くろちゃん的には『加古』よりも『古鷹』派ですが、『加古』改ニで探照燈を持ってきてくれるので、とりあえず改ニを目指したといふ次第。

なにゆえ探照燈狙いかといいますと―――

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探照燈をMAXにしたら、探照燈の在庫が無くなってしまったためです(*'-')

『加古』改ニで探照燈がきてくれたので、安心して改修更新して150糎探照燈を入手しました。

今回のイヴェントで、第二艦隊旗艦が探照燈でちょこちょこ敵の砲火を引きつけてくれたので、聨合艦隊での機動部隊編制用に造ってみました。

今後のイヴェントで使うことになるかは不明ですけどね(*'-')



壁|'-')ノよいお年を。



World of Warships
2015.9.17正式サーヴィス開始


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セーラー服から覗く白肌の気高さが提督を蕩かせる媚薬

ウェーイヾ('ヮ'*)ノ

FS作戰も残すところ24時間をきりました。
くろちゃんは7日はお仕事ですから、実質的に本日が最終戦となります。
備蓄資材もそれなりに補充されてきているので、本日はそこはかとない攻勢をE-3にしかけ、『瑞穂』との邂逅を成就させたい次第で御座候。

その前に―――

月が変わったので、いつものやうに1-5、2-5の突破を図ります。

3-5や4-5、5-5はメンドくさいのでスルー。
気分が世界的なヴィッグ・ウェーヴに乗るようならやってTRYしてみますが...(*'-')

150906

2-5は昨年11月以降、一等巡洋艦6艦による北方突破、これ一択にしています。
途中の夜戦マスが難関ですが、照明弾でカットインや連撃を封じることができれば、これほどラクな航路もありません。
夜戦マスでの大破撤退の回数も0~1回程度で、主力大型艦を交えた南航路に比べたら資材的にも優しいので、今後も2-5は北一本槍ですね。

150906b

今月2つめの勲章。
改装設計図のために3-5~5-5のどれか2つに逝くのもありですが、さらに敵主力を4~5回撃破するのはしんどいであります。

ところで―――

2-5攻略を終えたところ...

150906c

『大鯨』がドロップ。
なかなかにレアなドロップ率を誇る彼女。
なぜかさらりと来ました。

150906d

このやうに『大鯨』は3艦目。
『龍鳳』にしている分を含めれば通算4艦目になります。

『大鯨』でそのまま育成する艦と、碧服『龍鳳改』ではない赤服『龍鳳』にする艦とで2艦が必要なので、この3番目の『大鯨』さんは素材として消えてもらうことに...

『大鯨』がここでキたってことは...
『瑞穂』ドロップに必要な運を使ってしまったのでは...Σ(゚Д゚≡゚Д゚)!!?



壁|'-')ノよいお年を。
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眞珠灣攻撃にまつわるさりげない四方山話

ウェーイヾ('ヮ'*)ノ

今年は終戦70年。
先月はイロイロモロモロ終戦にまつわる特番、終戦に関する映画も上映されたりしました。

今回は終戦とは正反対、日米開戦についての四方山話をさらりとカルくご紹介します。

たいしたものではありませんが、阿鼻叫喚の夏イヴェFS作戰でささくれだった気持ちを鎮めてくれるものであれば幸いです。


◆対米英武力行使日を隠匿すべし

昭和16年(1941年)12月2日。
この日は、聨合艦隊旗艦『長門』より陸上基地経由で全軍宛てに、有名な『新高山登レ一二〇八』が発信された日です。
すなわち、12月8日を期して対米英蘭武力行使を実施すべしといふものです。日本海軍が事実上、開戦を決意した瞬間です。

さて、その12月2日に横浜港から1隻の船が出港しました。
船の名は『龍田丸』。
日本郵船が北米航路用に建造した客船で、昭和5年(1930年)に完成した排水量1萬7000総噸もの大型船です。

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龍田丸

『龍田丸』の目的地は米國西海岸。
海外に居留する邦人を収容し、日本に引き揚げさせる引き揚げ船として本船は横浜港を出航しました。

朝日新聞はこの船出を、

波高き太平洋へ 第二次遣米龍田丸船出す
日米会談が最も重大な段階に立っている瀬戸際に、波高い太平洋へ船出する龍田丸を見送る人々は桟橋を埋めて大混雑、甲板から流れる愛國行進曲に交って「サヨナラ」の叫び声、ちぎれるやうに振られるハンカチ……船は桟橋を離れる


と報道しています。

『龍田丸』の出航の本来の目的は、日本の対米英蘭武力行使の日時を悟らせないための囮的なものでした。
邦人引き揚げ船が12月2日に出航するといふことは、本船が米大陸各地を経由して日本に戻ってくるまでは日本は開戦に踏み切らないだろうと、米英を油断させるためでした。

効果のほどは不明ですが、情報・諜報戦に疎い日本は開戦前、できうる限りの努力で開戦日時の隠匿に努めたのでした。

『龍田丸』は開戦後に反転して横浜港に帰還。その後は交換船として用いられたりしましたが、昭和18年2月8日、伊豆諸島の御蔵島沖で米潜の雷撃を受け沈没。護衛艦『山雲』の捜索にもかかわらず、乗員およそ1,400名全員が死亡しました。


開戦日隠匿のお話がもうひとつあります。
12月5日から開戦前日の7日までの3日間、帝都・東京は多くの海軍水兵で埋め尽くされました。

150904b
宮城二重橋、正門石橋
海軍水兵らはここで奉拝し東京見物を行なった

※参考画像:国立国会図書館より

12月5日早朝、横須賀の海軍水雷学校の生徒およそ500名が東京駅の横須賀線ホームに降り立ちました。
生徒らは教官に引率され、宮城前広場で海軍砲術学校の生徒およそ500名と合流し、正門石橋前(二重橋前)で宮城を奉拝しました。
その後は別々のコースを取り、水雷学校生は靖國神社、明治神宮を参拝し、正午ごろに朝日新聞社を見学しました。
午後には自由行動が許され、生徒らは銀座をはじめ東京見物に散っていきました。

紺のセーラーに白の脚絆といういでたちの海軍水兵による東京見物は、いやおうにも道行く人々の目を引きました。

5日からの3日間、東京見物に訪れた横須賀の各海軍学校の生徒や横須賀海兵団の水兵らは延べ3,000人にも及びました。

この一連の行動は、東京の米英諜報員などの目を欺くためのものでした。
対米英開戦間近、と囁かれるさなかに、うら若き紅顔の水兵らによる東京見物が行なわれれば、日本が開戦に踏み切るのはまだ先だろうと思わせるのが狙いでした。
新聞社が見学コースにはいっているのは、新聞が大々的に報道することを狙った大本営海軍部の配慮によるものでした。

なお、このとき東京見物した各学校の生徒らは、自分たちが学校生であることを口外しないよう口止めされ、ペンネントも別のものに取り替えられたといわれています。

当然のことながら、澄み切った冬空のもと帝都を見学した生徒たちは、東京から数千粁も離れた北太平洋上に日本の命運を担って真珠湾目指して進撃する機動部隊がいることなど夢にも思っていませんでした。


◆眞珠灣のスパイ

中部太平洋で米太平洋艦隊に艦砲、水雷、航空を有機的に組み合わせた戦術で決戦を挑むはずであった日本海軍の対米戦計画は、山本五十六聨合艦隊司令長官の布哇(ハワイ)攻撃計画に移行していきました。
しかし、そのためには眞珠灣の具体的な港湾状況、防備、太平洋艦隊の艦艇動向などを調査把握する必要がありました。

日本海軍は昭和13年9月から、獨逸(ドイツ)人のヴェルナルド・ユニウス・オットーキューンを諜報員として布哇に送り込んでおり、オットーキューンの娘ルースとともに諜報活動を行なわせていました。
その情報はホノルルの総領事館を経由して日本に送られていましたが、より具体的な情報を入手する必要がありました。

昭和16年3月27日、吉川猛夫予備役海軍少尉は森村正の偽名で外務省書記正としてホノルル総領事館に派遣されました。
森村正の名は、外國人には発音しづらいだろうとして採用されたといわれています。

吉川少尉は喜多長雄総領事、奥田乙治郎副領事のもとで、眞珠灣の港湾状況、防備態勢、艦艇の出入港などの情報収集に努めました。
その情報は総領事名で外務大臣宛に暗号電報で送信されました。
電報は昭和16年5月12日の第1信から、12月6日の第254信にまでおよびました。その内容は、オアフ島にある米陸軍航空隊基地であるヒッカム、ホイラー、米海軍航空基地であるバーバスの施設状況、對空防御の関するもの、眞珠灣内のフォード島を中心とした米海軍関連施設、艦艇の動向、湾内の水深など多岐にわたり、日本海軍の眞珠灣攻撃計画の立案における貴重な情報源となりました。

日本海軍が布哇攻撃を正式に決定したのは開戦2箇月前の10月19日で、海軍の作戦計画担当部門である軍令部において決裁されました。
これに伴い、事前の偵察や吉川少尉らの収集した情報を受領するため、第三艦隊参謀の鈴木英少佐が海軍省出仕兼軍令部出仕を命じられ、軍令部第三部に着任しました。
鈴木少佐は、潜水艦による布哇攻撃の事前情報収集を命じられた潜水学校教官の前島壽英中佐とともに10月22日、横浜港を出航した日本郵船所属客船『大洋丸』に乗船しました。
ちなみに、2人が海軍将校であることは秘密とされ、そのことを知っていたのは船長と事務長だけでした。
鈴木少佐は日本郵船本社から派遣された事務員、前島中佐は塚田という医師に扮していました。

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布哇攻撃機動部隊の進撃路の前調査を兼ねて北太平洋を通った客船大洋丸
※参考画像:定期船ブログより

『大洋丸』は日本政府の命を受け、日本在住の外國人をホノルルに送り届け、そこで日本に引き揚げる在留邦人を収容して帰國する予定でした。
『大洋丸』には鈴木少佐、前島中佐とは別にもう1名、海軍将校が民間人を装って乗り込んでいました。
その人物は松尾敬宇中尉。
半年後の昭和17年5月30日に特殊潜航艇でシドニーを攻撃し戦死することとなる松尾中尉に与えられた任務は、特殊潜航艇による眞珠灣攻撃の事前偵察でした。

『大洋丸』には海外邦人引き揚げという任務のほかに、もうひとつ、極めて重大な任務が与えられていました。
日本と布哇を結ぶ一般航路から遠く北寄りに離れた航路を航行すること―――すなわち、布哇攻撃機動部隊の航行する航路の状況を調査する任務が与えられていたのでした。
この北太平洋航路の天候、気象、海象を調査記録するとともに、この海域を航行する艦船の有無が調べられました。

『大洋丸』は11月1日早朝にホノルル港外に到着。米海兵隊が警戒のために乗り込んだ後、アロハ桟橋に横付けしました。
乗客の乗船下船が行なわれる中、鈴木少佐らは米海兵隊員の監視の目を盗んで米艦艇の動向を調査し、飛行場の軍用機の発着状況をつぶさに調べました。

総領事からは喜多総領事、吉川少尉が訪れ、収集した情報や資料を密かに鈴木少佐に手渡しました。
鈴木少佐はさらに、米太平洋艦隊主力艦の泊地はどこか、日曜日に在泊するか調べました。これは重要なもので、布哇攻撃の日時を決める重要なものでした。
モロモロの情報から、米太平洋艦隊主力艦艇の泊地は眞珠灣であり、日曜日も湾内に停泊していると鈴木少佐は結論づけました。

『大洋丸』は5日午後、1日遅れでホノルルを出航。通常の航路を通って日本を目指しました。
この帰途の航海中、鈴木少佐らは乗船した邦人らからも聞き取り調査を行ない、海軍罫紙で26枚に及ぶ調査報告書を作成しました。

『大洋丸』は11月17日に横浜港に入港。
鈴木少佐、前島中佐らは海軍の仕立てた内火艇で横須賀航空隊基地へ急行。そこから輸送機に飛び乗って呉へ急ぎました。

布哇沖に展開する予定であった第六艦隊の潜水艦部隊はすでに出撃していましたが、特殊潜航艇を搭載した特別攻撃隊の潜水艦はまだ呉に在泊していました。
前島中佐らは同隊を訪れて偵察結果を報告しました。

鈴木少佐は翌日、東京に戻って軍令部総長らに報告しました。そこで、単冠湾に集結中の機動部隊に少佐自身で報告してもらいたいと指示され、鈴木少佐はその日の夜、木更津沖に仮泊中の『比叡』に乗艦して単冠湾に向かいました。
『比叡』は22日に単冠湾に入港。鈴木少佐はただちに艦隊旗艦『赤城』を訪れ、南雲長官、各戰隊指揮官らに調査情報を報告しました。
24日には、オアフ島の模型を用いて、搭乗員らに対しても説明を行ないました。

ホノルル総領事、吉川少尉、鈴木少佐、前島中佐らの努力により、詳細な眞珠灣の情報を入手することができた日本海軍は、その成果を12月8日、布哇上空に披露することとなりました。

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マウイ島ラハイナ泊地に投錨する米太平洋艦隊戰艦群

吉川少尉の情報収集は着任翌日の3月28日からはじめられました。
グリーンのズボンにアロハシャツ、鳥の毛のついた布哇帽子をかぶり、ハイヤーをやとって眞珠灣をはじめとしたオアフ島内をドライブしました。
東京で、ルーペ片手に地図上でしか見ることができなかった米海軍の太平洋最大の前進根拠地である眞珠灣が、いま、目の前に広がっていることに興奮を隠し切れなかったそうです。
吉川少尉は数日おきに眞珠灣の近くをとおりぬけ、そのわずか数分間で湾内の停泊艦艇をノートに記入していきました。もちろん、本人にしかわからない符号を使って。

ときには、19歳の若いメイドとともに遊覧バスに揺られて眞珠灣のちかくを談笑しつつ通る姿も見受けられました。これはFBIによる監視に対処したもので、仲睦まじい男女に対するFBIの監視はさほどキツいものではなかったためでした。

日本が印度支那南部に進駐した8月、日米関係は悪化する一方で、布哇の在留日本人に対するFBIの監視は厳重になっていきました。
一方で、東京から吉川少尉に対する指令は、情報収集をさらに急げというものでした。

吉川少尉は身なりを汚し、比律賓(フィリッピン)人としてサトウキビ畑の仕事を手伝うよになりました。その畑からは、もちろん眞珠灣が一望に見渡せます。
吉川少尉の記入ノートには、曜日ごとに在泊艦艇の艦種、隻数の統計がびっしりと書き込まれていきました。
さらに、米海軍士官が集うクラブで比律賓人として皿洗いをするなど、その行動には危険が伴うようになっていきました。
ときには、眞珠灣の面前で釣り糸をたらす釣り人の姿にもなっていました。

吉川少尉の決死の努力は、12月7日早朝(現地時間)、眞珠灣上空を乱舞する日の丸の航空機の大群によって報われることとなりました。

吉川少尉は開戦後、軟禁状態に置かれ、米本土の収容所に送られました。しかし、諜報員であることが発覚することもなく、昭和17年8月に喜多総領事らとともに日本に帰國しました。
その後は海軍で情報関係の任に就きましたが長続きはせず、辞職願を受理されぬまま終戦を迎えました。



壁|'-')ノよいお年を。
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断言しよう。今夜瑞穂はドロップすると。

ウェーイヾ('ヮ'*)ノ

E-3での『瑞穂』捜索、本日もこなして参りました。

乙でも、X地点の敵を叩くことなく小気味よく水母姫を叩けます。
まぁいくら叩こうが『瑞穂』がでなければ意味がないんですけどね。

150902

このssを撮った直後に火狐は無反応となり、泣く泣くブラウザ再起動(ノД`)

無駄な進撃で燃料弾薬を浪費しましたが、再度進撃開始。

そういえば―――
『照月』の両足から伸びるベルト給弾式の對空兵装ですが、25粍機銃ではなく、やはり連装砲ちゃんへの10糎砲彈になるんでしょうかね。
だとすると、21世紀のOTOメララ製5吋砲の速射性もびっくりな高速給弾システムですね。(`・ω・´)

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野戦部隊のお供、『ビスマルク』。
今回もきっちりやってくれました。

彈着観測射撃を実施。
目標は……
驅逐艦か?

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うん、空母狙ったのはイイと思いまス。
でもダミッジ9といふのはいただけません。

主砲彈はヲ級の舷側装甲に浅い角度で命中し弾かれた……そんな感じなんですかね。


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そんなこんなで...

第三次攻撃は夜戦において水母姫を撃沈。
殊勲艦は夜戦の雄『大井』。
新参の『阿武隈』ではできない一撃をブチかましてくれます、はひ。
うちの『阿武隈』は運は基本状態のままなので、水雷兵装おんりーではなく、『北上』、『大井』らと同じく水雷兵装1+副砲2基にしたほうがいいのかもしれませんね。

ちなみにドロップは『榛名』。


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若干の時間を確保できたので、第四次攻撃を実施。

途中のBoss戦手前の機動部隊マスで『天城』が中破。
まぁどうせBoss戦では対艦戦力の不足から十分な打撃を与えられる状態にないから、中破したところで艦隊運用に支障はありません。大破しない限りは。

150902f

案の定、『天城』中破でも無事に昼戦で水母姫を撃沈破。
第四次攻撃もS勝利、いただきました。

ドロップ?
『比叡』でしたね(*'-')

『瑞穂』きませんねぇ...


動画追加。
WoTでTier10陸自試作戦車STB-1で敵戦車に突っ込みました。


敵戦車をこれで撃破できると思ったのに、ブレーキングを誤って落下、そのまま爆散しました(*'-')

現実ではありえないであろう戦車戦ができる……そう、WoTでならね。



壁|'-')ノよいお年を。
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